第16話「護衛騎士ジェフ」

「どちらへまいられますか、坊ちゃま」


「雨も止んだだろう。とにかく領地を見て来るよ。対策はそれからだ。セバスチャン、このあたりの土地に詳しいやつを呼んで来てくれ」


「あ、あの――わたしが!」


 声のほうに顔を向ける。そこには胸元の白いエプロンをシワが寄るほどに握り締めたアイリーンが険しい表情でカインを見つめていた。


「わたしはこの土地の生まれです。カインさまのお役に立てると思います」


 大きな瞳でジッと覗き込まれカインは気圧された。


「坊ちゃま、護衛なしではいくらなんでも」


「下手に兵をゾロゾロ連れて領内を歩き回れば領民を刺激するかもしれない」


「ですが、視察となればお館さまのときは事前に触れを出しておりました」


「心配するなセバスチャン。本当にちょっとだけそこいらを回って来るだけだ。大ごとにはしないよ」


「坊ちゃま。ならば案内役はアイリーンとして護衛には私の孫をお連れくださいませ。玄関の前に待機させておきますので」


 ズイと前に出るセバスチャンに対してカインは圧力に負け、護衛まで「嫌だ」とはいえなかった。


「ゼン、留守は任せたぞ。引き続き書庫の整理を頼む」

「若さま、お気をつけなすって」


 アイリーンを引き連れ颯爽と出かけようとしたが、彼女の身支度は軽く三十分ほどかかった。


「これでもずいぶんと急ぎました」


(さよか)


 なにがどう変わったのだろうか。


 純粋な疑問から自分よりも頭ひとつ高い彼女に視線をやる。アイリーンはどこか誇らしそうに胸を張るがカインは首を捻るばかりだった。


「……なにかいうことはありませんか」

「う、うん。そうだな、急ごうか」


「もういいです」

「え?」


 カインはアイリーンの差異に気づくことができず、軽い不興を買った。


 玄関に行くと立派な馬が一頭とやけにずんぐりむっくりした三十くらいの男がボケッとした顔で空を眺めていた。


(セバスがいっていた護衛の騎士はどこだ?)


 カインは一見して男のことを馬子だと思った。それもそのはず、男は身体こそ大きく頑丈そうだが、武人の風格はなく、さながらよく肥えた牛であった。


 男の着ているところどころほつれのある野良着は腕のあたりがパンパンで肩のところから千切れている。


 ――丸太のようだ。


「あ、坊ちゃま。ご準備は整いましたかだ? オラ、じさまのいうとおりイイあんべぇの馬っ子用意しておいただ」


「もしかしておまえがセバスチャンの孫か?」

「んだべ」


 呆気に取られたカインが傍らのアイリーンを見やる。彼女は特に驚いた様子はなかった。ということは、この農夫にしか見えない男が護衛の騎士で間違いない。


 思えば執事であるセバスチャンは老齢ながら一片の隙無く、それこそ紳士然とした格好をしており、どうも眼前の男とセバスチャンの血の繋がりが上手く結びつかない。


「あ、申し遅れただ。坊ちゃま、オラはジェフってんだ。いつもはお屋敷の庭の手入れをしているだ。これからはなんでもいいつけてくらっせい」


 ジェフは丈夫そうな白い歯を見せてニカっと笑うと、照れ臭げに鳥の巣のような長髪のうねる頭をバリボリと掻き毟った。


 アイリーンはハンカチで口元を覆い、嫌そうな顔を隠しもしないがジェフはまったくもって気にせずカインに向かって武骨な手のひらをぬっと伸ばした。カインは猫の子のように首根っこを掴まれると毬を放るようにポンと馬の鞍の上に投げられた。


(まぁ、いいけどね。にしてもスゲー腕力だな)


「馬子は任せるだ。女中さん、見送りはここまででいいだよ」


「わたしもカインさまと同道します」

「はぁ、ならおめぇさんも馬に乗るだな」


「きゃっ」

「うおっと」


 続けてアイリーンも投げられカインの後ろに跨る形になる。


「んだいくべ」


 ジェフは鼻歌でも歌いそうな陽気な足取りで馬を引き歩き出した。


 ぽっくりぽっくり馬が進むとキュッと背後から抱きしめられカインは目を白黒させた。


「な、なんだ?」


「す、すみません。わたし、馬にほとんど乗ったことがないので」


(む、胸が……!)


 十歳のカインよりも十六歳のアイリーンほうがずっと大きい。となれば背後に座るアイリーンがしがみついてくると、カインの頭は彼女のたわわな胸をぎゅうぎゅうとおしつけられる格好となる。


(あ、あのなぁ。おれは別に聖人ってわけじゃないぞ。身体がガキだから自制してただけで中身はオッサンなんだぞ!)


「わ、わかったからアイリーン。頼むから目を覆うのはやめてくれ。前が見えなくて危ないんだ」


「す、すみません」


 がはは、とジェフが楽しそうに笑い声を上げている。ジェフは傍目からすれば母親に背後から抱きかかえられる息子みたいな状況になり複雑な気持ちになった。






 ――後ろ頭がぽよんぽよんする。


 カインの意識が囚われていたのはほんのわずかな間であった。


 村々を回ってゆく内に背中にいるはずのアイリーンの温度が感じられなくなってゆく。


 独行していたときはわからなかったが、カルリエの領地は概して貧しかった。


 収穫の時期がすでに終わっているということを差し引いても、野山を行く村人たちの顔色は悪かった。


 ――いや、これは死人同然だ。


 王都で育ったカインであるが転生する前の日本に比べて文明度の差は激しかったが、このあたりの土地の荒廃さは口に出さなくとも充分すぎるほどだった。


 時折、村人たちはカインの一行を見上げるがすぐに目を反らす。


 他者に興味を持つ余裕すらないのだ。


 どこまでも続くかと思われる荒野と人工物の無さはカインの心を凍てつかせた。


 注意深く見ればわかるが農村の村人たちが纏う衣服は襤褸切れ同然で、いかにも寒そうだった。


 皆が一様に痩せこけている。


 無駄な脂肪などなく骨に直接皮が張りついているような貧弱さだ。


(外出着も寒気から身を守る上着もないのだろう。まさしくギリギリだな)


 領民を見ればカインの屋敷に住む下男下女がどれほど栄養が充分なのか理解できた。


 王都の市民レベルからいえば、ややスレンダーだと思われるアイリーンの身体は恵まれているのだ。


「帰るぞ」


 これ以上見ても意味はないだろう。


 誰にぶつけることもできない苦汁を呑んで指示を出す。


 ジェフは特に表情も変えず、再び牛のような足取りで元来た道を引き返してゆく。


「悪かったな」


 カインは暗い表情でアイリーンに話しかけていた。


「え?」


 アイリーンが背中で不思議そうな声を出す。

 特に悲壮感のないその声が余計にカインの罪悪感を強く煽り立てた。


「おまえにとっては分かりきったことを。今さら再確認させてしまった」


「……いえ。でも、わたし、少しだけ安心しました」


 カインがハッと振り向くとアイリーンは夕日を仰ぎながら目元をかばうように手をかざしていた。


「カインさまは口先だけでなく、キチンと自らの目でわたしたちの土地を確かめてくれましたから」


 純朴なアイリーンが現在の領主であるカインの父を批判するような持って回った言い回しをわざわざ使うわけがない。彼女は純粋にカインの行動を「善き」ものとして評価しているのだ。それがわかるだけにカインの図太い心もチクリと痛んだ。


「そうだな。帳簿だけじゃきっと現実は見えて来ない。半日回っただけでなにがわかるんだといわれればそれまでだが」


「そんな……! わたし、そんなこと思ってないですっ」


「ああ、おまえを責めてるわけじゃない。ただ、私自身が不甲斐ないだけだ」


 初めて出会ったときにアイリーンが見せた、屈託のない村娘の姿が彼女の本質なのだろう。


 人間は立ち位置が違えば言葉も仕草もかかわり合い方もすべてが変わって来る。


 こうして領主代行としてかかわる以上、アイリーンがカインに対して取る行動は型にはまった決まりきった物である。


 それがどこか寂しく感じるのは心に過剰なストレスが溜まっているせいだとカインは自ら断じた。


「ま、このままじゃなにもしないまま終わってしまう。差し当たって対処療法だが、私も領主代行としてそれなりのことをさせてもらうとしよう」


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