第12話「小雀たちの会話」
朝を迎えた。
なにごともなく。
――本当になにごともなく。
正確には、アイリーンが目覚めたのは夜明け前だった。
(いけない。ぐっすり眠ってしまった)
家族以外の男性と同衾するのは生まれて初めてだった。レオポルドはアイリーンが屋敷に来た時点で老齢でそっちのお召しは一度もなかったからだ。
素早く身体のあちこちを点検するが、そういった行為の形跡は認められなかった。
「すぴぴ」
カインは幼い寝顔を無防備に見せたまま隣で健康的な寝息を立てていた。
――やはり、なにか納得がいかない。
昨晩はベッドの上でもまったく話をしなかった。窓の向こうからは徐々に明るい陽が入って来る。
思い返せば実家の村で会ったときは泥だらけであったし、こうしてマジマジと顔を眺めるのは初めてであろう。
(やっぱり、すごく綺麗ね)
血管まで見えそうなくらい真っ白なきめ細やかな肌と整った容貌は少女といっていいくらい繊細で美しいものだった。
なんというか、村の者とは造りが根本から違うのだ。
伏せられたまつ毛は長くアイリーンがおとぎ話で聞いたお姫さまのようである。主人の祖父であるレオポルドは老齢といえど大柄で筋骨たくましく顔貌もがっしりとした造りで人を近づけない威厳があった。
「なんか、負けた……」
ひとり敗北を噛み締めるアイリーンであった。
(眠い……)
ぐっすり眠ったはずなのに疲労が重く身体にのしかかって来る。アイリーンは談話スペースでボーっとしながらやたらと昨晩のことを突っ込んで来る同輩たちをいなしていた。
テーブルにはフランシス、ジェマ、ガートルード、リンダ、スカーレットの五人がアイリーンを逃さぬようぐるりと囲んでいた。
「で、どうなの? ヤったの、実際」
「だからいい方……」
金髪で小柄なリンダが鼻息荒く顔をグイグイと近づけて来る。アイリーンは眉を顰めながらあからさまに拒絶するがリンダは興奮のあまり気づかない様子だ。
「リンダ、仮にもわたくしたちのご主人さまなのですよ。そのような物言いは失礼にあたりますわ」
「なーにをいっちゃってんのかなガートルードさんはァ。昨日っからそのことばっかり気にして、どうだったかな、どうだったかな? 痛いのかな? とか散々っぱら騒いでアタシの安眠妨害してくれちゃったくせに、このドえろ娘」
「ド……! リンダは下品すぎますっ。それにわたくしはアイリーンことを心配してですね」
「いっつもはアタシっちにツるんで来ないじゃん。頻度低いジャン。本当は昨日のアイリーンのえっちっち話が聞きたかったんだろ。耳年増」
「ンなっ」
黒髪ロングで一見お嬢さまのように見えるガートルードは言葉遣いこそ丁寧だが、アイリーンやリンダたちと同じく貧農の出身であった。
「でェ、どうだったのぉーアイリーンちゅわぁん。お坊ちゃまの子供ちんぽ刺激的だったかーい、いでっ」
「リンダ、そのくらいにしておけ。いくらなんでも酷すぎる」
氷のように冷静で切れ長の目が特徴的なスカーレットがリンダの額に手刀を入れて暴走を止めた。
「本当に昨晩は手違いで、その、添い寝しただけだって。わたしとカインさまはなにもなかったてば」
「おや、それにしては眠そうじゃない」
クスクスとフランシスとジェマがからかうように笑った。
「ふたりともぉ」
「ニュースニュース、ねねね、聞いた? 聞いた?」
くるくる巻き毛が特徴的なキャスリンが転げるように駆けて来た。
「またキャスリンか。また村のブチ猫が八つ子でも産んだのか」
ガートルードが靴の裏より興味がない様子で聞いた。
「なぜ、そのような冷たいお言葉を、ヨヨヨ。じゃなくて! 若ご主人さまがなにやら大変なことをーっ」
「大変?」
アイリーンが小首を傾げると二階の階段を均整の取れた美女が一党を引き連れて下りて来るのが見えた。
「げ、グレースのやつだ」
リンダが嫌そうな声を出す。
「あら、そこにいるのは昨晩ちょっとだけ幸運であったアイリーンさんとその他大勢のみなさんでがございませんか」
グレースがアイリーンを馬鹿にしたような口調で貶めると、その取り巻きが追従笑いをからからと上げた。
アイリーンたちが貧農出身を中心とした構成ならば、グレースたちはカルリエ領においても豪農といわれる名士層の家柄である。
このふたつの派閥はレオポルドに献上されたグループ内でもっとも対極的な立場にあり、水と油のように常に交わることはなかった。
「グレース。遠回しな嫌味なら聞きたくないの。用件があるのならわたしに直接どうぞ」
「フン。一度ばかりカインさまのご寵愛を受けたからっていい気になるのは気が早いのではないかしら。生憎、私たちはアイリーンさんと違って忙しいので今は遊んでいる暇はないの」
「なにを――?」
「アイリーン。グレースさまとわたしたちはカインさまから直接お召しを受けたのよ! ま、家柄や高貴さからいえば当然のことですけど」
取り巻きのひとりが自慢げにいい放つのを聞いて、アイリーンは鈍く自分の胸が痛むのを感じた。
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