第11話「夜這い」
気のせいではない。
同時に、ほとんど脊髄反射でカインは枕元に忍ばせておいた短剣を手繰り寄せた。
ゼンは別室で休んでいるし、この部屋まで来るには護衛の騎士が夜通し番をする地点を通過しなければならない。
――まあ、いい。
不幸中の幸いか。侵入者はこちらが気づいていることを察していない。まさか、このような夜半に異世界人がドッキリでもないだろう。
貴族の心得として不意の襲撃に関する心構えはカインの中に幼いころから醸成されている。
特に、今回のような重大案件ならば、このカルリエで代理領主がやって来たことで不利益を被る人間など、それこそ幾らでもいるだろう。
(逆にこっちで捕らえて吐かせてやる――ってアラ?)
毛布の中で寝返りを打とうとしてふと両足が痺れているのに気づいた。
こむら返りだ。
脚の筋肉が激しく痙攣している。
不用意に動くと声を上げてしまいそうだ。
――なんでだ? 慣れない旅で疲れすぎたせいか?
カインの動揺などさておき、侵入者は意を決したのかスルッとベッドの中に潜り込んで来る。
もはや、躊躇している暇はない。またその時間も余裕もない。なにせ身体は幼い少年なのだ。組み打ちになれば勝つことは不可能だろう。
「こ――のっ」
「きゃあああっ」
――はい?
思い切って抱きついた相手の身体は思いのほか柔らかであった。ふにょふにょと掴んだ指先を動かすと悲鳴に甘さが混じってゆく。
「ん、な、何者だっ」
「やあんっ」
カインが素早く侵入者をベッドから蹴り出して枕元のランプに火を入れた。素早く視線を床に移動させカインは「げ」という表情で動きを止めた。
そこには先日農村で出会い、屋敷で運命の再会を果たした赤毛メイドの姿があった。
「夜伽、とな?」
「そうです。先ほど食堂で坊ちゃまはしきりにあなたを見ていました。まさか気づかなかったとはいわせませんよ」
夕食後、執事のセバスチャンにそう告げられアイリーンは動揺のあまりに頬を引き攣らせた。
「身を清めて坊ちゃまの部屋を訪れなさい。鍵は渡しておきます。警備の者には私より話を通しておきますので」
否も応もない。
そもそもがアイリーンたちは先代レオポルドに対して側妾として贈られた身分なのだ。
事実、父母からはそのように因果を含められて屋敷に引き渡された。
年に数度の帰省こそ許されているが今や実質領主の跡目を継ぐこととなったカインに望まれれば自らの意思でどうこういうこともできない。
バクバクと心臓が鳴っている。
同室の者に細かく訊ねられたがアイリーンは答えられるだけの余裕がなかった。
清拭を行い、香油を遣って身体の大事な部分を保湿した。
屋敷は消灯の時間になると一斉に火を消され闇に落ちた。
「アイリーン、がんばれ」
部屋を出るとき声援を送られたが緊張はマックスまで高まっており生返事になってしまった。
しずしずと廊下を歩いているうちに、ふと我に返った。
(あれ? でもカインさまって本当に女を知っているのかしら?)
先日、実家に帰省した際に出会った少年がまさかカルリエ家の御曹司であるとはついぞ知らなかったが、アイリーンが知っているその人は未だ子供の域を出ていなかった。
夜伽に呼ぶということは、それ以外に理由がないが、執事のセバスチャンに聞いたところ新しい主の年齢は十歳に間違いなかった。
(な、なにかの間違いよね。そう、きっとカインさまも人恋しくってわたしを添い寝させるために呼んだだけ。そうに違いないわ)
考えてみればアイリーンの弟のひとりもカインと同い年の子がいるが、冷静に思い返せば女性に対する興味よりも食い気が勝る本当のおこちゃまであった。
(け、けど、貴族の御曹司は早熟だと聞くし。ああ、もう、どうすればいいかわかんない)
話がすでに伝わっていたのだろう。警備の騎士もアイリーンがカインの部屋へ行くのを止めなかった。
季節は晩秋である。はじめて纏った夜着は薄く冷たさが身に染みたし、なにより普段はまったく見ない若い男の前を通るだけでアイリーンは気恥ずかしさに顔を上げることもできなかった。
(よ、夜伽、夜伽……)
相手はほんの小さな子供だ。だが年が改まればすぐに十一になる。アイリーンは十二歳のときに屋敷に来たが、その際母親に男女のことを教えられていた。
闇に眼が慣れていたので特に明かりをつけることなく扉を開いた。
(お、重っ)
ぎいっと軋んだ音が鳴って扉が開く。
田舎育ちのアイリーンはやたらに夜目が利く。
(そういえば、ここはお館さまのお部屋なのね)
レオポルドは偉大な領主でありアイリーンは一歩部屋に足を踏み入れた途端、大きな悲しみに包まれた。
本来であるならばこの身はレオポルドに捧げるためであったが、圧倒的な為政者の前には自由意志など立て通せるものではない。
(そうっと、そうっと)
見れば主であるカインはベッドに埋もれたまま深く寝入っている。この先どのように振る舞えばいいのかアイリーンはまったく見通しのつかぬまま、それでも勇気を出して分け入った。
「え?」
アイリーンがベッドに身を滑らそうと毛布を捲り上げた瞬間、小さな身体が飛びついて来た。
ぐにゅりと両胸を鷲掴みにされた途端、悲鳴が自然と上がった。
自分の腰に腕が回された。
襲われる。
そう思ったのも束の間だった。
「何者だ」
「やああっ」
(い――づっ!)
悲劇のヒロインを気取る暇もなくアイリーンはベッドの外に蹴り出された。
モロに後頭部から床に落ちたのだ。
なんとか情けない悲鳴を上唇を噛んでこらえた。
ランプに火が入れられ、小さな明かりの中にカイン
の困惑したような顔が映った。
――想像していた運びと違う。
「え、ええと。こんな夜更けになにか用か」
少年がいかにも取り繕ったような言葉を投げかけて来た。
(酷い。いや違う。本当はもっと酷いことをされると覚悟してきたのに。これじゃあ、あんまりよ)
「よ、夜伽を、仰せつかりましたアイリーンでございます」
なんとかそこまで伝えたが、もう限界だった。
この主はアイリーンがなんのために恥ずかしい思いを耐えてまで、夜這いのような真似をしたと思っているのだろうか。
――なんかこう、なんか、こうあるじゃないの、ふつう。
確かに相手は十歳の少年であるが歴とした貴族だ。ならばこういった場合の女性に対する扱いくらいは心得ていて当たり前だろう。
意を決したアイリーンの行動自体がまるで戯画的なものに貶めされた。
少なくとも少女はそう感じ、酷く傷ついたのだ。
「わ、わわっ。ちょ、ちょっと待った。泣くなよ、なあ、泣かないでくれ」
「ふえぇ、だ、だ、だって」
ボロボロと涙が自然に溢れて視界と頬が熱くなる。
見えない。
なにも見えなくなる。
「と、とにかくこの寒いのにそんなところに座り込んでちゃ風邪を引く」
カインは優しかった。
滂沱の如く涙を流す滑稽な側女をベッドの上に引き上げ、優しい手つきで背中をさすってくれたのだ。
――落ち着くまでそれなりに時間を要した。
「落ち着いたか?」
「はい、取り乱して申し訳ございません」
カインはゲッソリと疲れた様子で苦笑いを浮かべていた。
同時にアイリーンはセバスチャンの気回しがまったく明後日であったことに気づき、静かな怒りを胸の内に抱きはじめていた。
「そうかセバスにいわれて来たのか。アイツめ余計なことを」
気分が落ち着くとアイリーンはこんな夜更けに異性と同じベッドにいることが無性に意識されて恥ずかしくなった。
こうなるともうダメだった。
まともにカインの目を見て話すこともできなくなる。
「なにか、余計な気を遣わせてしまって悪かったな。もう、戻っていいぞ」
「は?」
――戻れ。
確かにそういったのが聞こえた。
全身がブルブルと震えだす。
ああ、やっぱりこの方は子供なのだ。
女の気持ちなど微塵もわかっていない。
「ちょ、だからなんで泣くんだよ! ああー」
アイリーンにも面目というものがある。すでに同輩たちには主人であるカインのお召しを受けたということが伝わっており、朝を待たずに部屋を出されたことがわかればどのように思われるかは明白だった。
今度は先ほど違ってはらはらと薄く涙が零れて来る。
「……すまない。今のは忘れてくれ。今晩はとりあえず泊ってゆけばいい」
こちらがゴリ押しした形はなんだか納得行かなかったが。
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