第8話「負の遺産」

「にしてもスッゲー部屋だ」


 調度品はやたらに金がかかっており、カインが見てもわかるほど品がよい。


「博物館で休んでるみたいだ」


 ここには現実感というものがまるでなかった。

 革張りのゴツいソファの反発力をしばし楽しんでいると、扉の外からノックの音が聞こえた。


「……お入り」

「失礼いたします」


 かちゃり、と扉が開いて二十くらいの美女が茶を運んで来た。


(うぉう。ビューティフル&ワンダフル)


 上品なブラウンの髪をアップにしたメイドだ。

 落ち着かなくなってソファを手で押していると、わかるかわからない程度の上品な笑みを浮かべた。


(なんというオッサンキラー。これはひとたまりもないな)


「カインさま。カルリエ特産の茶葉は王都の物にも引けを取らないと自負しております」


「そうか。なら、楽しみだな」

「お待ちくださいませ」


 ――妙だな。


 某少年名探偵ならばそう思うやり取りだ。


 普通の貴族屋敷仕えているメイドなら絶対に自分から主に声をかけたりはしない。


 こちらが十歳程度の少年とわかっていても、カルリエ家の惣領であるカインに対して初見では無礼すぎる対応と貴族社会では取られる。


(まあ、おれはそんなことは気にしにないが。けど、セバスもいないから安易に話しかけて来たんだろ。さあ、これを舐められてると取るかどうかだ)


 淹れてくれた茶をそっと口に運ぶ。


 確かに褒めるだけあって香気は王都のものと引けを取らない。


 メイドはカインの脇に控えている。


 そっと見上げると「どうだ」とばかりに小さく胸を張っているのが、どこかアンバランスでカインにとってはかわいく見えた。


「大層美味いな。ええッと――」

「ジャスティンです。以後お見知りおきを」


 艶やかな髪がゆるくウェーブして輝いている。やや、ぽってりしている厚めの唇はぷりりんとしていてセクシーだ。


 照れ屋のカインと違いジャスティンは真っ直ぐに眼を見て話すので、気圧されるが態度に出さないよう努めた。


「そうか、ジャスティン。美味しい紅茶をどうもありがとう」


「いえ、お気になさらず。カインさま」


 一瞬だけ間を置いて、ジャスティンは先ほどと違った確かな親愛を感じることができる笑みを浮かべた。


(なんだ、ずいぶん愛想がいいじゃないか)


「戻りました坊ちゃま」


 ニコニコとほのぼのした表情でカインたちが見つめ合っているとほどなくしてセバスチャンが戻った。


 同時にジャスティンからスッと笑顔が消えて、無味乾燥なくらいのお辞儀をし部屋を出てゆく。


 この意味を考えているとセバスチャンは脇に抱えた資料を手際よくソファの前に置かれたテーブルへと並べてゆく。


 透明なガラス張りのテーブルには半分ほど茶が残ったカップがまだ湯気を立てている。


「これがカルリエ領に関する資料か」


「はい、とはいいましても税に関する大まかなもので、詳細をお知りになりたいのならばなにしろ量が多いもので資料室まで足をお運びいただきたく存じます」


「これだけの量を目を通すのも億劫だ。ハッキリいって、今年の秋分から税収が王都まで滞っている。セバスが知っている今のカルリエ領に関して簡潔に教えて欲しい」


「そうですか。それでは口で説明するよりも実際のところをご確認いただいたほうがよろしいでしょうな」


 セバスチャンの口調が平坦になる。

 妙だな、とカインは眉を顰めた。


 先ほどまではフレンドリーとはいえないまでも、彼の口調には温度があった。


 だが、カインに語りかける声が努めてなんらかのマイナスなものを載せていると感じさせる音に変化していた。


「こちらへ」


 部屋を出たセバスチャンに続く。

 廊下には先ほど見たメイドたちがズラッと並んでいた。


(うわっ。壮観だな)


 息を詰めてカインとセバスチャンの様子を窺っていたのだろうか、屋敷の玄関で出迎えたときの余所行きさが減じている。


 皆、一様に礼を尽くして姿勢よく立っているが、無言なだけに余計圧力を感じた。


 無言であるが、彼女たちの瞳にはカインに対する尽きない興味が色濃く浮かんでいた。


 廊下一杯に若い女独特の体臭のような甘さや香水の匂いが漂っている。


 カインはむせかえるような女独特の空気に目を白黒させた。


 セバスに案内される形でカインが続く。ゼンが戸惑ったようについて来た。セバスチャンが一瞬気にしたように瞳を動かした。カインは視線を合わせて無言で「よい」と主人らしく意を示すとセバスチャンは特になにもいわず再び機械のような正確さで歩き出した。


 長く暗い廊下を歩き、階下に降りてしばらく歩いた。


 ――王都の屋敷よりもずっと広くて大造りだ。


 造作は古めかしさがつき纏うが、安っぽさは微塵も感じない。木材の質が根本的に違うのだ。重くみっしりと詰まった物である。豪奢な家屋に慣れていてもカルリエ家の伝統と重みがずしとカインには感じられた。


 長い廊下をズンズン進む。

 静寂が横たわっておりカインはなんだか気が滅入って来る。


 そうしてたどり着いた。

 奥まった一室だった。


「こちらにカルリエ家の財が貯めてございます」

「うん」


 案内された部屋の扉は古くて厳めしかった。

 ぎい

 と、音が鳴ってセバスチャンの手で扉が開かれる。


(さあ、鬼が出るか蛇が出るか)


 部屋の中央には巨大な箱が置いてある。

 カビとホコリが入り混じった独特の空気が沈殿している。


 セバスチャンが取り出した鍵を回し入れると固い金属音が鳴って開錠される。


「な、ななな」

「なんですかいこりゃあ! カラッポだ!」


 ゼンがカインに代わっていいたいことをいってくれた。


 ――金庫の中は見事に空だった。


 カインがよろめいて背後の棚にぶつかるとドサドサッと大量の書簡が落ちて来る。


 たちまちカインとゼンは紙切れの山に埋もれ身動きができなくなった。


「な、なんだよ、コイツは」

「質札と借金の証文でございます」


 濡れた犬のようにカインはブルブルッと身体を震わし、書類の束を吹っ飛ばした。


「そんなことを私はっ……もういいや、現実を見ることにする。ハッキリ聞こう。カルリエ家の財政が最悪なのはわかった。一体、今、この家にはどのくらいの金があるんだ」


「ございません」

「は?」


「むしろマイナス。現在カルリエ家の借金は総額五十億ポンドルほどになります」


 日本円にして約五千億円。


 カインは白目を剥いて悶絶しそうになった。


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