第7話「老執事」

 そして翌日。


 馬車は瞬く間にカルリエ屋敷を見下ろせる丘の上にまで到達していた。


 無論、カインは村の少年と交換した野良着を脱ぎ捨て、身体を清めてゼンが用意した服を着込んでいる。


「なあゼン。これじゃあまるで猿回しの猿だ。もう少し控えめの服があっただろう。アレを出せ」


「なんでですか? とってもお似合いですぜ」


「このキンキラキンをいいというのか。狩り用の動きやすいやつがあっただろ。少なくともこんな尖がった靴は私の趣味じゃない」


 貴族用の服装は現代日本からの転生者であるカインからしてみれば不必要なほどに装飾が施されており、靴などは異様に尖がりどこかにぶつけたらポッキリいきそうで怖い。


(少なくともおれの感覚からいったら、コイツはピエロそのものだ)


「いいと思うんですがねぇ」


 ブツブツいうゼンを説き伏せカインは深紫を基調とする服に着替えた。朱色の外套は派手過ぎると思ったが、そこは大人なのでなんとか折れる。


「もうお屋敷ですか。名残惜しいですなぁカインさま。それがしもここまで来るとなにやら離れがたい気持ちで一杯ですぞ」


「ガーランド、なら王都に戻らず私とカルリエに住むか?」


「……」

「冗談だ」


(無言で泣くなよ。そんなに田舎がイヤなのか)


「お久しぶりでございます坊ちゃま。覚えておいでですか。執事のセバスチャンにございます」


 屋敷の前に馬車を停めると老齢の執事が佇立して出迎えていた。顔つきから年齢は六十歳を超えているだろう。けれどもピンと背筋が伸びて姿勢がよいので矍鑠としている。


「セバスか。ご苦労。父上に代わって領内を取り仕切ることとなった。力になってくれると大変うれしい」


「仰せのままに」


 王家からの正式な通達によってカインの父ニコラ伯爵はカルリエ領を先代レオポルドから引き継いで治めることとなった。


(しかし、どう見てもおれの姿はガキだろうに、まったくもって礼を崩さないとは。身分ってのはスゲーな)


 セバスチャンは老齢ながら一九〇近い身長だ。一四〇そこそこのカインが見上げるとそっくり返りそうになる。威厳のある風貌に堂々とした貫禄だが言葉遣いも所作もセバスチャンはあくまでカインを最上級の態度で敬っていた。


 チラリと傍らのガーランドとゼンを見た。


 ――是非とも見習って欲しい。


「私は期間限定の領主代行といったところだよ。あとで詳しい話を聞かせてくれ」


「坊ちゃま。まずは旅の疲れを癒してください。私がご案内いたします」


「よろしく」


 カインはセバスチャンと既知である。


 正確には王都に祖父レオポルドが登城した七年前一度だけ会ったきりである。


(よく覚えてるよなー、おれ)


 三歳児であった当時、転生者であったカインはすでに成人としての人格と知能があったがレオポルドの印象が強すぎて執事のセバスチャンに対する記憶は薄かった。


(まあいい。とりあえずはセバスのいう通り一服してから領内の財務関係をひと通り調べておかなければ)


 王都を旅立つ前に詰め込んだカインの知識ではカルリエ屋敷は祖父の隠居所であり、実務はここから離れた都城リン・グランデでレオポルドの弟であるリューイ伯爵が代理として執っている。いわゆるカインから見れば大叔父にあたる存在はよく知らぬが、老齢な上に病で臥せっているという。


 十歳とい年齢は早熟な貴族社会でも子供でしかないが生まれつき壮健であるカインの知性と判断力のほうがマシであると父ニコラは判断したのだろう。


(無理でもやるしかないのだ)


 屋敷の外観はとにかく凄まじかった。


 隠居所という体で建てられたものであったが、さすがに王国有数の大貴族にして生ける英雄の終の棲家に相応しい豪奢なものだ。


 一見して華美な色合いを排しているが、見るものが見れば建築材に最高級の木材や石を惜しげもなく使っている。これは長らく王都で暮らしたカインの磨かれた審美眼からして他国の賓客をいつ迎えても恥ずかしくない建築物であった。


(それに比べると王都の屋敷は今風を気取るあまり、コレに比べれば安っぽさが拭えない。いや、ニコラとレオポルドの人生観の違いなのだろうか)


 セバスチャンが指図すると控えていた下男が入り口の扉を開く。


 ――カインは絶句した。


「いらっしゃいませ、カインさま」


 玄関口のスペースや目の端々にとまる屋内の荘厳さも凄かったが、ズラッと両側に並んだメイドたちの美しさには息を呑んだ。


(な、ななな、なんだこりゃ?) 


 咄嗟に数を数えてしまう。全部でぴったり五十人いた。


 いや、ここで問題なのはメイドの数ではない。

 その美しさだ。


 幼少のころから貴族の社交界に幾度も出ており、美人は見慣れていたはずだが、それらは今思えば化粧や衣服で補っていたところが大きい。


 ――どう考えても顔やスタイルで集めたとしか思えない美女たちがスッと腰を折り曲げカインを出迎えているのはその際立った容姿の素晴らしさからむしろ異様だった。


「当家のメイドたちでございます。さ、カインさま。二階でゆったりとおくつろぎを」


 ガーランドが硬直している。

 無理もない。


 彼は呆気に取られた表情でカイン以上に固まっていた。


(ん、んん。たまげたな。まあいい、とりあえず今は脳と身体を休めよう)


 できるだけ平静を取り繕いセバスチャンを従え歩き出すが、転生前のオッサンだった経験などこの場ではなんら役には立たなかった。


(おおう。古代中国の皇帝が後宮を訪れたときったこんな感じなのか?)


 などとくだらないことを考えながら次第に頭が冷えて来た。


 メイドたちの服装は黒がメインのシックなものだが、むしろこのお仕着せでは着ている者の誤魔化しがきかないだろう。


 冷静になれば彼女たちの年齢が若年層だけで構成されていることに気づいた。


 上は二十そこそこから下は五、六歳くらいまで揃っている。


(よく見りゃ今のおれくらいの歳の子もいるな。なんでだろ? どう考えてもこの子たちが家事をやってるようには思えない。やっぱ貴族だから爺さまも助平だったのだろうか)


 てくてくとメイドの列の中を歩いていると、印象的な赤毛のメイドが目を伏せながらわずかに頬を震わせているの気づいた。


(てか、さっきの村の娘か!)


 ――なんちゅうか猛烈に気まずい。


 まさかあの時出会った小汚い小僧がカルリエ家の領主代行とは夢にも思わなかったのだろう。


 声をかけたほうがいいのかそれとも気づかなかった振りをすればいいのか。


「は!」

「どうなされましたか、坊ちゃま」


 セバスチャンの声。


 気づけば二階の談話室のソファに腰を下ろしくつろいでいるカインの姿があった。


「いや、別になんでもない。気にしないでくれ」


「そうでございますか。それでは、一度書類を取りに行ってまいりますので。ここでしばしお待ちを」


 部屋にはひとりきりである。

 ゼンも扉の外で待機している。


 ――ようやくひとりになれたな。


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