第5話「野盗の群れ」
心臓の音が高く強く鳴り響いている。
せわしない呼吸音が限界まで達したときカインはようやく足を止めた。
真っ暗な闇の中だ。
土地勘のない森を無我夢中で駆けた。
逃げ切れたのか。
だが忠僕であるゼンともはぐれてしまった。
さて、これからどうしたことか。
ハッハッと背を反らして腰に手を当て心を落ち着けた。
まがりなりにもカインは領主の子息である。
一行を襲った野盗たちも今ごろは、馬車に刻まれたカルリエ家の紋章を目にして自分たちが誰に手をかけたのか気づくだろう。
そして恐れおののき退散を決め込む。
田畑を荒らし無防備な農民や旅人を襲ったのとは訳が違うのだ。
それまでは――。
なんとしても己が安全を確保し続けなければならない。
このゲームは首を取られれば終わりなのだ。
草むらにしゃがみ込んで息を整えているとやたらに意識が希薄になってゆく。
――ねえ。
遠くで声が聞こえる。
――ねえってば。
身体の関節に鉛が埋め込まれたように重い。
――起きなきゃ、ダメだよ。
カインは疲れ切っていた。
酷く億劫だ。
強烈な眠気がすべてを支配してゆく。
――起きなきゃ終わっちゃうよ。
うるさいな。
「きゃ」
カインが気だるげに頭の上を手で払うと女の甲高い悲鳴が響いた。
(な、なんだ。今のは?)
意識が一気に覚醒する。
幻聴に一喜一憂するのはそこまでだった。
「おい」
「そこでなにしてやがる」
低い声――。
独特の訛りは王都であまり聞かぬ。
このカルリエ地方独特のものだ。
木々の向こうには幾つもの松明が赤々と灯っている。
野盗たちが追いついたのだ。
(何故だ?)
「女か。イイ匂いがプンプンしやがるぜ」
このときカインは消臭用に濃い香水を衣服に炊き込めたこと自分の無思慮を呪った。
まるで野獣のように鼻が利く男たちである。
(犬並みだな)
声を上げて身分を告げようと思ったが、ギリギリで思い止まった。
実際問題、この暗がりでは声変わり前の自分の声では女性にしか思われないだろう。
それに母親譲りのカインの美形では血に餓えた野獣の前においては性別など無視される可能性が高かった。
純粋培養された貴族の少年と野良で荒れた農家の女とではどちらを選ぶだろうか。
(クソ。多数決取ってる暇もないな)
やんぬるかな。
覚悟を決めた。
もっとも殺し合いではない。
少々剣術を習ったかといって、大人の膂力に勝てるわけもない。
搦手で勝負する。
剣豪小説ではないのだ。
修羅場をくぐったことがない少年がバッタバッタと初陣で大人を斬れるわけもない。
奇襲あるのみ。
「よっ、とっ」
カインはすぐさま身軽さを生かして木立にするすると駆け上り、敵勢から身を隠すと同時に攻撃しやすい地点を確保した。
闇の中で灯る松明は敵の位置と数を容易に教えてくれた。
(敵は全部で六人か。多いと見るか、少ないと見るか)
一気に決めるしかない。
カインは袖をまくり上げて腕を伸ばした。
ひやりと冷たい樹木の感触がひたすらリアルだ。
幹に手を当てて精神を集中する。
イメージ。
錬成術には深く細部まで神経の行き届いたイメージが要求される。
切羽詰まった状況が功を奏した。
樹木を通じて大地に干渉し錬成を行った。
バチバチッと魔力がスパークして瞬く間に土から鉄製の棒が姿を現した。
男たちの立つ位置もよかった。
一カ所に固まっている。
カインの錬成した鉄の棒はみるみるうちにひとつのボックスを形成すると野盗たちを捕獲して閉じ込めたのだ。
「うおっ」
「なんだこりゃっ」
鋼鉄製の檻である。
ひとつひとつの鋼鉄の格子は子供の腕ほどもあり、虎だろうが獅子だろうが噛み切ることができないほど堅牢だった。
声を立てずにするすると木から降りる。
同時にカインは激しい立ち眩みを覚えてその場に片膝を突いた。
(こりゃ多用できないな)
全力疾走したくらいに鼓動が弾んでいる。
剣を錬成したときとは規模も細密さもまるで違う。
貯めにかかった時間もかなりある。
自分の未熟さを痛感した。
(四メートル四方の檻。それぞれに二十五本の鉄格子を並べて、それが四面だとすると。剣一本を生み出す錬成術の消耗度と比べて……ああ、クソ。単純に考えて百倍以上の疲労度か。そりゃ疲れもするわ)
そんなことを考えながらフラフラと森をさ迷った。
途中、小川に嵌まりずぶ濡れになった。
寒いなどというもんじゃない。
野盗の群れからかなり遠ざかったが、単純な恐怖心と疲労度がカインに火を熾させる勇気と手間をもぎ取った。
夢遊病者のように木の洞を見つけて野生動物のように潜り込んだ。
「大丈夫、おれは死なない。なぜならディスカバリーチャンネルよく見てたから」
世界を呪いながら眠りについた。
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