第4話「都落ち」

「安心しろ。カルリエの土地は王都ほどの賑わいはないが、自然は豊かで食い物も酒も滅法美味い。忠実な騎士は四千を超え、民は優良にして忠実。いくらおまえが年少だといえども、ワシ譲りの才覚があれば滞った税を徴収することなど造作もないだろう」


「えーと、それならば父上が代官と徴税官を派遣すれば済むことなのでは?」


「馬鹿者。おまえはそういうところは子供だな」

「子供……」

「そやつらに道中でちょろまかされたらどうする」


「カイン、お父さまのおいいつけに従いなさい。田舎は危険よ」


 ニコラとルイーズがここぞとばかりに声を大にする。


「……ならばなおのこと私が行くのは問題なのでは?」

「おまえは大丈夫だ。ワシに似て賢いし切り抜けられる」


「ええ、でも」

「大丈夫だ」


「でも」

「大丈夫」






「で、現在こうしていると」

「説明になってませんぜ、若さま」


 翌日――。


 カインはゼンとお供の騎士、それに幾何かの警護の兵を引き連れ勇躍、故郷カルリエの地へと領主代行として向かっていた。


 高速馬車はガタンゴトンと轍の小石を拾い大きく弾む。


 サスペンションもダンパーもないので乗ってるカインの身体も跳ね放題だ。


 さすがに我が子の凱旋を飾るためかニコラも相当に高価な馬車を気前よく用意したものだが、カインにしてみれば歩くよりかは疲労度が幾らかマシという程度だ。


 揺れに揺れる馬車の上はさながらジェットコースターのようだ。


「ゼン。カルリエまであとどのくらいだ?」

「三日もすれば着くんじゃないでしょうかね」


「あいまいだな」


「地図だとそうなってるんですよ。だいたいあっしはカルリエに行ったことがないんで」


「そうだったな」

「しかし王都を出ると空気が旨いですなー」


 コボルトのゼンは窓から景色を見る余裕まであるがカインはそれどころではない。


 上下のアップダウンで身体の中がぐらぐら揺れて眩暈までする始末だ。


 晩秋の風は皮膚を鋭く切り刻むようにひたすら冷たく痛かった。

(う、胃を鷲掴みにされておもっきしシェイクされてるみたい)


 ゼンがいうようなほど景色がよいとはとてもではないがいい難い。


 王都を離れるに連れ人工物は消え、自然は増えたが生物の気配すら感じ取れない荒涼さが際立っている。


 カインの心は波立つどころか薄ら寒さを感じ芯まで凍えた。


「しっかし、思い切りのよいことをなさった。若さまが無鉄砲なことは知っていましたが、まさかロクな供も連れず、お父上の代わりに領地経営とは。なにか目算があってのことですかね」


「ない」


 嫌だダメだと年齢通りの子供のように突っぱねることは不可能ではなかったが、カインはカインで一度カルリエに赴き確かめたいことがないでもなかった。


 これでもかとばかりに馬車を走らせ、街道沿いにようやく野営地を決めた頃には夜空には無数の星々が瞬いていた。


 カインは四つん這いになってひたすら青い顔をしていた。


 騎士たちが兵を指揮してあたりに天幕を張り、竈に火を焚いて朝餉の用意をしている。


 ゼンは川から汲んで来た水を浸した手拭いでカインの額を冷やしていた。


「吐けるだけ吐いちまったほうがいいです。グッと楽になりまさァ」


(情報サンクス……)


 無言のままゼンに礼をいう。


 天幕に転がり込んで簡易ベッドに潜り込むと夢も見ずに寝た。






 カルリエ領が近づく頃にはカインもさすがに慣れて吐き気を覚えることはなくなった。


 ――思ったよりも緑が多い。


 領主の馬車が通るというので沿道はさすがに念の入った清掃がなされていたが、通る村々はカインの眼からして酷く貧しげに見えた。


「随分とのどかな村じゃないか」


「そうですか? ここいら一帯は若さまの前じゃなんですが、貧相ですな」


「……」


 正直でよろしい。

 自分はゼンのものいいに慣れているが、同席している騎士が兜の下で眉をピクリと動かすのを見逃さなかった。


「カインさま。領民たちの出迎えが見えまする」


 警護隊長の騎士ガーランドが錆びた声で窓の向こうに視線を向けるよう促す。


 沿道には無理やり動員されたとわかる村人たちがカルリエ家の紋章である“剣に二匹蛇”を印した小旗を振っていた。


「このように領民に愛される領主はカインさまの父上だからこそですぞ。いやぁ、うらやましいことですな」


(テメェはおれを領地にポーイしたら王都に戻るんだろが)


「そうかガーランド。なんならおまえも私と一緒に残っても構わんのだぞ」


「え! い、いやぁ、あのぉ、そのぉ、それがし、近頃年のせいか腹の調子が悪くぅ、水が変わると下すのですよ。ぬううっ、この我が身の不調が恨めしい。カルリエ家一の忠儀の士といわれたそれがしがぁ、不甲斐ない。あと、それがしが十、いや二十ほど若ければ喜んでカインさまのお供をいたすのですがぁ……」


 ガーランドは口惜しそうにハラハラと涙を流しながら窓枠を拳で打ちつける。


「君、まだ三十二だよね」 


 めたくそ猿芝居が下手な忠儀の士だった。


「ん、ここで一泊するのか?」


「はい、カインさま。事前にお屋敷へとご連絡を差し上げてから。使用人たちや村人も歓迎の用意があるでしょうし。時間の余裕を持たせてやるのも主人の務めですぞ」


「余裕ねぇ」


 つまりガーランドがいうには領主代行である自分がこれから暮らすであろう屋敷の者たちへと物心両面から準備をするときを与えてやる時間が必要ということだった。


 カインが向かっているのは実際に祖父レオポルドが終の棲家としていたゴッタール村の屋敷である。


(おれは別に心の準備なんかはいらないけど。領民の人々は振り回されて大変だね)


 思えば不便な野営暮らしもこれでおさらばとなるとちょっぴり感慨深い。


「カインさま。ここまでくれば、もはや外敵を気にかける必要もありますまい。なんといっても、ここらはすでにカルリエ家のお膝元ですからな。ははは」


 呵々大笑するガーランドの表情にもはや使命を達成しかけたも同然という余裕がクッキリ浮かんでいた。


 ――数刻後。


 夕日が落ちると同時に百余を超える野盗の一団が猛然とカインの幕営を強襲した。


「なんでやねん」


 五人の騎士と二十人の兵が全力で野盗を撃退しているようだが、多勢に無勢である。


(つーか、これは元々勝負にもならないのじゃないだろうか)


「若さま。今、ガーランドさまたちが全力で野盗と戦っておられます。三十六計なんとやらと。さっさと逃げましょう!」


 寝巻にナイトキャップを被ったゼンがコボルト特有の長い舌を出し、呼気を荒くして怒鳴っている。


(え、嘘。もしかして、ここで、こんなところでおれ死んじゃうのか?)


「ところで連れて来た兵隊はどうしている?」

「ンなもんとっくに散り散りになって逃げましたよッ」


(さいですか)


 真っ先に逃げた兵たちは王都で徴募した人間たちだ。

 ここでカインのために命を捨てる義理もなければ見合うほどの給金も払っていない。


 一方、ガーランドたちは王都出身であるが親族の大部分は未だカルリエの土地にいる。


 武運拙く敗れて野盗に殺されるのならともかく、領主の息子であるカインを置いて逃げれば、一族全員縛り首は免れない。


 そういった意味でへっぽこであっても騎士たちは信用できるが、このまま躊躇していればカインの命も風前の灯である。


 ――まったくもって貧乏くじを引いたものだ。


「走って走って走って!」


 ゼンの声に急き立てられるようにしてカインは見知らぬ村の夜道を走りはじめた。


 のちに王国の歴史に名を刻む少年の伝説――。

 非常に冴えない筆致で史書へと記された。


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