二話 負け犬の夢想曲(トロイメライ)


「いい加減にしなさいよ」

 舞踏会も終わり、偶然居合わせた知人や遠い親戚に挨拶を終えたアリスは暴れるシーザーを連れて馬車に揺られていた。

「だから、下ろせ! 俺だけでもシエルとエルピースを助けに行く!!」

 あんまり暴れるので縛り上げられたシーザーは、それでも大人しくなることはなく足をばたつかせ馬車の中で大騒ぎである。その様子につまらなそうにため息を吐き、アリスはシーザーの髪の毛を突然乱暴に掴むと顔を間近に近付けてにっこりと微笑んだ。

 その迫力に気圧されシーザーは動きを止めた。

「じゃあなんであの時エルピースと一緒になりふり構わず助けに行かない? 絶対安全な状況で、吠えるのだけは一人前だな?」

 髪の毛を掴む力が余りに強い、シーザーはその痛みと言葉に何も言い返すことが出来ず黙り込む。アリスはにっこりまた微笑んで手を離すとシーザーの縄を解いたので、シーザーは大人しくアリスの目の前の席に座りその様子を伺った。

 見られていることを分かっているのだろう、アリスはどこか不遜な笑みを浮かべると、馬車の小窓から外を見つめる。

「既に探りは入れておいたわよ。シエルは自室で寝込んでいる、エルピースは取り逃がしたって事になってたけど……恐らく捕まってるんでしょうね。ジークルーネまで奪われたのは失敗だったわ……」

 目を閉じて、心底面倒臭そうにアリスは溜息を吐いた。恐らくそれが本心なのだろう。シーザーは悔しげに眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締める。

「エルピースまで……俺が不甲斐ないせいでっ……」

「そうね~あんたの所為だと思うわよ、私も」

 アリスは口角を上げ楽しげにしている。シーザーはその様子に頭に血が上りかけたが、すぐに深呼吸をしてその気持ちを抑え込むと「その通りだよ」と力なく呟いた。

「あら、素直ねぇ」

「俺はまた、逃げたんだ……エルピースに任せて逃げちまった……情け無ぇよ、情けなくて自分で自分を殺してやりてぇ……」

 ズボンを握りしめる両手は震えていた。強く強く握っているのがわかるほど服は皺くちゃになっている。

 その様子を見てもアリスは表情を変えることなく椅子に深く座り直した。

「なんだ、つまらない」

 そして聞こえない程度にぽつりと呟きながら馬車の外を見て、アリスは目を瞠った。

 闇夜にチラリと浮かび上がっただけだったが、確かに今道の外れの原野をレイブンが屋敷に向かって駆けて行くのが見えた。ボロボロのマントにフード、見間違えようが無い。

 アリスは口角を上げた。リストランテでホークにエルピースの為だと試しに連絡をさせたのである。そうすればピンチになった時、助けに来てくれるだろうと。

「まさか本当に来るとは思わなかったけど」

 次いでアリスはシーザーに視線を戻すと急に気持ち悪いほどに目と口で笑顔を浮かべてみせた。その表情に気付いた瞬間シーザーが不気味さの余りに後ずさるほどであった。

「まぁまぁ、結果的にあんたの行動は大正解だったわよぉ? たくさんお手伝いしてもらっちゃおうかなぁ?」

 アリスの手がわきわきと動く。そしてなぜか舌舐めずりをしてじわじわと迫ってくるアリスに、シーザーは心から悲鳴を上げたが、助ける者が居る訳も無く、馬車は激しく揺れながら夜はさらに更けていくのであった。



「何なんだよこれはぁ!!」

「似合う似合う」

 アリスに身ぐるみを剥がされもう終わりだと神に祈ったのも束の間、頭から何かを被されて気づけばシーザーは女の子のようなドレスを着せられ鬘を被らされ、鏡を見せられた自分はまるで妹のような姿をしていた。

 その自分の気持ち悪さにシーザーはわなわなしていたが、アリスは満足げに頷いている。

「アンタってよく見ると目は青いのよね。髪の毛は残念ながら茶髪だけど、その鬘は特別製の金髪だからまぁ、そう簡単にはバレない筈よ」

 シーザーは首を傾げる。するとちょうど目的地に到着したのか馬車が止まった。

 アリスは先に馬車を降りると、有無も言わさぬ笑顔と視線でシーザーに手を差し出した。

「さぁ、お手をどうぞ……お嬢さん」

 にっこりと、笑っている。

 しかしその笑顔は少しの間一緒に居ただけでも分かる、合わせ無ければ殺すと言っていることが。

 シーザーは必死に恥ずかしさを押し殺すと、嫌で嫌で嫌で仕方がなかったが、ええいままよ! と目を瞑ってアリスの手を取り、馬車から降りる。すると慣れないドレスのヒラヒラのせいで、見事裾を踏んづけて躓いてしまった。

「おっと、マドモアゼル……」

 しかし、それはアリスがシーザーをお姫様抱っこする形で事なきを得た。いや、シーザーの心中はまったく事なきを得ていない。大切なものが音を立てて崩壊中である。先ほどの寒い台詞で鳥肌がすごい。

 シーザーは真っ白になった。自分は今この男に何をされているのか、いやこれから何をされるのか。

「アリス様! その方は?」

 と、不意にアリスでは無いやけに甲高い声が響いてシーザーの意識は現実に引き戻された。

「舞踏会の帰り道に街で出会いました。どうやら宿がないご様子で……それならばと私が招待したのです」

 シーザーは光の速さでアリスを振り返った。薄ら寒い紳士的な笑顔を浮かべ手を胸のあたりに添えながら好青年と言った喋り口調である。

「そんな……! このようなどこの馬の骨かもわからない……っっ」

 シーザーは次に、アリスの目の前までやって来て何やらやきもきしている女性に目をやった。薄茶の長く揃えられた髪と、清楚な桃色のドレスに着飾った茶色い目、エルピースと同じ歳のほどだろうか、とは言え背はシーザーより少し高く、発育もエルピースよりずっと良いため、大人っぽく見える。気持ちアリスに見た目が似ているようにも思う。

「くっっ可愛いじゃない? 私ほどではないけれど!!」

「もちろんです、シャルロッテお嬢様」

 自分をあからさまに睨みながら対抗心剥き出しで睨みつけてくるシャルロッテと呼ばれた娘に困惑しつつ、さらりと笑顔で言ってのけるアリスに寒気が止まらない。しかし、直後シャルロッテは顔から火が出るのではないかと言うほどに顔を赤くすると見るからにあたふたして持っていた扇で自分の顔を隠してしまった。それをシーザーは、全く女という生き物はこんなあからさまな歯の浮く台詞が好きなものかと、至極冷めた視線で見つめている。

「ま、まぁ別に……一晩くらい?」

 それからシャルロッテはまだ顔は真っ赤だが少し落ち着いた様子でシーザーを舐め回すように見始めた、値踏みをしているのだろう。貴族らしい事だ。

「……アリス様、この子……」

「えぇ、キルナ出身だそうですよ」

 その言葉にシャルロッテの瞳が見開かれる。そして先ほどまでとは打って変わって羨望の眼差しをシーザーに向けた。

「ねぇ! キルナってどういうところなの!? 噂では夜空に七色の光が煌めくんですってね、それはまるでヴェールのようだとか……!」

「シャルロッテお嬢様、この子はどうやら喋れないようなのです。そろそろ疲れているようですし、休ませてあげてください」

「あ、そ、そうなのね! 婆や、婆や! この子の寝所を用意してあげて」

 シャルロッテの声にすぐにメイドがやって来た。シーザーを寝所へ案内してくれるようだ。アリスはと言えば、そのままシャルロッテに捕まったようで、少し不安げに振り返るシーザーにひらひらと手を振るだけだった。

「キルナのあんなに綺麗な女の子が来てくれるなんて、我が家にも何か幸運が訪れますわね、きっと! ピエール子爵がキルナの娘を養女に迎えたでしょう? 実は悔しく思っていたんです! 家柄でしたら我がアルセーヌ家の方がずっと上ですのに!」

「そうですね、では私もそろそろ部屋に戻りますね」

「あ、あらそうね、アリス様もお疲れですわよね、お引き止めして申し訳ありませんでしたわ」

 アリスがニッコリと微笑めばシャルロッテはまた顔を赤くした。それに見向きもせずに背を向けると、間借りしている自分の部屋へと歩き出す。

 ここはアルセーヌ家の分家の屋敷である。自宅は王都にある為、ジークルーネ捜索に当たってはこの面倒な従兄弟が居る屋敷を間借りするほかなかったのだが、やはり自分を恋い慕う相手への対応は面倒だ。どこか冷ややかな瞳でアリスは自室に入ろうとしたのだが、すぐ横の部屋からバタンと飛び出して来た鬘のズレたシーザーに、急ぎその身を掴んで自室に引っ張り込んだ。

「何してんのよ! 鬘取れたらバレるでしょうが! そんな格好で部屋出るんじゃないわよ!」

「うお、良かったいつものアリスだ……てそうじゃなくて、何だよこれは説明しろ!」

 猛然と文句を垂れるアリスに、こちらも負けじとヒラヒラのドレスを指差しながら不服そうに唇を潰しシーザーが言う。

 その様子に溜息を吐くと、アリスは服を脱ぎながら話し出した。

「まずひとつ、単純にこの屋敷に泊める為に女装させないと色々都合が悪かったこと」

「はぁ?」

 シーザーは不服そうな声を出したがアリスは気にせず続ける。

「次にもうひとつ。キルナの娘、これがこの国の貴族にとって超希少なブランドであること」

「はああ?」

 更に大きな声を出して顰めっ面をしたシーザーだったが、アリスは表情ひとつ変えずに話しを続ける。

「金髪青眼……これがどれほどの価値があるか、アンタは知ってる? 知らないわよね、その様子じゃ」

 シーザーは何だか馬鹿にされたようで不服そうに顔をしかめる。

「かつてこの国の王は金髪青眼だったと言われているわ。けれど血の弱さか……もうこの国に金髪青眼を持つ者はいなくなってしまったの。この国どころじゃない、世界中探しても金髪青眼を持つ者はもういないのよ。キルナの娘を除いて、ね」

 ギシリと、着替え終わったアリスがベッドに座る音が響く。シーザーはまだよく分かっていないのか黙ってアリスの話を聞いている。

「雪深い、あまり人々も行き交わない土地柄かしら……キルナにだけは金髪青眼の女性がたくさん居たの。しかも何故か女ばかりで男はどちらか一方、あんたみたいな感じばかり。それ故にキルナの娘の希少価値はどんな宝石よりも高いの。それにどういう訳かキルナの女だからって必ずそうなる訳じゃない……そうしたら尚更、金髪青眼の娘は貴重でしょ? かつてその美しさと希少さ、そしてかつての皇帝が金髪青眼だったこともあり、この国の貴族の間でキルナの女性が流行った事があった。極光の街からその貴重な娘を手に入れるには権力と財力が必要でしょう? キルナの娘はこの国では幸運の女神と言われているけれど……それは他ならない、ただの権力と財力の象徴なのよ。そして悲劇は起こった」

「……? まさか……っ!」

「繋がった? 五年前、あんた達はまだ幼かったでしょうけど……キルナで未曾有の大虐殺が起こった。あれは国が乱れたからだけじゃない、キルナの娘はこの国で莫大な金額で取引されるから、多くの輩がその金に群がり人狩りをした。表向きにはただの暴動扱いだったけど……」

 シーザーは気がつけばアリスの胸倉を掴んでいた。興奮した様子で睨みつけるその様子をアリスは酷く静かに見つめた。

「誇り高きキルナの娘はほとんどが自ら命を絶ったと………その余りの悲劇に世論が動き、我が国でも人身売買を厳罰化するに至ったの。でもあの虐殺後、どうもあの辺りは新たなマフィアが牛耳り始めて人身売買を規制してるって聞いたんだけど……」

「俺たちは、親父に売られたんだよ」

 シーザーは乱暴にアリスを放すと背を向けて座り込み、吐き捨てるように言った。

「あの国で人身売買は常識だ、組織がどうだって、身内に売られたんじゃどうしようもないだろ」

 しかし、アリスは何か考え込むように口に手を添えるとそれきり黙り込んでしまった。

 シーザーはまだ自分がこんな格好をさせられている真意を聞いていないことに気が付いて「おい!」と強めに呼びかける。

「うるさいわね、今あいつがどうやってキルナからあんたの妹を連れてきたのか考えてんだから邪魔しないでちょうだい」

「だから、親父に売られたんだって!」

「だとしたら仲介がいる筈なのよ、でもね、その仲介を担ってるのがマフィアなの。そのマフィアがあんたんとこじゃそんな商売やってないのよ、仮にやっていたとしても、キルナの娘を自称国一番の成り上がり商人如きが出せる金で売る訳が無いの。相手にもされないわよ。分かる? 五年前のあの一件以来、キルナの娘は本当にもう、ほとんどいないに等しいんだから」

 シーザーはちんぷんかんぷんで目が点である。人身売買、奴隷は当たり前、確かにメガラニカという国はそういう国だ。だからシーザーも疑問に思うことは無いのだろう。言っても難しい話だったかもしれない。アリスは小さく息を吐き再度思考を巡らせる。

「そういえば……」

 と、急に何かに思い当たったのかシーザーが思わず零した言葉に、考え込んでいたアリスも顔を上げシーザーを見つめた。

「人身売買とか当たり前すぎて気付かなかったけど、二年前から急にそういうのがまた始まった気がする。五年前のあの日を境に一旦は誰かが売られたとかいなくなったとかって話は聞かなくなって、ちょっとだけ街も食いもんとか配給があって、マシになってたし」

「二年前? その前後で何か変わった事はなかった?」

「うーん……分かんねぇけど、ボランティアとかいうのが来て、食い物とか着る物とか配ってさ、医者も来て妹の事も見てもらったりしてたんだ。親父は相変わらずクズだったけどさ、そん時はちょっとはマシだったなぁ」

 その言葉にアリスは何か確信したように顔を上げた。

「シーザー、これから言うことよく聞きなさい」

「あ、うん……」

 手招きをされ、渋々アリスに歩み寄れば急に耳元で囁かれる。シーザーは渋い顔をしていたが、アリスが話し終わるとコクリと頷いた。

「分かったらそのまま部屋に戻る」

「くそぅ、このままかよ……」

 シーザーは半泣きで女装のままアリスの部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ってから、アリスは珍しく疲れたようにベッドに倒れこむと、少しだけ顔を歪める。

「この傷さえ無ければねぇ……」

 アリスは言いながら太ももをさする。まだ力を入れると痛むその傷は、どうやらそこそこ深手のようで治るは治るらしいが暫くは痛むとのことだった。

 さすがのアリスも超人ではない、この傷で大立ち回りは難しい。万全であれば少しくらい力尽くで悪事を暴くことも出来ただろうが。

 加えて単純馬鹿なエルピースはこちらが思うようにはさせてくれない。

 突っ走る気持ちは分かるが、その度に頭をフル回転で計画を練り直すこちらの気も知って欲しいものである。

 そこまで考えてアリスはハっとした。

「何で私があんな小娘の為に……」

 いや、これはエルピースを使ってシュヴェルトライテや他のワルキューレを効率良く手に入れ、かつ最終的にジークルーネも体良く頂戴する為に必要な労働だ。信用させれば言うことも聞かせやすいだろうし、いざという時にワルキューレを奪い易くなる。

 まぁ、しかし。

 アリスは少しだけ口角を上げる。

「そうね、でも……久しぶりにちょっと楽しいかもね」

 そして疲れていたのだろう、アリスもそのままベッドの上で布団も被らず眠ってしまった。

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