ギターは埃にまみれてた

不立雷葉

ギターは埃にまみれてた

 和室の六畳間、それが俺の自室。

 部屋にあるのは布団、漫画ばかりが詰まった本棚にノートパソコンが乗っかっているデスク。そして片隅にはギブソンのレスポールが転がっている、カラーはいかにもギターらしいサンバースト。その横にはフェンダーのアンプとボスのエフェクター。


 長いことも弾いていないし、触りもしてない。部屋は整理整頓を心がけている、だけどそのギターの周りだけは埃が積もってるし放置しすぎて弦も錆付いていた。

 本当は目にしたくない、かといって物置に放り込むことも出来ない。

 朝に目覚めた時、敷いた布団に潜り込む時。見ないようにしているのに、毎日二回は目に入ってしまう。その度に気が滅入る、もう弾かないと決めたのにどうしても目に入る。

 目にする毎に胸が軋む、亀裂が広がる気さえした。それでも俺は、どうしたってこいつを部屋から追い出すことが出来ないでいる。


 そうして今日も目を覚まし、上体を起こして目にするのはレスポール。気を滅入らせてからカーテンを開けて着替えて、三階から二階そしてさらに下へ。

 俺の家は商店街の中にある酒屋だった、一階が店舗で二階と三階は家になっている。もうとっくに起きていたらしい親父の奴が俺に気づいてモップ掛けの手を止めた。


「おうタカユキ起きたか、もうちょっと早く起きてくれると嬉しいんだけどなぁ。お前、この店の跡継ぎなんだから掃除ぐらいしてくれよ」

 毎日のように言われる小言に俺は寝ぼけ眼で気の無い返事を返す。

「ごめん、寝つきが悪いんだよ。でも配達は任せてくれよ」

「おう、今日も頼むわ。もう歳だからよ、腰が痛いんだわ」


 これも毎日のように繰り返しているやり取りだ。親父も良く飽きないもんだと思いはするが、俺と親父流の朝の儀式みたいになっちまってる。これが無くなったら、きっと寂しくなるのだろう。

 手櫛で寝グセを取りながらレジに向かって、そこに置いてるファックスと留守番電話を確認する。配達の注文はこの二つで来ることになっていた。

 機械から排出された紙をまとめ、録音された注文内容を聞いて紙に書き起こす。毎日やっていると頭を使わなくても出来るようになってしまい、ただの機械になってしまったようだった。


 お前の家は自営業だから良いよな、というのはメーカーの営業をやっている友達の言葉。

 俺の仕事は奴隷みたいだ、家族とやれるお前が羨ましい。とも言われた、俺は会社で働いたことなんてないけれど同じことだと思ってる。

 それどころか俺の方が辛いんじゃないかとまで思ってる。上司に何を言われたところで帰ってしまえば上司はいないんだ、俺の上司は親父で帰るどころか職場が家なのだ。切り替えなんて出来やしない。


 それにうちの酒屋は長くないのだ。

 配達の注文は年々少なくなっている、商店街だけじゃなく近隣の飲食店は大体うちの酒屋に注文してくれている。でもどこも後継者がいないだとか、採算が取れなくなったとかいう理由で年が変わるごとに減ってゆく。

 もちろん新しく開店する店だってある、でもそういうのは全国にチェーン展開するフランチャイズ店で、うちみたいな地元の居酒屋に注文なんてしてくれない。


 まだしばらくは、親父が元気な間は安泰だろう。でもその後、俺が継いで店主になってそうしてしばらく経った頃にやっていけなくなるはずだ。その時、この酒屋はどうなるのだろう。コンビニになるのだろうか、それともドラッグストアだろうか。

 どっちでもなく、商店街のシャッター街化に一役買うのかもしれない。その時、俺はどうなっているのだろう。どうにもならないのかもしれない。


 どうだって良かった、夢を諦め流されるままに酒屋を継ごうとしている俺だ。その時が来たとして、その時々の波に飲まれない程度に流されるだけに決まっている。

 灰色の未来を想像し諦観している間も、体は動いていて軽トラックを走らせていた。一軒一軒、得意先を回って酒を卸して世間話。相手するのは親父と同じ、五〇を過ぎたおじさんやじいさんばかり。

 二〇半ばの俺に彼らの話は分からない、でも昔から店の馴染みだ。笑えない冗談に笑って、興味の無い野球や競馬の話に付き合う。それが済めば御用伺い、といっても何か頼まれたことは無い。帰り際の挨拶みたいなものだった。


 酷く疲れる、元々人付き合いは好きじゃない。自分を表現するというのが苦手だった。学校では大人しい子として扱われていた。意見を求められても何も言えず、タカユキ君は自分の無い子だと通知書に書かれて親を悩ませたこともある。

 自分が無かったわけじゃない、どう表現して良いか分からなかった。だからあんなモノにハマって、出来ると勘違いしてありもしないできもしない夢を見てしまったんだ。


 帰り道、軽トラを走らせる。信号を待っている間、無音が辛くなってラジオを入れた。流れて来たのはディープパープル、紫の炎。好きで指が動かなくなるまで練習した曲の一つだ。

「オールアイヒア イズバーン――」

 つい口ずさみ、気分が悪くなる。リッチーのギターを聴いていられない。


 信号が緑に変わる、アクセルを踏み込む直前にラジオを切った。さっきまで聞こえていなかったエンジンの音が聞こえる、こっちの方が心地よい。

 アクセルを踏む、けれど家には戻らない。向かったのはコンビニで、ペットボトルのカフェオレを買って灰皿へ。マルボロの赤に火を点ける。

 どうしてこれを吸い始めたのだったか、あぁそうだレッド・ツェッペリンのペイジが吸っていると耳にして真似したんだった。


 思い出しても憂鬱になるだけ、次買う時はマルボロ以外にしよう。いや、いっそのこと煙草を止めてしまおうか。喫煙者は肩身が狭い、流れに乗って止めてしまおう。そうだそれが良い。だったら今から禁煙開始だ。

 まだ半分も吸っていない煙草を灰皿に放り込み、残ってた分はゴミ箱へ。自分で決めたことなのに、何故だか寂しい。どうしよう気分が優れない。

 頭が重くなったことに悩んでいると、不意に辺りが騒がしくなる。顔を上げてみれば俺と同じぐらいの歳の集団がコンビニに入ろうとしているところだった、何人かは背中にギグバッグを背負っていた。あぁ懐かしい、そして遠いな。


 ふとその内の一人と目が合ってしまった。そいつは真っ直ぐ俺に近づいてくる。やっちまったと後悔が押し寄せてきた。そいつは長いこと連絡を取っていなかった友達のナオキだった。昔と変わらないフェンダーのギグバッグを背負っている。まだベースを続けているみたいだ。

「おー! タカユキ久しぶりじゃないか! お前、番号もアドレスも変えたろ? 急に連絡付かなかったからどうしちまったのかとタクロウもユタカも心配してたんだぞ。元気してたか? ってそのエプロン……それって実家の、酒屋だよな?」

 久しぶりに会えた喜びがあったんだろう、ナオキは笑って俺の肩を気安く叩いていたが店の名前が書かれたエプロンを見て笑顔が消えた。


 穴があったら入りたかった、今すぐここからいなくなりたかった。黙って走って、車に飛び乗って帰りたかった。でも出来ない、だってナオキは悪くない俺が黙ってこいつらから昔のバンド仲間の前から消えただけなんだ。

「あぁ、まぁそういうこと。それよりナオキの方こそ元気か? あそこの連中は今のバンドのメンバーか?」

 こいつを嫌な気分にさせたいわけじゃない。作り慣れてしまった笑顔を浮かべ、ナオキが俺にそうしたように、俺もナオキの肩を叩く。

「メンバーといったらそうかもしれないけど違うかな、俺はサポートでやってるだけだから。もう一年以上はいるから、正式メンバーになってくれって言われてるんだけどな。でも俺はサポートだ、正式メンバーにはなりたくないんだよ」


 サポート。

 この単語を聞いて胸が締め付けられた。ナオキの顔を直視できなくなった、慣れたはずの表情も作れなくなってしまった。

「とりあえず連絡先教えてくれよ、何があったか知らないけどツレと連絡取れないってのは嫌だからさ。ほら、ケータイ出して」

 昔みたいに胸を小突かれると何もいえない、結局流されるままナオキに隠していた筈の連絡先を教えてしまった。ただナオキはご満悦といった様子で、自分のケータイに登録された俺の番号を見ている。

「あいつら待たせてんの悪いし、お前も仕事の途中みたいだからもう行くわ。あ、後これを聞いてくれよ。ずーっと前からお前に聞いて欲しくってよ、ずーっと持ち歩いてたの。ようやく渡せるわ、あ、感想くれよ? 絶対にな。んであと、タクロウとユタカにもお前の連絡先教えとくからな!」


 止めてくれ、そう言いたかった。

 ナオキは返事を待たず俺のポケットの中にUSBメモリを突っ込んだ。そして仲間の輪の中へと戻るとコンビニへと入ってゆく。その姿が眩しくって、直視できない。自動扉が閉まると俺は車の中へと飛び込み、法定速度を忘れて店へと戻った。

 客はおらず、親父はスツールに座りながら暇そうにテレビを眺めていた。日常になってしまった光景、その中に俺は入る。今日も無事、配達を終えたことを伝えて親父と一緒になってテレビを見る。

 内容は頭の中に残っていない、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。商店街の酒屋、一般の客が来ることはあまりない。いつの間にか閉店の時間がやって来て、親父と一緒に店を閉める。


 飯を食って、風呂に入って布団に寝転ぶ。珍しいことにレスポールを見なかった、代わりに見ていたのはナオキに渡されたUSBメモリだ。

 中身は見なくても分かってる。曲が入っているのだ、多分譜面も一緒になっているはず。

 ナオキそしてタクロウとユタカ。こいつらは高校からの同級生で全員で同じ大学に行って、その間ずっと一緒になってバンドをやっていた。

 リーダーはベースのナオキ。曲はナオキがパソコンで作って、俺が実際にギターを弾いて手を加える。そこにユタカがドラムを叩いてタクロウが歌詞を考える。そういうやり方をしていた。


 懐かしさがこみ上げる。衝動が胸を突き動かす、記憶の中のスポットライトが身を焦がす。耐え切れず

に俺はUSBメモリを投げていた、ギターに当たってコツンと音が鳴る。頭から布団を被って、身を守ろうと体を丸めた。

 寝てしまおう、寝てしまえば忘れられる楽になってしまえるぞ。目を閉じて息を整える、深く吸っては吐き出して。その日は、いつも以上に眠れなかった。



 次の日は憂鬱だった、目覚めてみればやっぱり埃にまみれたギターが目に入ってしまう。加えてナオキのUSBメモリまでもが視界の中にある、消したはずの火が燃え上がり体を焼こうとする。

 俺は負けたんだ。水を掛けてから新しい一日を始める、一階に下りて定型と化したやり取りを行って何も考えずに注文を確認。そうしていつものように配達を始める。


 調子の悪さを感じながらもそれを隠して笑顔を作って、定型文のやり取りを交わして店を回った。今日の配達の最後は同じ商店街にある手打ちうどんの店だった。

 この店は家から近いこともあって子供の時から家族で食べに来ることが多い。大将のトクさんは俺のことを昔からタカ坊と呼んで、たまにお菓子をくれることがあった。大人になった今でも、配達をするとジュース代を渡されることがある。


 ここでも他と同じように、いつもと同じように酒を置いて世間話をして、そうして帰ろうとした。ただ今日のトクさんは普段と少しだけ違った、俺が店を出ようとすると何故か呼び止める。

「タカ坊よ、お前さん何か悩んでるんじゃないのかい?」

 トクさんは椅子に座ると煙草に火を点けた。

「悩みなんてないよ、元気でピンピンしてるさ」

 ドキリとしながらも力瘤を作ってみせた。そんな俺を、トクさんは紫煙を燻らせながらじっと見ている。長いこと店を切り盛りしてきた人だ、相応の貫禄があってそんな人に見られていると心の内まで見透かされている気がした。


「なら良いんだけどよ。ところでお前さん、最近ギターはやってんのかい?」

 肩に力が入る、笑って誤魔化そうとしたが顔が引きつる。錯覚じゃなかった。

 それでも俺は何とか笑う、これ以上言われたくない。

「もう止めたよ、店を継ぐって決めたからね。遊んでる暇なんてないよ」

「ふぅんそうかい、それなら良いけどよ。ふとよ、お前さんがダチと一緒にプロになるって意気込んでたのを思い出してよ。目ぇキラキラさせてたなってな、本気で店を継ぐって決めたんなら良い事だ! 親父さん安心させてやんな!」

 近づいてきたトクさんは俺の背中を叩いた、力づけようとする叱咤だ。

 そんな強いもんじゃなかった、でも力が抜けてしまっていた俺はよろめいてしまう。トクさんは一瞬だけ驚いて、すぐに目を細めた。多分、この人は全部わかってるんだろう。


 トクさんは商店街の中でも特に付き合いのある人で、小さい時から俺のことを見てた人だ。打ち明けてしまえば楽になれるかもしれない、でも吐き出したら全てが終わる。頑張ってた事の全てが水の泡になってしまう。

 俺は何も言えなかった、トクさんは何も言わなかった。重い体を抱えて車に乗って店に帰る、休みたかった。布団の中で丸くなりたい、親父には調子が悪いとか言って部屋にこもろう。


 そう決めたのに、出来なかった。

 店に帰るとナオキがいた、昨日と同じフェンダーのロゴが入ったギグバッグを背負って親父と談笑していた。一番会いたくないやつだ、けど逃げ方が分からなくて結局店へ入っていく。

 無駄な足掻きと分かっていながらナオキの事は目に入れないようにして、親父に配達の事を伝えた。無視したくても、相手はナオキ。ずっとつるんでいた奴を無視なんて出来るわけが無い。


「いきなり来て悪いな、既読付かなかったから気になって来ちまったわ。渡したUSBの中身、聞いてくれたか? 何も無いの気になってさ、あれどうだった?」

 どう声を掛けたものかと悩んでいるとナオキの方から話しかけてくる。顔を上げはしたけれど、ナオキと目を合わせることが出来ずに誤魔化しの内容を考えた。

「ごめん忙しくって、まだ聞けてないわ。また聞いたら、連絡するよ。そんな事よりお前仕事は? 時間大丈夫なの?」

「あ、今日休み。でなきゃ来ないって、それよかお前と会うことの方が大事だし。流石に、ほっとけねぇしな」

 ナオキの声が低くなる、こいつの用事が何かはとっくに察しが付いている。でもその話はしたくない、だっていうのに親父が余計な口を挟んだ。

「そしたら上がっていってもらいな、配達が終わったら急いでやるようなことは無いんだ。大人になったらなぁ、友達と会うのも難しくなるから。せっかくの機会なんだから大事にしろよ」


 こうなったらどうしようもない、逃げ場を失った俺は親父から渡された缶ビールを手に持って三階の部屋へとあがる。ナオキがこの部屋にやってくるのはいつ以来だろう、二年ぐらいだろうか。

 ナオキは部屋に入るとすぐギブソンとそこに転がるUSBメモリに気づいた、でも何も言わない。座布団を敷いて俺達は向かい合って座る。

 言葉は無い、無言でプルタブを開けた。乾杯の音頭も無く、口をつけて弾ける苦味を流し込む。このまま黙ってビールを飲んだら帰ってくれないだろうか、昔馴染みの友人だからこそ思ってしまう。


「やっぱあれ?」

 ナオキの問いに無言で頷き、一気にビールを煽った。あっという間に空になる。

「知ってたよ。ちょうど二年前か、ザ・スタッグと対バンした後だったもんなお前と連絡つかなくなったの。お前が凹んでたのは分かってた、終わった後ひでぇ顔してたもん。どんな馬鹿でも打ちのめされてたのは分かるよ、実際あいつら凄いし」

 俺は何も言わない、何も言えない。ナオキは俺が話すのを待っていたようだったが、間が持たずに断りもいれずにアークロイヤルに火を点ける。嗅ぎなれたバニラフレーバーの甘い香りが広がって、俺は無言で灰皿を差し出した。

 天井に煙が溜まる、灰皿に灰が落とされる。


「いやほんと凄いよザ・スタッグは。俺はどうしてもベースボーカルの奴に目がいっちまうけど、ギターのあいつがヤベェってのも分かる。ドラムも半端ねぇ、あいつ等が上げたユーチューブの再生数もとんでもねぇ。去年にインディーズデビューしてさ、その内にメジャーに行くんじゃないかな」

「そうか、凄いな」

 黙ったままが辛くなって、ぽつりと零す。

 ナオキは喋らず紫煙を吐き出し、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


「悪いな、ほったらかして。そうするのが良いんじゃないかって、三人で話した。そしたら連絡つかなくなって、けどその内声掛けてくるだろうと思ってた。沈んでる時は俺達にも話したくない時はあるって、そう思ってよ。でもまだ、諦めてはないだろうって」

「諦めたよ。限界を知ったんだよ井の中の蛙だったてな、プロ目指してたよ。出来るって思ってたけど、あの日に思い知らされたんだ。俺には無理だって、到底超えられないもんがあるって」

「嘘を吐くなよ。じゃあ、あれはなんだよ」


 ナオキが指差す先にはギブソンのレスポール。埃が積もった、俺の相棒。

「人にあげるわけでもなく、かといって仕舞い込むわけでもない。ぶっちゃけ楽器なんてもんは部屋に出してたら邪魔なだけだぞ、何でそれが出しっぱなしなんだよ。ギターだけじゃない、アンプもエフェクターもある。シールド突っ込んだらすぐ弾けるようになってる、なんでだよ?」

「止めてくれ」

 懇願するように喉から声を絞り出す。でもナオキは、止めない。


「何でだよ、本当に諦めてんならギターなんて処分してるだろ。プロ目指すの諦めただけなら趣味で続けてるだろ、お前が言ってた言葉思い出せるぞ。”喋るのは好きじゃない、でも音でなら語れる”ってよ。そのお前が何でこんな中途半端やってんだよ? ほんとは諦めきれてないんだろ? じゃあやろうぜ? 俺も、タクロウもユタカも待ってるんだ。バンドは解散してない、俺ら三人は他のバンドでサポートしてるけどお前が帰ってくるのを待ってんだよ、今でもずっと!」

 言葉が出ない、出せない。ナオキが言ったことは当たっている。

 けれど怖いのだ。ギターを触るのが怖い、弾くのが怖い。逆立ちしたって敵いっこない相手を目の当たりにしてしまったのだ。

「ザ・スタッグに打ちのめされたのは分かる、あいつ等はライバルだ。でも俺等はプロを目指してるよな、プロになるのにザ・スタッグを超える必要はあんのか? 音楽だぞ、俺達の音があるだろ。それを否定されたわけじゃないだろ、スカウトマンに無理とか言われたか? 言われてねぇだろ」

「それ以上、言わないでくれ」

 顔を上げられない拳を握る、爪が指に食い込んで痛い。


 ナオキは何も言わず、投げ捨てたままにしていたUSBメモリを拾うと俺の眼前に差し出した。そうして俺が受け取らないのを見ると、床の上に置いて部屋から出て行く。

「待ってる、俺だけじゃない」

 この一言を残して。

 ナオキがいなくなっても、あいつの残したバニラの香りは消えない。そのせいで否応無しに考えてしまう、見てしまう。


 ギブソンのレスポールはただそこにあるだけだ、埃にまみれてあるだけだ。ただの物、だというのにそいつが俺を見ている気がした。待っている気がしてしまった。

 ただのギターだ。だからそんな風に思ってしまうのは、俺の方に理由がある。

 USBメモリを拾って、起動したパソコンに差し込んだ。中身は案の定、楽曲のデータだ。ソフトを使って再生する、力強いけれど単調な曲だった。

 ナオキの癖だ。あいつはパワフルな曲が大好きで、それを自覚しているにも関わらず直せない。これを直すのは俺だった。


 スピーカーから流れる低音の強い曲を聴いていると、これを打ち込んでいる時のナオキの姿がありありと思い浮かぶ。パソコンの前で一人頭を悩ませて何本も煙草を吸って、前よりも良くしようと奮闘するナオキの姿が。

 ナオキの作った曲に歌詞はない、それを付けるのはタクロウの役目だ。この曲はまだタクロウの所に行ってない、だから詞はない。でもこの楽曲が、何を表し何を訴え誰に向けているのかはイントロだけで伝わってくる。


 これは俺に向けた応援歌。

 胸が熱くなる、消しても消しても消しきれない火が燃え上がる。肌はスポットライトの熱を思い出す、流れる汗を思い出す。

 駄目だった。机の引き出しを開ける、中には白紙の譜面が詰まってる。それを机の上にぶちまけて、埃まみれのギターにシールドを差し込んだ。アンプの電源を入れる。チューニングは適当だ。


 ネックを掴む、ただ力任せに弦を弾いた。

 クソみてぇな酷い音。まともにチューニングしてないし、弦は錆びてる。アンプもエフェクターの設定もテキトーだ、広がらないし角も立たないスカスカで中身のない音。けれど気持ちが良い。

 鳴らしたのは一音、たったの一音。これで充分、俺に足りなかったのはこれだった。

 携帯を取り出しナオキに電話を掛ける。待ち構えてでもいたのだろうか、コール一回でナオキが出た。

「てめぇなんだアレ、いつも言ってるだろ勢いばっか良くてもダメだってよ」

 電話の向こう、スピーカーからナオキの笑う声が聞こえた。

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