五話 リアル




 【ディストピア】

『意味』ユートピア(理想郷)の正反対の社会。

『補足』日本では地獄郷、暗黒郷とも。




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 旧東京の片隅にある一つの高層マンション、その一室は驚くほど何もない空間だった。

 机も、寝具も、タンスも、およそ人を人たらしめる文明の利器や物品が、何一つとして存在していない。

 換気扇はおろか窓の一つもなく、無人の部屋というよりは引き払われた倉庫といった印象だ。


 だがそんな殺風景な部屋の中心に異物があった。


 棺だ。人の亡骸を納めていそうな、機械の棺。その機械の棺には、蛇の如く多数の管が巻き付いていて――外面に取り付けられている電子パネルが、何かを観測しているかのように頻りに数値を変動させていた。

 何も知らない者が見れば驚くだろう。機械の棺の蓋は透明で、中の様子を逐一把握できるようになっているが、肝心要の中身は空洞なのだ。おまけに誰も入っていないはずの機械の棺から、人の気配がするのである。

 いったいなんのためにこの機械の棺は存在しているのか、これはいったいなんなのか、無知な人間は首を傾げるかもしれない。

 しかし答えはすぐ明らかになる。やおら機械の棺がざわめいたのだ。微かに発光し、正体不明の光が棺の中に満ちていき――そして棺の中に乱舞する光の粒子が、徐々に一つの物質を形成していく。


 それは、細胞だ。

 神経だ。

 骨だ。

 肉だ。

 次第に形になるのは、一人の少年である。


 長くもなければ短くもない黒髪に、半開きになっている双眸から覗く黒目。やや痩せぎすの、病的に白い肌をした中性的な風貌。

 歳の頃は十代の半ばといったところだろう。目に生気が戻った少年は、微かに身じろぎして意識の覚醒を確かめる。


 自分という存在を量子化し、並列宇宙へと送り出す装置。それがこの機械の棺の正体だ。


 自動的に棺の蓋が開かれた。

 起き上がり、棺の外に出た少年が身に纏っているのは、およそ十代半ばの少年には相応しくない『囚人服』である。

 首には、プラスチックじみた材質の首輪。

 少年は茫洋とした表情で辺りを見渡す。機械の棺を除き何もない部屋を。窓すらない灰色の世界を。

 少年の目は、澱んでいた。夢も希望も、ましてや絶望もない、冷め切った汚泥が詰まったような目。


 砂漠じみて乾燥した吐息を溢し、ノロノロとこの部屋の出口を見る。人の気配を感じたのだ。


「ケンくん、ログアウトした? なら居間の方へちょっといらっしゃい」

「早くしろよ、おまえにお客さんが来てるんだからな」


 声がした。聞き覚えのない・・・・・・・男と女の声が。

 それに、ク、と心底おかしそうに口元を歪めて笑う。嘲笑だ。なんだ、また変わったのかよと、少年は失笑を禁じ得なかった。

 自身の顔に触れる。そして表情を手で動かし、柔和な表情で固定した。意識を切り替えると、澱んでいた目は澄んでいく。ガラス細工の眼球のように。

 少年は作った表情と声で応じた。


「うん、今行くよ父さん、母さん」


 完璧な、子供だった。

 おそらく大多数の親というものが、自身の子供に期待する要素を多く満たした子供。

 明るく、はきはきと喋り、両親を愛して、容姿も頭脳も水準を上回る優秀な子供。

 そんな子供は、ボソリと呟く。父さん、母さんと口にした直後に。


「――103人目・・・・・の、ね」




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 数百年前の人間に、未来の一般家庭はどのような環境で生活しているか、自由に想像してもらったとしたら。

 それはどんなに夢に溢れて、便利で、満ち足りて、想像を絶するハイテク技術に生活をサポートされているのかと、胸を希望で膨らませるかもしれない。

 しかしそんな過去の人々に向けて、俺は残酷な現実を告げたい。少なくとも23×☓年現在、おおよその環境としては21世紀の日本とほとんど差異はないぞ、と。俺が知り得る限り、民間では。

 超絶ハイテク未来技術を用いているのは、政府や官憲、軍隊ぐらいなものだろう。

 企業というものは絶滅し、仕事をする必要なんてない。自然環境の維持は完璧で、食べるもの飲むものは湯水のごとく精製される。治安は均一かつ完璧に保たれ、娯楽も性交渉もなんでもござれ。ソドムとゴモラの街のごとく退廃に塗れられるし、その逆に規律と規則に縛られた平和な日々も送れる。

 望めば恋人も政府が斡旋してくれるし、そのままお嫁さんお婿さんにするのも自由自在。なんならハーレムやら逆ハーだって作れる。お金持ちにもなれるし貧しい人にもなれる上に、スポーツ選手や料理人、お医者様にだって簡単になれるだろう。データベース上に記録・保存されている『知識』や『経験』を引き出して、脳と神経に読み込ませられるからだ。体が追いつかないなら肉体改造を物理的に行なってくれるなど、アフターサービスも完備している。


 望んでもなれないのは、世襲制となった官憲や政治家ぐらいなもの。公務員は神様です、とは誰の言葉だったか。


 そして望んでいなくても、周期的に人々は記憶を『リセット・・・・』されるが、残念ながら人々は『リセット』されたことに気づくことはない。代わりに別の記憶が埋め込まれるからだ。

 政府が作った人間関係やらなんやらの記憶、設定。それらの通りに管理運営されることで、人類は戦争を筆頭とする争いを克服した。一握りのエリート様たちは、民衆という生き物を完璧に管理し幸福に生かしているのだ。

 まさに理想的な世界だろう、とは確か前期の大統領サマの言葉だ。

 確かに幸福だろう。満たされた環境、不足のない毎日。退屈さを感じない娯楽、閉塞感を感じない心。科学的に弄れることが明らかとなった魂を洗浄し、歪んだ性癖や人間性を矯正し真人間にできる。現状に不可解さを感じようと、どうにもならないしやる意義も見つからない、そも不可解に思っていても『リセット』されたら疑問も消える。この箱庭の世界で生きる人間は間違いなく幸せだ。


 例外は今現在の地球圏に、たったの四人しかいない……らしい。そしてその例外の内の一人が、驚くことにこの俺だったりする。


 どういう意味で例外なのだと訊かれても、知らない方が幸せなことってあるよねとしか言えない。少なくとも俺は、その例外の内の一人に入ってしまっているのを、堪らなく息苦しく感じて、ひたすらに生き・・苦しかった。


「やあ、周防差研スオウ・サケンくん。お邪魔しているよ」


 ――21世紀の日本の中流家庭。マンションの居間にあるテーブルを、四つの椅子が囲んでいる。

 見知らぬ男女二人がそこにいて、見知った男も一人いる。彼らは囚人服姿の俺を不思議がる様子はない。そして俺の両親らしき男女の首には、俺が付けているのと同じ首輪が付けられていた。


 俺は空いてる椅子を引いて、そこに座る。


 対面には、黒縁のメガネを掛けた糸目の男。歳の頃は三十路手前かそこら。中肉中背で七三分けにした黒髪。スーツをビシッと着込んだ、胡散臭いセールスマンじみた外見だ。

 隣と斜め前に四十路そこらの女と男。彼、彼女が俺の新しい・・・両親だろう。周防差研だなんてものは初耳だが、今の俺はそんな名前になっているらしい。


「お久しぶりです、大城平良オオシロ・タイラさん。にログアウトするように、わざわざメールをくれたのは大城さんだったんですね」


 にこりと微笑む『僕』は、俺にとって対外用のペルソナだ。

 礼儀正しく賢明、聡明な少年。目上を敬う好青年。俺を知ってる大城平良からすると、あからさまなまでに皮肉めいているだろう。

 『オリンポス』のアーテーに似た糸目なのに、大城のそれはヘドロのように澱んでいる。破滅の女神より大城という人間の方が不穏な気配を持っているのは、なかなかに笑えてしまう。

 ジ、と俺の顔を見詰めていた大城は、おもむろに嘆息した。


「はぁ……どうやらまた、【処置・・】は効果がなかったようだ」


 残念そうではあるが、それも上辺だけのもの。新顔の『両親』は目をぱちくりとさせて、ほんのりとした困惑の色を顔の上に置いている。

 隣に座っている父親が俺に言った。


「差研? 処置ってなんのことだ?」

「さあ……? それより父さんたちは席を外しておいた方がいいよ」

「どうして?」


 名前も知らない、顔を覚える気もない、男と女。両親。どうせまたすぐ変わる・・・・・・・・・・のだ、記憶の容量に埋める価値はない。

 仮染の父親の問いに答え、離席を促すと母親が反駁してくる。面倒臭い気持ちを面には出さず、愛想よく答えた。


「大城さんは運営の人なんだ。運営……まあつまり、政府の人だね」

「そうなのか? ……だったら親として、きちんとお話を伺わないと……」


 父親が緊張する。

 大城はなんと言ってこの家に上がり込んできたのやら……家に上げる時にでも、相手が誰かなのかぐらい聞いておけよと思う。

 なんて能天気。なんて善人。人を疑うことを知らない、まさに理想的な奴隷・・・・・・だ。尤も、奴隷でない人間なんて、地上に二割ほどしかいないのだろうが。


 父親が居住まいを正すのに、大城は苦笑する。


「ああ、いえ。わたくしとしましても、ご両親にお時間を割かせてしまうのは心苦しい。どうぞお構いなく」


 とは言うものの、あからさまに邪魔者を見る目だ。その目に気圧されて、父親と母親は席を立つ。


「あ、ああ……そうですか。……差研、失礼のないようにな。父さん達ちょっと仕事があるから、ほんとうはすぐ出掛けないといけなかったんだ」

「ごめんね、ケンくん。お仕事終わったらすぐ帰ってくるからね」

「うん、でも急がなくてもいいよ。大城さんの話もそんな大したものじゃないと思うから」


 スーツ姿の父親と母親。人間の労働力なんてなんの足しにもならない社会だが、不思議なもので仕事をしていないと落ち着かない人間というものは意外と多い。謙虚で善良な人ほどその傾向がある。

 そんな人のために、政府は無駄と思いつつも労働のための環境も用意している。文字通り無意味でしかないと知ってはいても。

 今回の両親枠の二人は、無駄な労働で汗水垂らして神経使って、一生懸命働くのだろう。ヒューマノイドという人造人間や、人間の脳より遥かに優れたAIを有する機械が全てを代わりにやってくれるというのに。


 両親がいなくなる。見ず知らずの人と、自分の子供を残して。それを見送ると、大城がニヤリと笑った。


「――で、周防くん。キミのお名前は?」

「周防差研なんじゃねぇの、おまえらにとっては。俺は山口賢民だけどな」

「おや、やはりお忘れでない。不思議ですなぁ」


 可哀想に、と。大城は嘲笑している。俺は『僕』という優等生のペルソナを放り捨て、じろりと澱んだ目を向けた。


「このやり取り、何回目だ? いい加減繰り返すのやめろ、鬱陶しいぞ」

「そうもいかないのがお役所仕事の辛いところでしてね。なにせ世界で四人だけ、我々の【処置】を受け付けない人間がいる。ならこの四人の【処置】が完全になれば、世界はより一層の幸福で満たされるというものでしょう」

「能書きはいいってんだよ。それより、今日はなんの用だよ。『オリンポス』から出る気はないって前もって言ってたよな」


 この男への敵愾心は無い。ただ煩わしいのだ。煩わしさだけしか、俺は大城に対して感じていなかった。

 長い付き合いというわけでもないにしろ、俺の性格なんてとうの昔に把握されているのは承知している。逆に、俺も大城の性格は理解していた。

 良くも悪くもビジネスライク、それが大城だ。仕事以外で関わってこようとはしない。無駄話をしたがる傾向が少しだけあるにしろ、水を向けたら本題に入るのがこの男だ。


「ええ、ですのでその件でお話がありまして。と言っても、別に山口くんにだけウチの者が訪ねているわけではありませんよ? ER技術による、並列宇宙でのデスゲーム。そのゲーム中に『神』と呼ばれる超自然的な存在、またはそれに類似するモノが登場する場合があるじゃないですか。山口くんの場合は、たしか『オリンポス』でしたっけ? そうした並列宇宙へ出向いている、全プレイヤーにわたくしどもはお訪ねして回っているんですよ」

「ああ、そう。で?」

「そう邪険にしないでいただきたいんですがね……」

「俺の生みの親とか幼馴染とか親友とかを赤の他人にして。俺が知りもしない他人を親にしたり兄弟にしたりする政府の人間に、どうやったら好意的に接してやれるんだよ。いいから仕事の話だけしてろっての」


 政府が独占している魔法じみた科学技術。その詳しい原理や技術を、民間人は知り得る手段がない。だからなぜなのかと言われても、俺には答えることなんてできないが――どうしてか俺は、何もかもを忘れないのだ。記憶や何やらを『リセット』されない。政府からの【処置】が通じない。

 現実を受け入れられない時もあったが、人間関係や記憶、自身の人間としての本質すら弄り回される人たちよりはマシだと思うようにしている。だが、それとこれとは話は別で、もしも実力行使が通じる相手ならブチ殺している。

 蛇みたいな目で、大城は嗤っていた。俺のことを実験動物としか見ていない目だ。


「――ええ、ではそのように。率直に言って上の御方たちは、神様のような理屈が通じない存在は警戒しているのですよ」

「……はあ? 地球圏どころか、太陽系の惑星全部を完全に管理してる連中がかよ。カビの生えた古臭いファンタジーなんかに、おたくらの科学が通じない可能性があるって?」

「ええまあ、はい。正直に申しまして、そこいらの『超越個体』は我々にとってお話にならないんですがね。例えばインド神話に属するような神様などは、それなりに厄介かもしれませんし。山口くんのダイブしてる『オリンポス』で言えば、最高神ゼウスの雷霆などが我々からしても少し危ないかなと危惧するレベルなんですよ。曲がりなりにも全知全能を謳っておられるので、まかり間違って並列宇宙を飛び越えリアルの我々に攻撃できないとも限りません。となれば、相応の防備は固めねばならないというのが道理でしょう」

「………」

「そんなわけでして、できる限り政府が運営を介してプレイヤーに接触するのは避け、リアルで会ってお話するのがベターと判断されているわけです。本日山口くんをお訪ねしたのは、我々の【処置】が通じているかの確認と、『オリンポス』内でのメインクエストの配布データをお渡しするためなんですよ」


 ああ、そう――と無愛想に返事をして手を突き出す。

 大城は表情を変えないで、俺の手の上に一枚のディスクを置いた。


「それの中にクエスト・データがあります。クリア報酬もきちんと反映されますのでご安心ください」

「あっそ。用は済んだかよ? ならさっさと帰れ」

「そう急かさないでください。あと一つ、要件がございまして」


 はあ? と心底面倒臭がっている様子で反応すると、大城は微かに身を乗り出してきて、内緒の話をするように声を潜めた。


「山口くんもお持ちの、プレイヤー専用の『リアル・サイド』……現地の神様に貸しちゃったでしょう? その時に女神様の貴重な血液のサンプルを入手しましてね。これ、どうします?」

「――どうするって、どうできるんだよ」

「山口くんのアヴァターラ。それにログインする時、元の血液と差し替えることができますね。早い話、ギリシア神話で言うところの半神になれます。どの程度の半神になるのかは分かりませんが」

「………」

「他に使い途はあるのかと聞かれましたら、ええ、貴重なサンプルです。こちらで接収し、分析、解析を終えた後は再利用が可能か検討することになりますね。もちろんその場合は山口くんの物にはなりません。どうします?」


 大城の笑みは、システムで定められたもの。営業スマイルだ。

 非常に――胡散臭い。


「……俺がなんて言うか、分かってるだろ」

「ええ。一言一句違わず予測できますね。『おまえらのモンにするぐらいなら俺のモンにするに決まってんだろ』――ですか」

「………」

「ではそのように。ああ、あなたのアヴァターラに流れる血液に、アレイスさんの血を混ぜ合わせるシステムはそのディスクに入っています。ですので余計な手間をお掛けすることもありません。それでは、失礼します」


 言うだけ言って一礼し、大城の姿が忽然と消え去る。超能力で言うところのテレポーテーションのようなものだ。指定した座標へ任意に次元跳躍が可能だと、以前大城が言っていた。

 俺は大城がいた空間をしばらく黙って見詰め、そして舌打ちする。俺の思考パターンや行動原理が解明され、あらかじめ答えや反応を解き明かしてから話にくる大城は……ほんとうに、いけ好かない。


「アヴァターラは、俺の体。その体に神様とかいうイミフ存在の血を入れたらどうなるのか、俺で検証したいだけだろうが。恩着せがましく言いやがって、クソッ……」


 俺にできるのは、悪態を吐くことだけ。

 虚しくなって、さっさと元いた部屋に戻る。その途中で、自スレに今回の件の報告だけしておこうと思い立ち、別室にあるPCを立ち上げにいった。


 『オリンポス』に閉じこもって、死ぬまで過ごす。『オリンポス』のクリア条件なんて無い。このデスゲームに終わりはない。なら、今度こそ生き残ったりはしないはずだ。









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