5

 翌日。

 今日こそは、勇気を出して実鈴みすずと話をする。

 そう考えていた花帆かほは昼休み、難しい顔をした実鈴に呼ばれて廊下に出た。


「ねえ、花帆。最近、放課後は古いほうの図書館に行ってる、って言ってたよね?」


 理由はさておき、事実だ。

 うなずくと、実鈴は花帆から視線をそらしたままで続けた。


「あたし、行ってみたんだ」


「いつ?」


 実鈴の答えは思いがけないものだった。


「昨日だよ。花帆と別れたあと、一回は帰ろうとしたんだけど、やっぱり気になって引き返したの。先輩と二人で行ったけど、扉はびくともしなかった」


 たしかに旧図書館の扉の上下には鍵がある。けれど花帆が行った日に限っていえば、施錠されていたことはない。

 日向ひなたが鍵をかけたのだろうか。いや、昨日は花帆のほうがあとから行った。そして鍵には触れてもいない。


「そんなはずない! 中にいたのに」


 花帆の反論に、実鈴が高ぶる感情を咄嗟とっさに飲み下すのがわかる。


「放課後。もう一回、わたしと一緒に行ってくれない? そしたらきっと、わかってもらえると思うの」


 花帆の提案を、渋々といった様子ではあるものの、実鈴は承諾しょうだくしてくれる。

 そして放課後。


「……なんで?」


 塗りこめられたように動かない扉を前に、花帆は顔色がんしょくを失った。

 実鈴の身体から、ぶわ、と感情がほとばしる。


「昨日、ほんとはどこに行ってたの?」

「本当に、ここに」


「じゃあ、どうして開かないの。それだけじゃない。気づいてるよ、花帆があたしのこと避けてるの」


 実鈴が悲しんでいる。

 花帆は泣きたくなる。けれど自業自得じごうじとくだ。

 時間切れになる前に、と日向だって言っていた。


(――そうだ、坊城ぼうじょう先輩!)


 日向に協力してもらえれば、きっと証人になってもらえる。

 でも今は、目の前の実鈴だった。

 意を決し、花帆は逃げずに親友を見る。


「変な態度とってごめん! 今ごろ言うな、って言われるかもだけど、聞いてほしいことがあるの」



 話している間中あいだじゅう、お互いにぶつけ合いこそしないものの、二人して感情の上下を繰り返しているのが手に取るようにわかった。


「花帆は昨日、図書館にいた。それは信じる。それで、あたしはどうしたらいい?」


 花帆の話を聞き終えた実鈴は、ふう、と鼻から息をついて問うてくる。

 あきれているような、ほっとしたような、そしてやはり花帆を見守ろうとするような表情。

 実鈴のふところの深さが花帆は好きだ。

 でも、頼りっぱなしではいられない。


「わたしが寂しいって態度をとっても、野川のがわ先輩との約束があるときはそっちを優先してくれると嬉しい。実鈴に彼氏がいるのに慣れるまで、どれくらいかかるかわからないけど、邪魔をしたいわけじゃないの」


 訴えを聞いた実鈴は、ぺち、と花帆のひたいを小突いた。


「呼べば野川先輩より自分のほうが優先されると思ってるあたり、ひどい自惚うぬぼれ! けど……うん、あたしも、花帆を選んじゃう可能性は否定できないな。花帆のこと知ってるつもりで、ちょっと子ども扱いしすぎた、ごめん」


「実鈴……」


「だってほら、花帆に比べたら、野川先輩のほうが大人だしね。ちょっと友達がぐずってるから待っててください、って言ったらわかってくれそうだし?」


 実鈴の軽口に、


「ひどい!」


 花帆は頬を膨らませて抗議する。


「リスみたい」


 つぶやいた実鈴は、手で口もとを押さえながら花帆を見る。

 思えば目を合わせるのはいつぶりだろうか。それだけのことなのに、二人はほぼ同時に声を立てて笑いだした。

 ひとしきり笑ったあとで、実鈴がからかうように目を細める。


「ところでその坊城先輩って何者? 図書館の外では会ってないの?」


「そんなんじゃない!」


 それどころか、人に話せる情報は、名前とクラスと容姿しかない。



 野川先輩も知ってる人かもしれないし、そのうち紹介して。

 日向について、実鈴からはそう頼まれた。

 実鈴と日向と野川先輩。みんなで仲良くできたらと想像すると、世界が広がるような予感に花帆の胸は高鳴る。本当にそんな日を迎えられるのか、今はまだわからないけれど。


(そういえば扉、何で開かなかったんだろう?)


 あれから一週間が過ぎた。その間に三回、花帆はひとりで旧図書館に来ているけれど、いつでも出入りは自由だった。

 少しずつ読み進めている星座の本は、あと六分の一ほどで読み終わりそうだ。

 でも、ペースが上がらない。気がかりが邪魔をしてうまく集中できずにいた。

 扉のことが瑣末さまつに思えてしまうほど、重大な気がかり。


「……先輩、どうしちゃったんですか?」


 こぼしたつぶやきに答える声はない。

 家の事情を話してくれた日を最後に、日向は姿を現さなくなっていた。

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