3

 日向ひなたと出会って十日が過ぎた日の放課後、日直の仕事をすませた花帆かほは、今日も旧図書館を目指し、廊下を歩いていた。

 相変わらず実鈴みすずたちとの距離はうまくとれないけれど、旧図書館に通うのが息抜きになっている。

 日向はいたりいなかったりで、会ってもとくに近づくわけではない。けれど、お互いの存在を認めあって、なおかつそっとしているような距離感が心地よかった。

 教室棟を出ようとしたところで、


「花帆! 今から帰るとこ?」


 上から飛んできた実鈴の声に、花帆はびくりとして立ちどまる。

 ポニーテールを揺らしながら階段を下りてくる実鈴の後ろには野川のがわ先輩がいる。短くて茶色い髪が今日もつんつんと立っている。

 なるべく明るく聞こえるように花帆は答えた。


「ううん。図書館に行くつもり」


「図書館って古いほう? 掃除ってそんなに大がかりだったの?」


 こういうとき、するりと嘘をつける器用さが花帆にはない。


「掃除は終わったんだけど、ちょっと……」


 言いよどんでいると、野川先輩が身を乗りだしてきた。


「別の頼まれごと? だったら俺も手伝おっか。そのほうが早いっしょ」


「いえ、ほんとに大丈夫です。図書館で本読むのにはまってて。だから、わたしのことは気にしないでください」


 花帆は無理やりに笑顔を作る。


「また明日ね!」


 手を振り、逃げるように二人のもとを離れる。

 外廊下に出るときに小さく振り返ると、実鈴は何か言いたそうに、花帆のことをじっと見ていた。



(不自然だったかな)


 足をゆるめないまま、花帆は旧図書館に駆けこむ。

 定位置になった壁際に向かう途中、


「……どうかした?」


 カウンターの中から、日向がぬっと顔を出した。今日は先に来ていたらしい。

 カウンターの上にちょこんとあごを乗せて、めずらしく花帆を見つめてくる。


「先輩、それ生首みたいでちょっと怖いです」


 冗談っぽく言ってみたけれど、自分でもわかるほど声がこわばっている。

 日向は「まじか」とつぶやくと、ゆっくり立ちあがった。

 花帆の近くまでやってきて、書棚を背に座りこむ。


「何か話す?」


 目で示されたのは、隣でも正面でもなく、斜め向かいの床だった。


(何でこの人は、ちょうどいい場所がわかるんだろう)


 ずるりとしゃがみこんだ花帆は、ぽつり、ぽつり、と口を開いた。

 中学時代からの親友がいること。その子に初めての彼氏ができたこと。そのこと自体は嬉しいし、自分だって関係を応援したくせに、二人が一緒にいるところを見るとうまく笑えなくなってしまうこと。子どもっぽい嫉妬しっとをぶつけてしまいそうで怖いこと。親友とどんなふうに話していたのか、思いだせなくなってしまっていること。

 きれいにまとまらない花帆の話を、けれど日向は小さく相づちを打ちながら聞いていてくれた。


「大丈夫なつもりが、そうじゃなかったんだ」


「実鈴は本当にしっかりしてて頼りになるんです。告白の返事をする前にだって、『彼氏ができたからって花帆が大事じゃなくなるわけじゃないんだからね』って言ってくれたのに、わたしは『実鈴は心配性だ』なんて笑ってしまって。なのに実際はこのさまで」


 自分で話していても、情けなさに体が縮こまっていく。


「その環境に放りこまれて、初めてわかることもあるよ」


 慰めるような言葉に花帆は勢いよく顔を上げた。


「でも、だからこそ、わたしもしっかりしたいと思ってて! ……思ってはいる、んですけど」


 ぜんぜん、うまくできていない。またもしょんぼりとしてしまう。


「今俺に話したこと、友達にも話してみる、っていうのは?」


 日向の提案に花帆は首を縦にも横にも振れず、うつむく。


「話したら、きっとわたしの甘えは許されてしまうんです。気持ちの整理の仕方を身につけられないまま、甘えさせてくれる実鈴に頼ってしまう」


 そうして片方が片方に寄りかかったままで行ける場所には、限界があるんじゃないか、と近ごろの花帆は思うようになっていた。そんなのは嫌だ。


「――変わりたい?」


 それほど大げさではないかもしれない。ただ少し、大人になりたいだけ。けれどその方法がわからずにもがいている。もがく途中で、実鈴まで困らせている。


「まったく状況もわからないまま変な態度とられるよりは、理由だけでも理解できてるほうがいい、って俺は思う。けど、それは俺の考えだしなー」


 昼寝の時間を奪ってしまっているというのに、日向の口調に自分の考えを押しつけるような雰囲気はない。ただ受け止めてくれる態度に、暴れていた気持ちが静まっていく。

 これだったら何とか、絡まったものをほどく糸口が見つけられるのではないか、という気がしてくる。


「考えて、みます」


「考えすぎて時間切れにならないように」


 さとすような口調は自分と一歳しか違わない少年のものにしてはやけに大人びていて、花帆はふと興味を覚えた。


坊城ぼうじょう先輩は、どんな人なんだろう?)


 視線を日向に向ける。と、日向のほうでも花帆を見つめていた。

 思いがけずしっかりと目線が合ってしまって、心臓がふいに大きく跳ねる。頬が内側から熱を持つ。

 内心で花帆が慌てていると、日向も同じだったのか、先ほどまでとは打って変わった明るい声をあげた。


「な……っんでこんなさびれたとこに通ってるのかな、変わってるな、と思ってたんだ」


 一瞬だけ流れかけた奇妙な空気がぱちんとはじける。ほっとしたような惜しいような気分になって、そんな自分に花帆は驚いた。


「先輩だって、人のこと言えないじゃないですか。ここに来るの、わたしよりベテランだし」


「ベテラン、って」


 突っ込むように言った日向は、ふと表情を消すと、ただでさえ微笑んでいるような唇の両端をきゅっと上げた。


「まあ、そうだけどさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る