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 帰りのホームルームが終わって担任が出ていった途端、教室はにぎやかになる。

 六月に入り、高校生活にも慣れ始めた一年生たちはおもしろいことを探していた。

 今日いちばんの話題はふたつ隣のクラスにやってきた教育実習生のこと。堀倉ほりくら先生っていうらしいよ、とか、うちのクラスに来てほしかった、とか、あちこちのグループが盛りあがっている。

 スマートフォンを取りだすと中学時代からの親友――相沢あいざわ実鈴みすずから、何件かメッセージが届いていた。


『下駄箱の前で待ってる』


 ロック画面に表示されたひと言に、花帆かほの胸では期待が膨らんだ。今日は二人で帰れるのだろうか。

 いそいそとアプリを開く。希望はあっけなく砕かれた。


野川のがわ先輩がテストのお疲れさま会しよって』『花帆も行こ?』『下駄箱の前で待ってる』


 野川先輩は小柄で明るい二年生で、つい一週間ほど前にできた実鈴初めての彼氏だ。顔を合わせれば必ず花帆にも挨拶をしてくれる懐っこい人。けれど、


(……先輩も一緒なんだ)


 花帆は二人が一緒のところを見るのが苦手だった。子どもっぽい嫉妬だと頭ではわかっているけれど、野川先輩に親友をとられてしまったような気持ちがして、うまく笑えない。

 こんなとき文字だけのやり取りは便利だ。落ちこんだ顔もこぼれたため息も、実鈴に知られなくてすむ。

 隣とはいえ実鈴とクラスが離れたことが、幸運だった気さえしてきていた。


『先生に旧図書館の掃除頼まれたの』『行けなくてごめんね』『先輩と仲よくね!』


 返信にはすぐに既読のマークがつく。


『手伝おっか?』


『先輩待たせちゃだめ』


『でもあそこ心霊スポット』『苦手でしょ』


『もう高校生だから大丈夫!』『先輩によろしくね』


 しばらくして送られてきたメッセージは、花帆の気をまた重くさせた。


『次は花帆も一緒だからね』



 三人で遊びに行くのは回避できたのだから、別に帰ってしまってもいい。

 けれど伝えた言葉を嘘にしてしまうのは気が引ける。

 実に消極的な理由で花帆は旧図書館に向かった。

 園村そのむら先生の頼みだというのもひっかかる。

 園村先生は五十代後半の女性で、低い位置に作った白髪まじりのお団子がトレードマークの、見た目だけならばおっとり優しそうな人だ。

 ただし、性格は少し変わっている。


 ――わたしは皆さんに現代文を教えます。著者の意図を問うこともあるでしょう。問題を出したからには解答は存在します。けれどわたしは、本当は、どの答えにも丸をあげたい。だって意図だなんて著者以外には、いいえ、本人にだって、わかっていないかもしれないでしょう? 何だってありなのが本です。解答に納得できないときはお話をしましょう。


 初めての授業で行った自己紹介が独創的で、花帆は彼女のことが気に入っていた。

 旧図書館はその名が示す通り、昔使われていた図書館だ。現在は新しい図書館に役目を譲り、かといって取り壊されるわけでもなく残っている。

 生徒たちの口のに上るとすれば、唯一、怪談話においてだった。いわく〝生徒の幽霊が出入りしている(のを見た人がいる)らしい〟

 焦げ茶色をした重厚な木製の扉の前では、

放課後の喧噪けんそうはどこか遠い。扉には縦に長い、棒状の取っ手がついていた。体重をかけるようにして引いて、ようやく重い扉は開いた。

 恐る恐る中を覗くけれど幽霊らしき影はない。


「失礼します」


 ほっとした花帆はささやくように告げて、中へと足を踏み入れた。

 本の日焼けを防ぐためか窓が小さく、さらに外側に生えた苔によって光がさえぎられている。館内はざらりとした飴色に染まっていた。

 立ち並ぶ書架しょかは、背こそ高くないものの、扉と同じどっしりとした木製だ。見通しのよいスチールラックの並ぶ新図書館と比べると空間の密度が高かった。


 何より花帆を驚かせたのは、その本棚がびっしりと本で埋め尽くされていたことだ。

 てっきり、本は新図書館に移動していると思いこんでいた。

 道理でなくならないわけだ。これだけの本を保管できる場所は、きっとここしかないのだろう。


 扉の近くにある電灯のスイッチを押してみる。明かりはつかなかった。

 けれど、さぞかたまりになったほこりがあちこちに落ちているのだろうと想像していた館内は、掃除が不要に思えるほど整っていた。


 全体的に色の抜けたような背表紙に目を向けながら、書架の間を巡ってみる。奥に進むにつれ、木と、古い本特有のひんやりとした匂いが濃くなっていく。

 静寂に沈みこむと、ここしばらくの憂鬱ゆううつが薄らぐようだ。

 足を止めた花帆は一冊の本に手を伸ばしていた。表紙も見ずに選んだそれは、星座にまつわる神話を集めた作品だった。

 長いこと開かれなかったせいでくっつき気味のページを、一枚ずつ、ていねいにがすようにしてめくっていく。読書は好きだ。


「……ちょっとだけ」


 その場にかばんを置き、花帆は壁を背もたれにして床に腰を下ろした。

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