第7話 羽

「ずっと好きだったんだよ」

「え?」

「……」

 お互いが黙ったのを、お互いにばつが悪そうにしている。


 いきなりの告白で持っていたペンが止まり、教科書を転がって机の下に落ちる。

 俺が拾おうと下を向いた隙に彼女は両肘を俺の机に設置して、これでもかと俺の机の上で自分の領地をアピールしている。

「……映画……撮れるぐらいになったら」

 彼女にはそれができても、俺にはそれを対処するほどの器用さは無い。

「…………その時、また考えさせてください」

「……分かった」

 リナが教室を先に彼女に出ていった後、良いタイミングでサッカー部の集団が教室を訪れた。

「一緒に勉強してるよな、しかも毎日」

「別にいいだろ」

「もしかして付き合ってんの?」

「そんなわけないだろ……」

 しばらくして彼らがいきなり笑い始めた。

「そうだよな、そうだよな。釣り合わねーもん、お前とあいつじゃ」

 確かに俺は女子と関われるような人間ではないかもしれないけど、他人がそこまで言っていいとは思えない。

 怒りが込み上げたあまり大声で注意したが、むしろ彼らの声は大きくなるばかりだった。

「だって、あんなブサイクとは付きあっても何の得もないもんなぁ!」

 急な発言に唖然した。

「俺はそんなこと……」

「汚い顔してなんでそんなふうに告白できるのかな。受け取る側も戸惑うに決まってるのにさ!」

 火に油を注いだように笑い声は継続して大きくなった。

 チラッと廊下の奥で全速力で消えていくリナの姿が見えた。

「わ・ざ・と」

 サッカー部の彼が肩をぽんぽんと叩くのを払い除け、追いかける。しかし、リナは廊下にはもういなかった。必死に行った場所を予測して追いかけても、リナはどこにもいない。学校を出て校庭を走っても、見えるのは教室で勝ち誇った顔をして俺を見つめるサッカー部の連中だった。


 数日後、弁明の機会を失って勇気が出せないでいると、窓からリナとそのサッカー部の人間が一緒に歩いて帰っているのが見えた。聞いた話では彼らは幼なじみで付き合ってはいないらしいが、はっきり言って付き合っていることと何が違うのかよく分からなかった。

 勉学の成績不振、男のベクトルが完全に映画制作に向いたのはその頃だった。 

 卒業式、一人で帰るリナを男はそっと見て、目を瞑ってはその後ろ姿を脳裏に焼き付けた。次に目を開いた時、リナの姿は既に視界から消えていた、


 はずだった。


 異変が起こった。リナが振り返って二階の校舎にいる俺を見ていた。彼女の表情は卒業式には似合わないやけに無機質な表情だった。彼女の発した単語は遠くて聞こえないはずなのに、もはや分かっていたかのように俺の脳内にスッと入ってくる。

「ス キ ダ ヨ」

 俺はこれ以上ない身の危険を感じた。おかしい、おかしい。こんなはずじゃない。俺が経験したのはこんなことじゃない。だって彼女は────。

 その時、すごい早さで高校生の時とここ先日の記憶がフラッシュバックする。



 ひたすら司会の言うことに機械的に拍手をし、話す時は笑顔の仮面を貼り付けなければならない同窓会。


 俺と同じくらい勉強している雰囲気がないのに成績が高いライターの友人。俺が図書館に行った隙を窺っては俺のことをネタにして笑っている。


 公園でチョコを上げた子供が母親に通報し、不審者扱いして警察が俺を捕まえる。


 サッカーボールで夜通し俺をいじめるサッカー部の彼。


 俺を無視して焼肉を食べ続けるヤマトと、カズマ。


 異様に静かな教室に一人で勉強する俺。



 こんな人生なら良かった、そうでしょう?


 これなら誰も嫌な思いせず平和だった。


 見ず、喋らず、聴かず。


 何も生み出せやしないけど。何も、誰も失わない。



 ああそうだ。

 俺はそんな世界を望んでいる。

 海の中で水圧で何もかも潰されたまま、何かを失うことすら知り得ない世界を望んでいる。

 透き通った海の中でうっすら見えたのは太陽に覆い被さる積乱雲。

 積乱雲が落ちて混ざり合い、俺の肉体を巻き込んで渦を作る。そんな中、一直線に俺の元に降ってきた一本の細い腕。彼は俺の体を掴むと凄い勢いで引っ張って俺を海から脱出させた。

 俺は朦朧とした意識の中で、俺の体をしっかりと掴む虹色の羽を持った美しい鳥を見た。


 この世界は夢だ。




 何とも無機質な天井が見えていた。しばらく息も出来なかった。こんな結果にしたのが、本当に自分であることを疑った。信じたくなかった。机の木のささくれが妙に気になったが、剥がして捨てようとする気力は湧かない。何かをクシャクシャにしたくてたまらない。

 俺は強く願うあまり、記憶の奥底に存在した「彼女」に答えを求めた。今の「彼女」は答えてなんていないのに、俺は尋ねてなんていないのに。

 もしあの時、リナに質問していたら。

 あの子に「大嫌い」と言われていたなら、今の今までこんな気持ちを引きずらなくて済んだのに。

 そうすれば俺も彼女に区切りをつけるような態度をとれるはずだった。

 ガンッとベッドの角張ったところに頭を打ち付けた。

 冷静に考えて、優しい彼女が「大嫌い」と言うはずがなかった。

 こんな質問は無意味だ。考えるだけ無駄だった。

 

 俺は立ち上がった。

「終わりにしよう」と誰かがそう言った。



「あの時以来だね」

「うん」

「──ヨイショ」

 カズマは予想よりずっと早く席に戻ってきた。気まずい雰囲気をどうにかする必要があった。

「えーと、お二人はどういう関係で?」

 最初質問した内容を失敗したと思ったが、二人の動きが止まった反応を見て、失敗は困惑に変わった。二人が小さい声で話始めたのを見守るしかなかった。カズマがチラッとヤマトの寝ている顔を見て、安心したように話始めた。

「実は付き合っていて、そして近いうちにそろそろ結婚しようと思ってて」

 カズマはトップシークレットのように話そうとしたのだろうが、どうしても幸せが顔から滲み出ていて、俺は初めてカズマの満面の笑みを見た。

「え」

 心から感情が溢れて来る。

「おめでとう!」

 それは紛れもない祝福の感情だった。

「ありがとうございます!!」

 お互いに小さい拍手をした。

「折角だからヤマトにはギリギリ結婚式ぐらいまで秘密にしていたいんですよね」

「面白そうだね」

 ここでリナが唐突にカズマの肩を叩く。

「映画作ってもらわない? 記念に一個だけ」

 リナが手を合わせてお願いしようとしたがカズマがやめさせた。

「いくらなんでもそれは」

「いいよ」

 残った肉を片っ端から口放り込んで言った。顎以外にも色んなところが痛んで困る。

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