3.魔弾のタクシー

「お客さん、今日はどちらに」


 呼んでもないタクシーは、ちょうどいいタイミングで、私を待つように外に止まってくれていた。静かに乗り込むと、低い声で運転手はそう呟く。


 その声に吸われるように。無意識にも似た浮遊感でその人の名前を吐いてしまっていた。


「篠崎マサミ……」


「あいよ」


 タクシーは動き始める。こうなるともう止まらない。普通の速度で進んでいるようなのに、なぜか加速してく背景達。この光景にももう慣れた。今日は、どれくらい時間がかかるだろうか。


「篠崎さんはどういうお方だったんですか?」


「あまり知りません。親戚で八年間くらい姉を引き取ってもらっていました。夫婦ともに姉に暴力とか、体罰をしていたみたいです」


「じゃあ、ついでに旦那さんのところにも?」


「いえ、その必要はありません」


 そう、その必要はなくなったのだ。旦那の方、篠崎ケンは一昨日死んだのだ。嫁の、篠崎マサミに殺された。そのせいで、私は知ってしまったんだ。お姉ちゃん、ユフカがあの家でどんな、生活を送っていたのか。


 さっきまで、あの家での生活をフユカから聞いていた。どれだけ悔しかったか、どれだけ苦しかったか。


 ドンッ、とタクシーが何かにぶつかり、急ブレーキをかける。


「もう、着いたんですか?」


「それだけ、死に近かったのですよ。それでは、帰宅しましょう」

 



 とある噂。この世には悪魔が運転するタクシーがあるという。


 悪魔と契約したものはそのタクシーに乗ることが出来る。タクシーのルールは単純だ。


 行き先として人を伝えれば、その人物をひき殺してくれる。同姓同名などのトラブルも大丈夫。悪魔はしっかりと仕事をするベテラン運転手だ。


「お代? 気にしないでいいよ」そう、運転手は言うがこれは悪魔との契約だ。最後には何かを失う。それが心の端でわかっていても、人は復讐を望むのだ。

 



 私が中学二年生の時、高校一年生だった姉と引き剥がされたその日から数年。社会人になった私は、まだ両親の呪縛からは解放されていなかった。


 大学入学後、一人暮らしを始めて。やっとまともに友人関係をきづけた。遊んで、楽しくて、両親のことを何度も無視した。家に来ると言われたときは友人の家に逃げ込み、そのうちゲリラでウチにやってくるようになってから私の住処は友人の家となっていた。


 しかし、そんな楽しい日々を謳歌していた私は、結局真面目に学校に行かなくなって退学することになってしまった。


 両親はなぜかそのときだけは声を荒げなかった。宗教の勧誘のように優しく、母の知り合いの営む子会社にコネで入れてもらえた。それからは、全てにおいて監視の日々が始まる。


 大学を卒業できなかった私は、親に歯向かうことが出来なかったし、上司は母の友人であり後に発覚したが母の愛人だった。故に私はそこに入社できたわけだけど。


 母と仲良しな上司は逐一で私のことを報告していたし、セクハラだって執拗にされ続けていた。


 そんな中で悪魔から手をさし伸ばされたら誰だって握ってしまうだろう。私にとっては天使、いや神だ。


「誰でも殺せますよ。殺せるだけですけど」


 首を縄で絞められた状態で地につま先だけついているような日々。少し浮かれだだけで死んじゃいそうな中で、その言葉は鋭くて。たちまち抑え込んでいた縄を切り、私を解放してくれた。


 手始めに上司の名前を告げると。あっという間に終わっていた。


 どういう経緯か母の浮気が発覚して父が家から出ていった。芝居がかったヒステリックを起こした母は怖くなかった。


 嫌な上司もなくなり監視も弱まった生活を行っていると、「そろそろ、お姉ちゃんも迎えにいかないとね」なんて今更なことを言いだしたのだ。


 自分の都合だけで、世界が回ると思っていたのだろう。姉のフユカを強引に連れ帰ったあと、姉は懇願するように母にすがった。


「あの家には私がいないとダメなの」


 それでも、帰ることを認めず。早く仕事を始めろだの、お金をよこせなど母や騒ぐ。そうしている間に事件が起こってしまった。


 姉が引き取られていたその夫婦の大喧嘩。向こうの家は、男尊の家庭であり、夫でありクズ野郎の篠崎ケンが一番だったという。妻の篠崎マサミと、引き取られたユフカが働きクズのケンは飲んで遊んでだったと。


 マサミとユフカも女性同士支え合って生きていたわけでもなく、中は最悪だったという。本当、私の周りはバッドコミュニケーションしかできない人ばかりなのだ。


 そんなこんなで、フユカがいなくなったことで今後の生活について夫婦は大戦争。今までストレスをために貯め込んできた、マサミはケンを殺して逃亡。


 それを知ったフユカは私を呼んで、全てを話してくれた。向こうの家にいってから数日後に、ケンから襲われて大切なものを失い。それが気に入らなかったマサミがフユカを敵対していじめを行い始めた。そして、その後の最悪な日々の全貌。


「マサミさんは絶対に私も殺す気でいるわ。あの人だったら絶対そう、そうじゃなかったら自首している」


 ということで、タクシーを使って罪人をひき殺して今日がある。


 セクハラ上司がいなくてもブラック会社に勤める私。母の紹介した会社全部を蹴って水商売へと向かった姉。精神的不安定さが増した母。バランスが取れるわけもなく、崩壊の日々はまだ続くのだった。




 母が壷を買った。


 家に帰ってそれを知った私は仕事疲れもぶっ飛ぶほど笑って「そんなことある?」と叫んでいた。


 笑い話で収まるかと思ったけど、冷静になり始めると壷の値段とか。今後の母のことを考えると不安でいっぱいになった。ひとまずは下考えようと、眠りにつく。


 次の朝は、フユカの大笑いで起こされた。


「馬鹿だよ。バーカ、え? これいくらしたの? 誰のお金? もしかして貯金? 全財産?」


 母を馬鹿にするように笑うフユカはまるで別人に見えた。私が好きだった姉は、何処かボーッとしていながらも芯があるような。強い部分を持った人だった。


 今の彼女はただ醜く見えた。


「フユカ。言い過ぎだよ。お母さん泣いているじゃん」


 母のもとに向かって、肩を抱く。フユカを見上げるとさっきまで笑っていたのに、シンと表情は消えている。


「あんた、こいつの味方するの?」


「違うよ。今は冷静に話せる状態じゃない。いったん落ち着いたら皆で話そう? フユカも疲れているでしょ。それにお酒くさい」


「……確かに、ちょっと飲みすぎたかも。歓迎会だったのよ昨日。店の人皆いい人だし、いい気分で帰ったら、これよ? ちょっと言いたくなるじゃん?」


「わかる、わかるよ。私も昨日笑っちゃったし」


「そうだね、私達同じだもんね」


「そう、だから。今のフユカが冷静じゃないこともわかるんだから」


 そう諭すと何とかフユカは部屋から出て言ってくれた。泣く母を慰めながら、もう母はここまで弱ってしまったのかと嘆いてしまう。父が出ていった時は、まだ元気そうだったのに。どんどん、弱っていく。


「でさ、フユカに言う前に教えてよ。あれ、いくらしたの?」


「……違うの。あんたなら信じてくれるでしょ? お母さんあんたのために頑張ってきたじゃない。信じてくれないの?」


「大丈夫落ち着いて。壷じゃん。花瓶にでもして、お花でも飾ろうよ」


「そう、そうなのよ」


 縋るように母がしがみついてきた。


「お父さんがいなくなって、私。寂しくて。そしたらね、病院の先生がお花でも飾ってみたらどうですかって言ってきたのよ。お母さんそれだって、思ってね。まずはこれだけ買ってきたの。あんたたちが好きな花を生けようと思ってまずは、これだけ」


 一瞬信じられないと思ってしまった私は、どうなのだろうか。でも、この人の今までを考えると、そんなの信じられないんだ。


 でも、今だからこそ。信じてみるべきじゃないのだろうか。家族そろって寄り添えるんじゃないか。


 そう言われてみると、確かに少しチープなデザインに見える。いや、そのチープさがうっさん臭さを出していたのだろう。母が語った値段は、一般的から少しだけ背伸びをしたような価格だった。壷の一般的な価格を知るわけじゃないけど、動機を考えれば高い買い物じゃない。


「ごめんね、お母さん。ごめんね」


 私は、母を抱き返して泣いていた。そこで母のやせ細った体をしった。温もりを知った。今まで、知らなかった。


「でも、私。花の名前とかわからないや。好きなの飾っていいから、それを教えてよ」


 母を落ち着かせた後、私は自室に戻る。今日は久々の確定で休みな日なのだ。一日寝てやるつもりだったのに、こんな朝になるなんて。


 昼過ぎに、フユカは起きたり起きなかったりする。流石に今日は起きるだろうから、そのときに誤解を解けばいいだろう。とりあえず二度寝だ。


 自室に入り驚いた。なぜか、フユカがベットの上に座っているのだ。私のお気に入りのぬいぐるみを抱きしめて、私が入るや否。顔を上げて笑顔を見せた。


「ねぇ、一緒にねようよ」


「えー、もう大人だよ。フユカだって自分の部屋があるでしょ」


 現在、元父の部屋がフユカの部屋になっている。父の部屋のベットはこの家で一番高い奴。


「ねぇ、大人とか関係なくない?」


 フユカの声が少しだけ低くなる。怒っているわけじゃない。寧ろ甘えると彼女は声が低くなる。まだ、覚えている。


「私とあんたは、同じでしょ? それとも、もう……」


「ううん。大丈夫だよ。まったく、仕方ないお姉ちゃんだ」


「やったー」


 一緒の布団に入り、温もりを分かち合う。そんな中で、彼女は静かに震えていた。


 そうか、フユカはまだマサミのババアが死んだことを知らないのか。どこで死んだのかはわからないけど、早く見つかって報告が来ないかな。そうじゃないと、フユカはずっと怖いままだ。


 でも、そう思う反面。彼女がこのままでもいい自分もいる。またフユカがあの頃のように甘えてくれる。母は棘を失った。世間体を気にする小心者の父もいなくなった。


 今ならずっと。二人でいられる。フユカも気持ちは変わっていないみたいだ。また、あの日々をやり直せるなら。


 好きな人と一緒にまた今を過ごせている。その事実を今更実感して、私は温かい眠りについた。




 結局壷は、買ったものの母はなかなか花を買いに行かなかった。調べているうちに面倒くさくなって、さらに水やりとかも面倒くさそうだから、もういいだの言い始めたのだ。


 そんなことを言っていたら、姉がお客さんから謎の花束を貰って買ってきて、それを飾ることになった。


「歓迎の証だってさ。これじゃあ引退するみたいだって皆で笑っちゃった」


 そんなこんなで、壷に花が入ったが。水入れは私の仕事になってしまった。私に送られた花ではない、私が買った壷でもない。そして名前も知らない花々を可愛がることはできなかった。




 仕事の昼休み。私にとってその時間は限られた自分の時間だった。前は、クソ上司と一緒に食べに行って小言を永遠に聞かされていたけど今は、一人でゆっくり食べれる。母の目も届かない。


 次第に食べること自体が癒しへと変わっていた私は、今日も会社近くの弁当屋でガッツリ月見豚丼大盛り弁当を買って、公園まで来ていた。


 一人で食べるには丁度いいし、急な電話にも対応できるいい場所だ。この時間帯には同じような人々が各所に見られるし、落ち着いて食べれる。はずだったのに。


「何でいるんですか?」


「少しお話したくてですね。随分と、生きやすくなったようで」


「おかげさまで」


 何となくいつも腰かけているベンチに、その人はいた。紺色に金色のラインが入った制服、同じようなデザインの帽子。顔は顔はぼやけていて見えない。ハッキリいって異常なのに、そこにいて違和感がない。無意識で受け入れてしまう。


 人をひき殺す殺人タクシー『魔弾タクシー』の運転手がサンドイッチを食べながらそこに座っていた。


 進められるままに隣に座った私は。不安よりも食欲が勝り、弁当を広げて口に運びながら彼の話を聞いた。


「いやー、なんといいますかね。平和になりましたね」

「ほはへはまへ(おかげさまで)」

「困りますねー」

「何で?」


 タレと黄身が程よく混ざって、豚肉のうま味力に最大のバフがかかっている。うますぎて箸が止まらない。……じゃない。


「……んっ。困るって。どういうことですか」


「いやー、実はですね。私たちはノルマがあるんですよ。仕事ですしねぇ。だから、たった一人を殺したいって人よりも大勢の人を殺したいって思う人と契約するんです」


「なるほど、二人じゃたりないと」


「えぇ、六人必要です。私からすればですね。貴方は会社の上司、両親は確実で、お姉さんを取り戻すためにあちらの夫婦。そこまで殺せば、抵抗がなくなって高校時代に貴方をいじめていた人々まで矛が向かいと。そう、思っていたんですよ」


「かなり、私のことをわかっていますね」


「仕事が仕事ですから。ターゲットの情報収集は怠れません」


 でも、それを聞いてそうかの思ってしまう。最近家や会社のことで、一杯一杯だったけど。あいつらも、殺せるのか。


 大学時代が楽しかったから、心のどこかで蓋ができていた。でも、この人の言う通り、たくさんの人を殺していったら、押し込んでいたものが出てきていただろう。


「そっか、お父さんは勝手に出ていったし、お母さんの束縛もなくなった。向こうのおじさんは殺されたし。結局私のために殺したのは上司だけ」


「それに、契約書のことは覚えておりますか? 心苦しいのですがこのままノルマが怪しそうでしたら、それなにり措置を」


「……ッ! あ、あぁ。そうでしたね。そういえばそうでした。え、じゃあ。このままだと、誰が死ぬんでしょうか?」


「それは、貴方が一番わかっていますよ」


 いつの間にか弁当は食べ終わり、運転手さんは隣から姿を消していた。でもそうか、タクシーに乗って人の名前を言うだけだったから意識が薄かったけど。私、人を殺したんだ。


 そして、このままノルマを達成できなかったら。


 なぜ今まで忘れていたんだろう。言われて思い出した。あの一文が私を一瞬とどめた。でも、あの頃は限界だったから踏み込んだ。あの恐ろしい一文も乗り越えてしまった。


――ご使用回数が規定以下の場合。コチラで相手を選び処置を行います。その場合選ばれるのは、貴方が愛する人々となります。


 私が愛している人ってだれだろう? 愛ってなんだろう。


 そんなことを考えているとそろそろ戻らないといけない時間。慌てて立ち上がり、仕事場に戻りながら私の頭には一人の女の子が浮かんでいた。フユカじゃないことに、心が少しだけ痛んだ。少しだけ。



 

「それにしても、久々ですねー。まだ、先輩の歯ブラシとかのこってますよ」

「いや、一年以上経ってるでしょ。捨てなよ」

「えー。でもあった方が一人じゃないって思えるし」

「重くない? それ」

「重いかな?」


 久々に来た彼女に家は一年と半年近く来ていなかった割には特に変わりはない。細かいものは変わっても、こんな短い期間では大きな変化なんてあるものじゃい。


 大きな心情変化とかがなければ。


「でもよかったですよ。親御さんとはどんな感じですか?」

「それがねー、色々あったんだよ」


 二人いつの場所である、ソファに並んで座る。置いてるクッションは私が買ったものだった。ここでよくお酒飲みながら映画とか見ていたんだよな。


 彼女といると、この場所にいると落ち着く。私の人生の中で初めて手に入れた親の束縛が届かない隠れ家。私を甘やかしてくれる後輩。だからこそ、辛さとかがつらつらと口から漏れ出してしまう。


「……それなら、先輩も一人暮らしが出来るんじゃないですか?」


「えっ?」


「だって、お母さんが束縛することはなくなったんですよね? お姉さんが帰ってきたなら、家のことは任せればいいですし。それなら、仕事場に近いところに一人で住んだ方が心身ともにゆっくりできますよ」


「まぁ、そうだけどさ」


 でも、そううまくはいかない。お母さんが落ち着いているのは、娘二人がいるからだろうし、フユカには私への思いがある。逃げるような真似は私にはできない。


「そしたら、今度は私が先輩の家に居候するんだぁ」


「ごめんけど、色々忙しいの。部屋探したり引っ越ししたり。そういうのは今は無理かな」


「そうですか……じゃあ。またここで暮らしません?」


「なんでよ。ここから職場まで結構あるよ」


「でも、親御さんはいないですし。私がいますよ?」


 自信満々にそうんなことをいうこいつは、ずっと前からこんな感じで、それに癒され続けてきた。今思えば自分にはもったいないようなできた女の子。


 ついつい伸ばした腕で頭を撫でてしまう。でも、今の私は自分のためだけに幸せになるわけにはいかない。私は人を殺してしまった。これからも、殺していく。そうしないと。この子は死んじゃうかもしれない。


「先輩?」


「ごめんね。今日はもう帰る。元気そうな顔が見れてよかったよ」


 名残惜しそうにマンションの下までついてきた彼女は別れ際しれっと笑顔で言ってきたのだ。


「歯ブラシ、新しいの買っておきますね」


 重いなあ。でも、嫌じゃないし。寧ろ、少し泣きそう。やっぱりこれが愛なんだろうか?


「うん、柔らかめの奴でね」


 そういうと彼女は笑顔を取り戻して、元気いっぱいに手を振って送りだしてくれた。


 角を曲がってあの子の視界から外れた時。目の前のタクシーからクラックションを鳴らされた。


 私は無言でそれに乗り込む。


「さて、どちらに行きましょうか」


「末石チヒロ」


「……あいよ」


 走り出すタクシー。私はその中で泣いていた。思わず叫んでしまっていた。「止めて」「ごめんなさい」「辞めて」。


「すみません。説明をしましたが。止まれないんですよ。これ」


 運転手も何かに気づいたのだろう。同情するように言葉を吐いた。


「事情があるんでしょう。その、チヒロさんはどんな人だったんですか?」


 この運転手は全部調べている。だから知らないはずがない。


「私の……好きだった人。大好きな」


 車に衝撃が走った、何かにぶつかった。


 その瞬間。私の中の大切な何かも切れて、意識が遠のいていった。




 目を覚ましたのは、フユカの膝の上だった。


 私の頭を膝にのせて携帯をいじっていたフユカは、すぐに私の目覚めに気づくとペットにかまうように無言で頭を撫でてきた。


 ゆっくりと体を起こすと、私の部屋。


「玄関で倒れていたんだよ。具合悪いなら病院行く?」


「いや、そういうのじゃないから。ちょっと眠かっただけ」


「ふーん、大変ね」


 ふと鏡を見ると、顔がぐちゃぐちゃになっていた。そういえば思いっきり泣いたんだった。


 さっきの言い訳がバカバカしく思えたけど、倦怠感のせいで訂正するのもやる気にならない。ふーん、で終わらせてくれたわけだし今回はフユカに甘えさせてもらおう。


「失恋?」

「えー、聞くのそれ?」


 やっぱり、フユカはフユカだったか。


「だって、あんたらしくなくオシャレなんかして出ていったと思ったら、そんな顔で帰ってきて倒れているんだよ? 失恋でしょ」


「はいはい、で? だったら何?」


 フユカは無言で携帯を置くと立ち上がり私の周りをぐるりと回る。そして、ベットに押したおすとその上に覆いかぶさってきた。もうなんか色々と面倒くさかった私はその行為に対してため息一つしか出ない。


 フユカの顔が近づいてくる。


「どうして?」

「フユカが戻ってきたから、終わらせた。そういうこと」


 適当にそういうと、彼女は顔を引いてまんざらでもなさそうに微笑んだ。本当、何もかもあんたのせいだ。


「よかった」


 そう呟いた彼女は自然な動作で、私の首に口づけをしてきた。ぞわっとした感覚が全身を駆け巡った。慣れたような動作と、「今はここまで」とい余裕の表情を見せた彼女に言葉を失う。


 携帯を手に取り、彼女は仕事に向かった。時間を見ると、フユカがお店に行く時間をもう一時間以上超えていた。


 たぶん、携帯をいじっていたのも店の人と連絡を取り合っていたのだろう。自分のやりたいことが出来たら、他を後回しにする。それなのに、何もなかったように後回しにした物事に参加する。


 フユカは、依然変わらない。




 うちの家族は最初からどこかズレていたのだ。後に何度も聞かされた話だが、母は私を生んだことを後悔した。彼女は育児が天才的に下手だったのだ。不器用で、子供の気持ちがわからない。見かねた父が仕方なく手伝いを雇ったくらい。そのせいで、母の自信はなくなり、子供に対して愛情などはなくなり恐怖だけがそこにあった。


 そんな中で生まれてしまった私は、もはや完全に重荷なわけで、愛情なんて知らないまま育っていった。


 一番古い記憶は保育園の下の方の時。私はフユカが通っていた最寄りの保育園に入れなかった。少し離れた別の場所に入れられた。


 最後に残った園児たちがテレビのある大部屋に集められて親の迎えを待つ時間があった」。一人、また一人とお迎えがくる中で、私だけが最後まで残る。さらにそこから、職員たちも帰りだして、私と一人の先生が母の迎えを待つ。


 母は仕事なんてしていないから誰よりも早く迎えに来れるはずなのに。


 そして、迎えに来た母は先生から怒られて小さくなる。それなのに、次もまた次も私は最後。でも、先生だけはずっと一緒にいてくれたし、優しくしてくれた。そのときの寂しさと温もりがずっと残っている。


 そして、そのときの記憶のせいだろうか。多分それだけじゃないと思う。世間体を気にする両親からの反発や、交友関係。全てが絡み合った結果なのかもしれない。


 小学校高学年。私は、年上の女性が好きな自分に気づいた。そして、中学生に上がる頃。その対象は姉のフユカへと絞られた。


 フユカは頼りになる姉だった。私と違って人懐っこさがあって、友達もたくさんいた。私もいっつも姉にくっついてのその輪の中に入れてもらっていた。姉にはしっかりと育てのお手伝いさんが憑いていたからその人に影響されたのかもしれない。私たちの家族とは違う世界に来ていると思ってしまうくらいイキイキとしていた。


 そう、全ては私からだったのだ。私から始まった恋だった。


 それは不器用で露骨で思い出しても恥ずかしいほどバレバレだった。両親は現実逃避主義だから、あの日になりまでは仲のいい姉妹として目をつぶっていた。


 姉が高校一年生になってすぐのことだ。


 彼女は中のいい友達がいて、そのこと同じ高校に入ろうとしていた。私立の頭のいいところで、通うには定期を買って朝早くに電車に乗る必要があった。


 自分より優秀な娘が嫌なのか、金がかかるのが嫌なのか、母は受験期間執拗に姉を嫌がらせしていた。私は影でそれを阻止したり、止めたりして母と戦っていた。姉のためと思うとそれが楽しかった。


 無事、高校に上がった姉は、なんとそこでいじめを受けたのだ。


 母の嫌がらせを掻い潜って掴んだ入学。そんな親がいやいや払ってくれて向かう悲惨な高校生活。姉は、壊れてしまっていく。


 悪い意味で純情な私はそれでもフユカの支えになろうとした。そして、フユカは過ちを起こしてしまう。その場を母に見つかり私たちは離れ離れとなる。その時彼女は私にそっと言ってきたのだ。


「好きになるって、こんなにも醜いものなのかな」


 そして、最後にあの言葉を残して去っていった。


「実はね。私も、あんたと同じなんだ。そのせいで、いじめられちゃった……」




「乗っていくかい?」


 気さくにそう声を掛けてきたタクシーの運転手を私はスルーした。今日は気分が悪いという母のために二人分の弁当を買いに行っているところだった。


 タクシーはうざいナンパのように低速で私の隣にくっついてくる。


「ねぇ、実の話。私って元は人間だったりするんのですよ。あなたの愛する人を殺すのは心苦しい。前回のように、貴方の依頼だったとしてもつらいのです。あと、三人。どうか、乗ってはくれませんかね」


「嫌です」


 私は、そういって運転手さんの顔を見る。表情はわからない。いつも通り、ぼやけている。それでも、何処か悲しそうでもあった。私の勝手な想像だろうか。自分写しをしているだけじゃないのだろうか。


「私には、どうしても。無理なんです」


「……絶対に後悔します。それでも、いいんですね」


「どのみち変わりはないです」


「そうです。どのみち貴方が殺すのです」


 そういうと、タクシーは加速していき。数メートル先で消えていった。


 どのみち変わらない。どうせ同じ。いや、違う。


 私は、あのタクシーには乗っていない。彼女のをひき殺していく。あの殺人タクシーに乗らずに、彼女を殺せる。名前を告げずに殺せる。それだけでも、違うんだ。


 愛する人を勝手に殺すタクシー。私が今本当に好きだったのは絶対にちーちゃんだった。だからこそ、死んでもらわないといけなかった。


 彼女、フユカと別れてからか。帰ってきてからか。いつからなのだろうか。でも、彼女は違った。私の好きだったフユカは、お姉ちゃんはもう、どこにもいないんだってわかった。


 だっから、今から死ぬのは私が好きだっただけの抜け殻みたいな何か。私が未だに愛してしまっているガラクタ。


 もし、タクシーに乗ってしまっていたら。それをフユカと認めて殺さないといけない。だから、こうするしかなかった。


 タクシーが隣で止まる。


「君が必要としているなら駆けつけないといけない。一仕事終えた後でもね。ルールって怖いと思いませんか? さて、あと二人です。嫌いな人を殺しますか? 愛する人を殺してしまいますか?」


「そうですね。多分、そのどっちもの人。悪魔みたいな奴」


 私はゆっくりとそのタクシーに乗り込んで目的地を告げる。


「行き先は、末永ナツミ」


「……あいよ」


「嫌な人が消えれば幸せになれると思ってました。でも、最終的には私は好きだった人たちを殺してしまった。幸せになりたかったのに」


「どうせ君は幸せにはなれなかったよ。実はね、六人殺したあと、このタクシーは七人目を殺しに向かうんだよ」


「えっ?」


「実はノルマは七人なんです。でも、六人と伝えないといけない。それが悪魔のルール」


「どういうことですか?」


「契約書のノルマを達成できない場合、勝手に愛する者を殺すという内容。その最後の七人目を殺すためにあるのです。このタクシーと契約した時点で、幸せなんてないんですよ。貴方が、あの一文を忘れていたのも全部因果があります」


 タクシーはどんどんスピードを速めていく。


「死の価値は平等ではありません。悲しむ人だけでなく、それに喜ぶ人もいます。でも、そこに幸せなんて最初からないのです。本当はこれを七人目の際に言って貴方を絶望させたかったのですが。そもそも六人ノルマが達成できなくて私が絶望ですよ」


 最後に悪魔は悪魔らしく笑う。


 じゃあ、もしこのまま憎い人だけを殺すことが出来ていたら、最終的に七人目でちーちゃんが殺されて。私はフユカと二人で過ごすことになっていたのか。


 変わってしまったのに、好きって思いだけは変わらない。そんな彼女との生活は、果たして幸せだったのだろうか。もう、そんな未来はないし。愛とかに苦しむこともないのだろう。


 末永ナツミは、私の名前だ。


 結局、一番憎いはずの人は、殺せなかったなぁ。なんて、思ってみて思う。多分、あの人のことは好きだったんだ。家族として。憎み切れていなかったんだ。あの人は不器用ながらも、結局最後までん逃げなかった。私達とは違って。


 最後に。感謝の一つも伝えきれなかったことだけが、悔いかもしれない。


 強い衝撃を感じた瞬間。視界は真っ暗となった。




 一人の女性が部屋の中で咳を繰り返す。


 いくら待っても誰も帰ってこない。


 飾った花々が枯れている。散っていく。それでも、彼女は席と共に待ち人を続ける。


「フユカ。ナツミ……」


 娘の名前を呟き。咳を何度もするうちにその女性はある、デジャヴを覚えた。この孤独を一度彼女は経験していた。


「皆、私を置いていくのね」


 咳と同じく。その言葉も虚空に飲み込まれていった。

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