第315話  一輪の白いバラ


 数分経過し、杏里が診察室から出てくる。


「どうだった?」


「大きな怪我もなかったし、軽く消毒して終わったよ」


 杏里が俺の隣に座る。


「良かった。ほっとしたよ」


 保健室で熊さんが杏里を診たけど特に何も言ってこなかった。

大きな怪我が無い事は分かったけど、それでも心配はする。


「ほい、次ね」


 診察室からおじさんが手招きしている。


「杏里ちゃんはこっち」


 母さんが杏里の手を取り、どこかに行ってしまった。

俺は診察室に入り、顔をじろじろと見られる。


 消毒され、湿布やガーゼを付けられる。

さっきほど痛みはないけど、それでも痛いものは痛い。


「男はな、女を守ってなんぼだ。この怪我も勲章もんだよ」


「それでも痛いのは嫌です」


 俺ははっきり言う男。

喧嘩は嫌いだし、痛いのも嫌だ。


「でもな、男は女を守るために生きるんだ。司君は、彼女を守ったんだろ?」


「……はい」


「その手で彼女を守る。司君は立派に勤めを果たしたんだ。胸を張りな!」


 パシッと叩かれる肩。

父さんにも似たような事を言われたけど、あんな事は二度としたくない。


「じゃ、これは痛み止めね。痛くなったら飲んで。少し眠くなるかもしれないから、飲むときに注意な」


 おじさんの診察は終わり、診察室を後にする。

ふー、やっと終わった。

怪我が男の勲章とか、いつの時代の話だろう。


 診察室を出ると父さんと雄三さんが待合室にいた。

少しだけ難しい顔をしている。


「終わったのか?」


「うん。杏里は?」


「もう少しで戻って来るだろう。まったく、そんな怪我までして……」


 少し優しい目で俺を見てくる父さん。


「司君、杏里の事ありがとう。まだ、礼を言っていなかったね」


 雄三さんも優しい目で俺を見てくれた。

何だかちょっと違和感を感じる。

いままでそんな目で見られたこと無かったのに。


「私は明日の朝、海外に行く。申し訳ないが杏里の事、よろしく頼むぞ」


 そういえば手術を控えているんだったな。


「はい、任せてください。何があっても守りますよ」


「期待している。あと、もし何かあったら弁護士の今井さんに連絡するといい。念の為今回の件については連絡済だ」


「分かりました。ありがとうございます」


 何もないと思いますよ。と、思ったけど今回何もないと思った文化祭で大事をやらかした。

何事もないと思うから対策をしない、ではなく何かあった時の為に事前に調整しておくことも必要なんだな。


「終わったよー」


 母さんと杏里が戻ってきた。

母さんに手を引かれ、戻ってきた杏里の髪は綺麗にカットされている。

 

「どう? 杏里ちゃんの髪型、可愛いでしょ?」


 杏里は少し頬を赤くしながらもじもじしている。


「髪、どうしたの?」


「あのままじゃ可哀そうでしょ? 愛梨に切ってもらったの」


「愛梨さんに?」


「そうよ、愛梨は美容師しているからね」


 そうなんだ。

てっきりここの病院で働いていると思ったよ。


「どう、かな? 変じゃないかな?」


 腰まであった長い髪が、肩までの長さにそろえられている。

長かった髪が、短くなり、俺の心は少しだけ痛い。

でも、杏里はもっと痛いんだろうな。


「似合っているよ。長い髪も可愛いけど、その髪型も可愛いね」


「ありがと。この長さになるの、いつ以来だろう……」


 初めて杏里と会ったときはすでに長い髪だった。

杏里はいつから髪を伸ばしていたんだろう。


「とりあえず切ったけど、もし行きつけの美容室があるなら、ちゃんと切りに行った方がいいよ。持ち合わせの道具で切ったから、ちょっと雑になっているし。もちろん、私のお得意様になってくれてもいいんだけどね」


 戻ってきた愛梨さん。


「愛梨、ごめんね急に」


「いいって、気にしないで。私も二人の挙式と披露宴見たけど、楽しかったよ。久しぶりに歌ってみたくなった。龍一も雄三もたまにはしない?」


「私は忙しいんだ。明日から海外出張、遊んでいる暇はない」


「そうだ、愛梨みたいに暇ではないんだ。私達は仕事で毎日忙しい」


「何それ? まるで私が暇人みたいに聞こえるじゃん。ま、二人共大人になったし、子供もいるしねー。早く私も結婚しなきゃ」


 昔、父さん達はこのメンバーと杏里のお母さんで曲を作った。

その真似をして、俺達は文化祭で披露してしまった。


「あの……。勝手に文化祭で歌ってすいませんでした」


 愛梨さんの手が、こっちに向かって来る。

あ、もしかしてビンタですか?

ここで追加ダメージ発生?


 と思ったら、頭を撫でてくれる。

ついでに杏里の頭も。


「いやー、中々良かったよ。私達よりも上手かったんじゃないか? 里美にもきっとその想いは届いているよ」


 杏里と視線を交わし、互いに微笑む。

良かった。


――


「ありがとうございました」


 俺達はお礼をして、入ってきた入り口に戻る。

すっかり長居してしまった。



「ま、何かあったらまた来て。これ、私の勤めている美容院の名刺、二人に渡しておくね。お店はアーケードにあるからさ。もし来てくれたらサービスするよ」


「二、三日で痛みは引くと思うけど、ひどくなったら、もう一度病院に行くんだよ」


 二人は笑顔で俺達を見送ってくれた。

そして、ふと視界に入ってくる一輪の白いバラが入り口に飾られている。


「杏里、これもしかして……」


「ブーケのバラだ」


 一本、知らない女性が持っていたと思ったけど、最後の一本がこんな所に。


「私もしっかり貰ったからね。二人の幸せ、少し分けて貰うよ」


「あーあ、私も欲しかったのに」


 いや、母さんはいらないでしょ?


「じゃ、百合もたまには顔出してね」


「愛梨もね。おじさん、遅くにごめんなさい」


「いやいや、いつでもおいで。みんな私の子供みたいなものだし、この二人は孫のようなもんだからな」


 孫って、俺と杏里の事ですか?

父さん達の付き合いってそんなに長い物なのか?


 二人に見送られ、雄三さんの車に乗り込む。

帰り道、疲れと安心からウトウトとする。


 ふと、隣にいる杏里が俺に体重をかけてきた。

その瞼は閉じ、静かな寝息が聞こえる。

杏里も大変な一日だったな。


 俺も杏里に寄りかかり、目を閉じる。

こうして無事に帰る事ができる。

怪我もしたし、痛かったし、怖かった。


 でも、杏里に大きな怪我はない。

それで良かったんだよな……。

揺れる車の中、温もりを感じながら俺の意識は飛んでいった。


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