第310話 全力投球


 崩れ落ちる杏里。しかし、膝をつき倒れる事は無い。


「あーあ、僕は女の子に手を上げる事なんて、今まで一度もなかったのに。これも全部天童が悪いな。まぁいいや。さぁ、姫川さん。僕と一緒に新婚旅行に行こうか」


 萩原は杏里を抱きかかえ、俺の前から去ろうとしている。


「ま、まて。杏里を、杏里を連れていくな!」


「つ、かさく、ん……」


「天童、心配するな。姫川さんは僕が幸せにするよ。そこで、寝ているといい」


 杏里が再び連れて行かれる。

そ、それだけは絶対に避けないと。


 杏里は萩原に抱きかかえられ、教会の入り口に向かって歩いて行く。

俺は、萩原の背中をただ見ているしかできないのか。


「ま、待て!」


「さよなら。もう二度と会う事は無いだろう。僕とも、姫川さんとも」


 次第に小さくなっていく二人の姿。

まて、待てよ!


 俺は最後の力を振り絞り、立ち上がる。

走れない、歩けない、体に力が入らない。

何か、あいつを止める何か手段はないのか!


 立ち上がったとき、ポケットに違和感を感じた。

何だこれ? ポケットに手を入れ中を確認する。


 俺の手に握られていたのは野球のボール。

高山がさっき俺に手渡したボールだ。


 俺は右手に力を籠め、萩原の背中を見つめる。

高山、遠藤、杉本、井上、それにみんな。

俺に、この一度でいい、みんなの力を貸してくれ!


 右手に力を籠め、ボールを握る。

高山の顔が思い浮かんできた。

随分前、屋上で空き缶をゴミ箱に投げ捨てた時。

あいつの缶は吸い込まれるようにゴミ箱に入っていった。

その時の俺は見事に外した。


 かっこ悪くてもいい。

ただ、この一投だけは絶対に外せない。


 ボールに書かれたメッセージ。

『おめでとう! 幸せにねっ 彩音』

『ハッピーウエディング! 遠藤』

『二人の愛は永遠に! 井上』

『ヒューヒュー! 熱いぜ! 高山』


 俺はこの一投に全ての力を込める。

杏里、絶対にお前を助けてみせる。

大きく振りかぶり、最後の力で握ったボールを萩原に向けて放つ。


「は、ぎ、わ、らぁぁぁ!」


 真っ直ぐに飛んでいくボール。

ボールを投げた直後、俺はその場に倒れ込む。


「ん?」


 奴が振り返った。

その瞬間、萩原の顔面に投げたボールが直撃する。


「うぐぅああぁぁぁああぁぁ!」


 大きく体を揺さぶり、奴は倒れ込んだ。

痛みのせいか、杏里を床に落し、両手で自分の顔を押さえている。

杏里、今のうちに逃げろ! 出口は目の前だ!


 杏里はゆっくりと起き上がり、足を引きずりながら歩き始めた。

扉ではなく、俺の方に。

杏里が手を伸ばす、俺は無意識にその手を握る。


「つ、かさ君。私は、最後まであなたと一緒にいたい。司君は私と一緒にはいたくないの?」


 そんなこと聞くなよ。

答えは一つしかないだろ?


「俺も杏里と一緒にいたい」


 日が落ち、教会の中はさっきよりも薄暗くなる。

少しの明かりとロウソクの炎だけが視界に入ってきた。


 その場で杏里と抱き合い、お互いのぬくもりを感じる。

俺はこのぬくもりを守れるのか?

早くあいつから離れないと。


「杏里、立てるか?」


「何とか。司君は?」


「ギリギリ」


 二人で支え合い、起き上がろうとした時、目の前が暗くなる。


「痛かったよ。なかなか痛かった。おかげで鼻血が出てしまったじゃないか」


 口の周りに血が付いている。

あれでも萩原の動きを止める事は出来なかったのか……。


「それは悪かったな。お互い様だろ? まぁ、俺はどうなってもいいから、杏里は見逃してくれないか? 俺の最後の願いだ」


 ニヤつく萩原。


「もう、いいや。姫川さんは天童の事が好きらしい。この僕には同じように愛情を注いでくれないみたいなんだ」


 当たり前だろ。


「そんな壊れた女はいらない。あーあ、折角僕が結婚してやろうと思ったのに。また好きな人を一から探すのか……」


 萩原の右手に棒が握られている。

ゆっくりとこっちに向かってその切っ先を向けてきた。


「おやすみ、姫川さん。二人で仲良くそこで眠るといいよ!」


 萩原は杏里に向かって棒を突き出してきた。

その瞬間、全てがスローモーションのようになり、ゆっくりと時間が流れる。


 俺は左手で杏里の方を持ち、力いっぱい突き放した。

萩原の手に持った棒はその軌道を変えることなく、そのまま真っ直ぐ。


 そして、俺の胸に突き刺さる。


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