第309話 世界で一番大嫌い


 目の前の灰を見つめ、しばらく教会内は静かになる。

外からは楽しそうな声が聞こえ、後夜祭が始まっている。


「燃えたな、綺麗に燃えたな! なぁ天童、自分で燃やした気分はどうだ? なぁ、どうなんだよ!」


 再び俺の腹を殴る萩原。

しかし、俺は倒れる事もなく、その場に立ちとどまる。


「ん? なんだ? 逆らうのか? この僕に?」


 杏里に視線を移す。

長かった髪が今は短くなっており、床に杏里の髪が落ちている。

髪は女の命。こいつは杏里の、命を奪った。

絶対に許さない!


 俺は目の前の萩原に抱き着き、動きを封じる。


「杏里、逃げろ! 今なら俺がこいつを押さえられる! 今直ぐ教会からにげ――」


――ボフゥ


 俺の脇腹に痛みが走った。


「あぐぅ!」


「あれ? なかなかタフだね。今のは結構痛いと思うんだけど」


「司君!」


 泣きながら俺に近寄ってくる杏里。


「く、るな! 来るんじゃない! 早く、逃げろ、俺が、まだ意識の、ある、うちに」


――ドフッ


「うぐぅぅ……」


 何回目だこの痛み。

だけどな、何回でもきやがれ! 俺は杏里が逃げるまで、この手を緩めない!

絶対に離すもんか!


「つ、かさ、くん……」


 杏里が泣きながら俺を見てくる。


「は、やく、いいから! 早くいけよ! 杏里が逃げなかったら意味が無いんだ! 早くいけえぇぇぇ!」


 杏里は流れる涙を拭き、教会の入り口に向かって走り始めた。

いい、これで良い。杏里だけでも助かれば。


「あーあ、行っちゃった。これも、君のせいだね」


 俺は力尽き、床に倒れ込む。

もう、動けない。体に力が入らない……。


「ま、このままだと僕は退学かな。さて、最後に一仕事しておこうか。これは、振られた僕の痛みだよ」


 萩原は俺の指からリングを奪い取り、持っていた何かで挟んだ。


――パチィィン


「なんだ、このリング。随分安物だね、あっさり切れちゃったよ。ついでに細かくしておくね」


 何度もリングを切り、目の前に切断されたリングが。


「ふぅー、すっきり。さて、それじゃバイバイ天童君。しばらくそこで寝ているといいよ」


 萩原の右手に長い棒が見える。

やばい、逃げないと……。


 俺は動かない体に力を入れ、後ずさりする。

早く、俺も外に……。


 背中に何かが当たる。

この感触、椅子か。普段だったら俺の力でも動かせる軽い椅子。

でも、今の俺には動かす力が無い。


 ゆっくりと近づいてくる萩原。

その目はまるで、人形のように生気が無い。


――リンゴォォーーン


 教会の鐘の音が聞こえる。


――リンゴォォーーン

――リンゴォォーーン

――リンゴォォーーン

――リンゴォォーーン


 何度も、何度も響き渡る鐘の音。

そして、勢いよく扉の開く音が聞こえた。


 誰かの足音が聞こえる。助かったのか……。

俺の前に立ち、両手を広げているのが見える。

俺を、守ろうとしている。


「司君は、私が守る!」


 杏里の声だ。


「なに、戻ってきてるんだ……。早く逃げろ……」


「最愛の人を残して、私だけ逃げる訳にはいかない! たとえ、私が傷ついても司君は私が守る!」


 杏里、そんな無茶な事するなよ。


「良い話だね。涙が出そうだよ。あー、かっこいい! 姫川さん、かっこいいよ!」


「やめろ! 俺はどうなってもいい、杏里に手を出すな!」


「そんなに姫川さんの事が大切なのかい?」


「あぁ、俺の命よりも杏里が大切だ」


「そうかそうか、だったらそこで見ているといいよ。さぁ、姫川さん僕と一緒に行こうか」


 萩原は再び杏里に近づき、その腕をつかもうとする。


「触らないで、私達にそれ以上近づかないで」


 さっきと違い、杏里は強気な声でけん制する。

杏里、君をこれ以上危険な目にあわせたくない。


「姫川さん、僕の事が好きかい? 好きだよね? 世界で一番僕の事を愛しているよね! 答えてくれ姫川さん。その答え次第では、愛する司君と二度と話せなくなるかもしれないよ」


 杏里、こいつの事を好きだと言ってくれ。

俺はどうなってもいい、杏里だけは無事にいてほしい……。


「杏里……」


 杏里が振り返り、俺を見つめてくる。

窓から差し込んでくる夕日が杏里を照らす。

その瞳は優しく、俺の全てを包み込んでくれる。


 杏里が俺の頬を撫で、ゆっくりと杏里の顔が近づいてくる。

重なる唇。でも、温かい唇。杏里の優しさと、ぬくもりを感じた。


 杏里の目がつり上がる。

そして、俺から離れ萩原に向かって立ちはだかる。


「私は、萩原さんの事が世界で一番……」


 そう、それでいいんだ。

杏里、嘘でもいいから今はこの場を切り抜けろ。


「大嫌い。私の大好きな、世界で一番好きな人を傷つけた! 私の愛する人を私の目の前で! 私は世界で一番司君の事が好き。間違っても、あなたの事を好きになったりはしない!」


「あん、り……」


 なんて馬鹿な事を……。


「私は司君と一緒にいる。今も、これからもずっと、そばにいる!」


 無言になる萩原。

諦めてくれたのか?


「そうか、僕の入る隙間はないのか。非常に残念だよ。あんまり無理矢理するのは好きじゃないんだけどね」

 

 萩原の右手が杏里を襲う。


――パシィ


「んぐぅ……」


 乾いた音が協会に響き渡る。こいつ、杏里まで……。

なぜ俺は動けない、どうして俺の体は言う事を聞いてくれないんだ!

ちくしょう、ちくしょう!

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