第306話 忘れている事


 高山を見送り、各部員や他のメンバーも全員グランドに行っている。

体育館や柔道場の片づけは後夜祭が終わってから。

大きなものは明日以降に片付ける。

さて、杏里と着替えて俺達も後夜祭に行こう!


 後夜祭はグランドでキャンプファイヤーをしながら、みんなで輪になって踊る。

毎年行っているイベントのようで、男女が手を取りキャンプファイヤーの周りをまわりながら踊る。


 絶対に杏里と踊りたい!


「姫川さん、ちょっとだけいかな?」


 マイクを持ったアナウンサーがやってきた。

その後ろにはカメラマンもいる。


「少しだけなら」


「大丈夫すぐに終わるわ。一言だけコメントを貰いたくてね」


 杏里は少し身だしなみを整え、カメラの前に立つ。


「えっと、俺は?」


 カメラは杏里しか映していない。


「あ、新郎はいいわ。花嫁だけで」


 残酷なひと言。

俺の全国デビューは散った。


「姫川さん。結婚式を実際にしてみて、いかがでしたか?」


 杏里はカメラに向かって真っすぐ、満面の笑みを浮かべる。


「大好きな人と式を挙げることができて、すごく幸せです」


 俺もだ。

俺も杏里と式を挙げることができて幸せだ。

いつかきっと、イベントじゃない本当の結婚式を挙げような。


「おっけー、撮ったよ」


「姫川さん、ありがとう。これで終わりよ、良かったら放映見てね」


 レポーターとカメラマン、なぜか急いで帰っていく。

今から編集でもするのかな?


「天童」


 おおぅ、突然黒服の会長現る。

ちょっとだけ心臓に悪い。


「会長、お疲れ様でした」


「何事も無くてよかったな」


 ただの文化祭ですよ?

何も事件なんて起きませんよ。


「そうですね、大きな混乱もなく無事に終わりました」


「こっちは道案内や迷子の対応、落し物の捜索がメインになった。会場に一人だけ残っているが、彼で最後だ」


 良く見ると一般席でケーキと紅茶を楽しんでいる生徒が一人いる。

なんだ、まだ人がいたのか。


「彼が最後だし、会長は先に行っててもいいですよ」


「そうか、ではグランドで会おう」


 会長とその他大勢のエージェントはグランドに向かって移動し始めた。

だから、その移動方法怖いってば。


 俺と杏里の後ろにはウエルカムボード、リングピロー、そして額縁に入った結婚証明書。

まだテーブルの上に飾ったままになっている。


「杏里、これって俺達が持ち帰ってもいいのかな?」


「うーん、いいんじゃないかな? あとで聞いてみようか」


 杏里と相談していると、会場に一人残っていた生徒が俺達の目の前にやってくる。

彼が最後のゲストだ。


「お疲れ様。良い式だったよ。素晴らしいの一言だね」


 黒のスーツを着た生徒。

何回かこの生徒と声を交わしている事に気が付く。


――


「今日はいよいよ本番だね。最後までやりきってくれ、応援してるよ……」


「おう、お互い頑張ろうな!」


「最後まで、しっかりとね……」


――


 確か俺にエールを送ってくれたやつだ。


「ありがとう、何とか無事に終わったよ」


 杏里の表情が曇る。

なんだ? 杏里の奴、どうしたんだ?


「そうか、何度も自分の気持ちを押さえてきたけど、こんな素敵な式を見せられたら、抑えが利かなくてもしょうがないよね? それではこれから後夜祭開始といこうか……」


――スパァァーン


 突然視界が揺れ、顎に激痛が走り、俺はその場に倒れた。

い、痛い……。何だこの感覚は。


「うぐっ……」


 声がうまく出ない、それに体が思うように動かない。

俺は、何をされた?


「つ、司君!」


 俺に駆け寄ってくる杏里が見える。

が、何だが杏里の顔がぼやけて見えてしまう。


「顎に一発食らうとグラグラするだろ? しばらくは動けないよ」


 起き上がりたくても起き上がれない。

体がうまくいう事をきいてくれない。


「いやー、良い式だったよほんとに。おかげで封じ込めた僕の想いが出てきてしまったよ。なぁ、天童、おまえは一つ忘れている事がある」


 忘れている事?

俺は、何を忘れている?


「姫川さんと結ばれるのは、お前じゃない、この僕だ。さぁ、姫川さん、もう一度式を挙げに行こう。挙式のやり直しだ」


 無理やり杏里の腕をつかみ、連れ去ろうとしている。


「おっと、こいつはもういらないよな。せっかくだ、僕が神に返しておくよ」


 男は俺と杏里の書いた結婚証明書を手に持ち、俺の前から消えようとしてる。

まて、待てよ! お前、自分が何をしてるのか分かっているのかっ!


「い、痛い! 離して! やめてっ!」


「そう騒ぐな、もう一発天童に喰らわしてもいいんだぞ? 分かったら大人しくね、姫川さん」


 俺のせいで杏里が……。

動け、動けよ! 今ここで立ち上がらなかったら、杏里を守るのが俺の役目だろ!

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