第304話 Happy time with you


 ダンスも終わり、余興が終わった。

一番予想外だったのが八百屋のオッチャンと肉屋のおばちゃんのダンスが上手かったことだ。

余興も無事に終わり、いよいよ杏里の見せ場がやってきた。


「それでは花嫁からご両親に感謝の言葉とプレゼントの贈呈です」


 会場の中央に俺と杏里が並んで立つ。

杏里の手には小さな熊が抱っこされている。


 ウェイトベアー。

杏里が生まれた時の重さを再現し、熊のぬいぐるみを作った。

何を隠そうその熊は杏里ではなく、俺が作ったものだ。

ベール作成に時間を吸われ、杏里から依頼され俺がせっせと縫った。


 俺達の目の前には雄三さん一人が立っている。

本来はお母さんもそこにいるはずだが、杏里の母親はいない。

杏里も心が痛いだろうに……。


「お父さん、これ生まれた時の重さの熊。受け取ってもらえるかな?」


 ゆっくりと杏里の手から熊が手渡された。

少しだけ瞼に涙を浮かべる雄三さん。


「こんなに小さかったのか……。すっかり大きくなってしまったな」


 杏里が小さな封筒から一枚の紙を取り出した。


「大好きなお父さんへ。私は今日、司さんと結婚しました。私が小さい頃にお母さんがいなくなり、お父さんもきっと寂しい思いをしてきたと思います。でも、一生懸命私の為にお仕事も家の事もして、そして、私はお父さんから沢山の愛情を注いでもらいました。お父さん、ありがとう。私は幸せになります。私はいつまでもお父さんの娘であり、大切な家族です。お父さん、ありがとう。これからもずっと、私達のことを見守っていてください。お父さん、私はお父さんの事が小さい時から大好きで、これから先も大好きなまま大人になります。それでも、大好きなお父さんに沢山言葉を伝えても、きっとお母さんには届かない……」


 杏里の瞼に少しだけ涙があふれる。

俺はそっと杏里の手を握る。頑張れ杏里。


「杏里……。きっと、母さんにも杏里の声が届いているよ」


 雄三さん……。

涙が溢れるのを我慢しながら話しているのが俺にも良くわかる。


「届いているかな? 私の声は届いているのかな」


「あぁ、絶対に届いているさ」


「だったら、お母さんにも私の声をもっと届けないとっ!」


 杏里の顔に笑顔が戻る。

そして、次の瞬間場内が暗くなり、ステージだけがスポットライトの光で明るくなり始めた。


「高山! 遠藤! いくぜ!」


 俺は声を上げ、二人の名を呼ぶ。


「「おうっ!」」


 二人も暗闇の中、ステージに向かって走り始める。

そして、俺は暗闇の中会場を走り抜け、ステージに上がる。


「彩音! 井上さん! いくよっ!」


 杏里も叫ぶ。


 呼ばれた二人も暗い中、ステージに向かって走り始めた。

途中、三人が手を取り、ステージの中央階段からステージに上がった。

杏里、杉本、井上。綺麗な姫たちはそれぞれ自分の持ち場に移動し始める。


 どよめく会場。会場内がざわつき始めた。


 ステージに上がった俺達六人。

中央にマイクを持った杏里が一人で立っている。


 その後ろには腕をまくった高山がドラムセットの後ろに座っている。

両手にはドラムスティック、高々と天に掲げている。


 ステージ向かって右側、やや後方に杉本。

準備された電子ピアノの前で楽譜を開き始めた。


 そして、遠藤と井上のツインベース。

アンプに電源を入れ、シールドをつなげ始める。

俺も急いでギターを肩にかけ、シールドとアンプの準備。


 ステージは俺達六人だけ。

スポットライトを全身に浴び、高山がドラムスティックを交差させ、俺達に視線を送る。


「みんな、準備はいいか? いくぜ!」


――カァン! カァン! カァン! カァン!


 四回、ドラムスティックの甲高い音が会場内に響き渡る。

腕をまくった高山のソロドラムからスタートする。

次に杉本のピアノが入ってくる。


 ギターにベース、それぞれが音を奏で始める。

中央の杏里にスポットライトの光が集まった。


 何度も練習した。

下手だと思ったギターを高山や吹奏楽部のメンバーに教わった。

何度も練習して、コードを覚えて、みんなと音を合わせて。


 ステージ中央でスポットライトの光を浴びた杏里が、握りしめたマイクで声を出し始める。


「天国にいるお母さん。私は今、幸せです。この歌声が、お母さんまで届きますように! 『Happy time with you』」


 直訳で『幸せな時間をあなたと一緒に』と題した、いつも聞いていたあの曲。

父さんと母さん、雄三さん、そして杏里のお母さんが作った歌。


 音源から楽譜を起こしてくれた吹奏楽部の皆、本当にありがとう!

長い時間をかけて、何度も練習に付き合ってくれたみんな、ありがとう。

俺と杏里と、みんなを引き合わせてくれた神様、本当にありがとう。


 この歌を、杏里のお母さんがいる天国まで俺達は届ける。


 杏里の歌声が、俺達の音楽に合わせて会場に響き渡る。

もともと杏里は歌が上手い。

それでも杏里は杉本と一緒に何度もカラオケに行って練習していた。

俺も高山からギターを教わった。練習の成果を、その全てをここで出し切る!


 杏里の澄み渡る声はどこまで届いているのだろう。

もし、この場に杏里のお母さんがいてくれたら、どんな声をかけてくれるだろう。


 会場にいる雄三さんがハンカチを持っている。

父さんと母さんも涙を流している。


 杏里は、杏里は泣いているのか?

ピックを持ちながら、杏里の方に視線を向けると、杏里は満面の笑顔で歌っている。


 そうだよな、天国の母さんに届ける歌だもんな。

笑顔で届けないといけないよな!


――


「ねぇ、司君。お母さんへの手紙ってやらないとダメかな?」


「うーん、でも杏里の場合はお母さんが来れないだろ?」


「お母さんにも感謝を伝えたいんだ。もしさ、もしできたらこの歌を届けるってできないかな?」


「手紙のシーンにこれを?」


「そう、お母さんたちも知っている、この曲を届けたいんだ」


「いいよ。俺も杏里のお母さんに感謝を伝えたい」


―― 


 杏里の為にみんな今この場にいる。

杏里の幸せを願って、俺達は杏里のお母さんに音楽を。

杏里はその歌声を届ける。


 お義母さん、俺達の音楽と杏里の歌声は届いていますか?

きっと、天国で聞いてくれていますよね?


 やがて、杏里を照らしていたスポットライトが消え、高山だけを照らす。

他は暗くなり、高山だけがソロでドラムをたたき始める。


 俺と杏里は袖から抜け、着替えの為に控え室に走り始める。

杏里はもともと着ていた純白のドレスに、俺は燕尾服。

時間との勝負だ。


 会場から聞こえる音がドラムからピアノに切り替わった。

高山から杉本に交代したのが分かる、残り時間は少ない。

そして、しばらくしてから遠藤と井上のベースに切り替わった。

もうすぐ俺の順番がやってくる。


「杏里、先に行く! 待ってるぞ」


「うん、先に行って待ってて!」


 袖からステージに戻り、再びギターを肩にかける。

間に合った! ギリギリセーフ!


 俺のギターソロ。

そして、俺のソロが終わると、杏里が再び中央に立つ。


 何とか間に合った。

さすが手芸部! 感謝します!


 さっきまでは淡い水色のドレスだったのが純白のドレスに切り替わっている。

会場がどよめく。俺の時は無反応だったのに!


 俺のソロパートが終わり、杏里がマイクを両手で握る。

ゆっくりと口元にマイクを運び、口を開く。


「天国にいるお母さん、私のドレス姿を見てくれますか? 私の声が届いていますか? 私の愛する人を見てもらえますか?」


 静かな、小さな音から俺達はそれぞれの楽器を奏で始める。


「きっと見てくれている、きっと届いている。私は今、幸せだよ。お母さん、私は今、幸せです! 生んでくれて、育ててくれて、見守ってくれてありがとう! 私は愛する人と、これから先ずっと幸せに生きていく! だから、見守っててください!」


 杏里の声が会場に響き渡る。

あかん。涙が出そう。だが、ここで演奏をやめるわけにはいかない。

ふと、高山を見ると泣きながらドラムをたたいている。


 杉本も井上も頬に涙を流している。

あかん! 俺も泣きそうです!


 杏里はステージをゆっくりと下り、雄三さんの前まで歩き始めた。

雄三さんの目の前で杏里は立ち止まる。


「私の歌声、お母さんに届いたかな?」


 涙を流しながら雄三さんは口を開く。


「あぁ、間違いなく届いている。杏里、ありがとう」


 抱きしめあう父娘。

結婚式ってこんな感じなんだよな。


 やがて俺達の音楽も終わりを迎え、会場は再び静かな時間を取り戻す。

吹奏楽部のメンバーが俺達に変わって、静かな曲を奏で始めた。


 杏里、きっと杏里の歌声も俺達の音楽も天国のお母さんまで届いているよ。

いつか、お義母さんに会う事があったら聞いてみよう。


 杏里と俺の結婚式はどうでしたか? って。



【後書き】

第四章完結


ここまでお読みいただき、ありがとうござました。

作者がこの小説を書きはじめ、一番書きたかったシーンがやっとかけました。


主人公とヒロイン、そしてその周りにいるメンバーもみんな幸せにしたい。

そんな願いを持ち、ずっと書き続けてきました。


付き合ってがゴール、想いが通じたらゴール。

それでもいいと思います。

でも、そこがゴールであり、新しいスタートでもあると作者は考えています。

結婚がゴール、そして家族になり、また新しいスタート。


司と杏里、きっと二人はこの先もずっと一緒にいると思います。

互いに手を取り、助け合い、励まし合い。


きっと喧嘩もするでしょう。悲しい事もあるでしょう。

それでも二人で乗り越えていくと思います。


これからも二人を作者は応援していきます。

ここまで読んでいただいた読者の皆様に感謝いたします。

本当にありがとうございました!


もしよろしければ★評価やフォローをいただけると作者の励みになります。

それでは、第五章でお会いしましょう!

ありがとうございました!


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