第298話 誓いのキス


 杏里と腕を組み、牧師様の目の前まで歩いてきた。

俺の心臓はこれでもかという位ドキドキしている。

そんな俺を見た牧師様は小さな声で俺に声をかけてきた。


「そんなに緊張しなくていいんだよ」


 笑顔で話す牧師様ふんする熊さん。

見た目もその余裕も何だか本物の牧師様に見えてしまう。


「それでは、ただ今より天童司、姫川杏里の結婚式を始めます。ご出席されている皆様、お手元のパンフレットをご覧ください」


 流れ始める讃美歌の曲。

この曲も何度も聞いた。みんなで放課後、暗記できるくらい沢山練習してきた。


 ほんの数分、来場者を含めみんなで讃美歌を歌う。

吹奏楽部の部員達も、皆真剣にそれぞれの楽器を奏で、讃美歌の演奏は終わった。


 讃美歌斉唱が終わると牧師様は手に持った分厚い聖書を開き、そこに書かれている一節を朗読。

教会の中は皆、牧師様の声を真剣に聞き、俺はその一節を心に刻む。


 静まり返る教会内。

そして、再び開かれた教会の入り口。

そこには一人の少年が立っている。


 来場者の皆は現れた少年に視線を向ける。

少年は堂々と両手で持ったリングピローを持ち、ゆっくりと祭壇に向かって歩き出した。

真っ直ぐに俺達の方を向き、迷いなく真っ直ぐに。

会場全員の視線を集め、俺達の目の前までリングがやってきた。


 俺は小さな声で良君に声をかける。


「ありがと、緊張しなかったか」


 良君は無言の笑顔で返事をする。

リングを牧師様に預け、良君も自分の席へを戻る。

牧師様は脇にリングを置き、俺達に向かってゆっくりと口を開き始めた。


「司さん、あなたは杏里さんを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、共に手を取り合い、その命ある限り愛を貫き通す事を誓いますか?」


「誓います」


 考える事は無い。俺は杏里と共に手を取り合い、共に歩み、共に生きていく事を誓う。

例え式を挙げなかったとしても、その答えが変わる事は無い。

そっと杏里の手を握る。杏里も俺の手を握り返してくれた。


「杏里さん、あなたは司さんを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝(なんじ)健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、共に手を取り合い、その命ある限り愛を貫き通す事を誓いますか?」


「誓います」


 杏里の答えも俺と同じ。

力強く、はっきりとした口調で答える。


「それではその誓いの証明にリングの交換を」


 牧師様が一つ、杏里の指輪を天に掲げ、俺に手渡す。

俺は銀色に光るリングを受け取り、杏里の左手を軽く握る。

祝福されたリングを、ゆっくりと杏里の薬指にはめる。


 そして、再び牧師様が俺のリングを天に掲げ、今度は杏里に渡す。

杏里は俺の左手を握り、俺と同じように薬指にリングを付けてくれた。


 一緒に買いに行ったリング。一緒に練習した指輪交換。

自宅で何度もリングを見て、一緒ににやけ顔になった。

今日、このリングが俺達の新しい絆になる。


 リング交換が無事に終わると、牧師様が一枚の紙を俺達の目の前に差し出す。

一回だけ見た結婚証明書だ 

俺は牧師様ペンを渡され、自分の名前を書き込む。


 手が震える、今まで何回も書いてきた自分の名前。

間違えるはずがない、書き込む場所もあっている。


 ゆっくりと自分の名前を書き、ペンを杏里に渡す。

杏里は俺の書いた名前の隣の欄に自分の名前を書きはじめる。

書き終わった証明書を牧師様が受け取り、最後に牧師様の署名も入る。


 いよいよだ。

災い(わざわい)や悪魔から花嫁を守ってくれるベール。

俺は杏里を守ってくれていたベールに手をかけ、ゆっくりと上げる。


 純白のベール。

杏里が徹夜して、どうしても自分で作りたいと言ったベール。

薄い布なので、軽いはずなのに、なぜかものすごく重く感じた。


 純白のベールを上げ、杏里の顔を見つめる。

言葉にならない、何といっていいのか、どう思っていいのか何も考えられない。

ただ一つ言える事は、俺の愛する人が目の前にいると言う事だ。


「杏里……」


「うん……」


 俺はゆっくりと杏里の顔に近づき、そっと唇にキスをする。

会場がざわつく。小さな声で何か話しているみたいだけど、俺の耳には入ってこない。


 そっと杏里の唇から離れ、杏里の手をしっかりと握る。

杏里の表情は今までに見た事の無い、幸せがあふれるような笑顔だ。

俺はこの笑顔の為だったら、なんでもできる気がした。


「二人の結婚は、この場を持って成立されようとしています。異議のあるものは挙手を、無いものは永遠に沈黙を」

 

 教会の中、誰もが口を開かず、静寂の時を迎える。

高山あたりが『異議あり!』とか、シャレでしたらどうしようかと、内心ドキドキしている。


 牧師様が辺りを見回し、最後に俺と杏里に視線を移す。

その表情は笑顔で、俺と杏里を心から祝福してくれているように感じる。


「おめでとう。これで、この二人は夫婦となります」


 教会内が拍手の渦に包まれる。

振り返り、父さんや母さん、みんなのいる方に杏里と一緒に目を向けた。


 みんな拍手をしてくれており、誰もが笑顔になっている。

隣にいる杏里も頬を赤くしながらも、天使の笑顔を皆に向けている。


 やりきった。

大きなミスもなく、やりきりました!


 俺と杏里は拍手がやまないなか、バージンロードを歩き一度退場する。

歩いて行く中でたくさんの声をかけられた。


「おめでとう」


「良かったよ」


「まさか本当に口づけするとは……」


「綺麗だったよ!」


「つかさぁ! やる時はやるんだんな!」


 オッチャン、声でかいよ……。

それでも、皆に祝福され杏里とバージンロードを戻る。

一度隣の控室に戻り、杏里とほんの少しだけ休む。


「緊張した! こんなに緊張するものなのか!」


 控室には手芸部の部員が数人待機してくれている。

次の工程は鐘を鳴らして、フラワーシャワー。

そして、ある意味メインイベントのブーケトスが控えている。


「私も緊張したよ! 司君、かっこよかったよ」


「杏里も綺麗だった」


「はーい! のろけはそこまで! 次、早く準備してみんなの所に行かないと! 分単位で進めているの、早く準備して!」


「了解! 杏里、ブーケの準備は?」


「大丈夫。この通り、しっかりと握っているから」


 杏里の手に握られた、九本の白いバラのブーケ。

このブーケが宙に舞い、いったい誰の手に渡るのか……。


「二人とも、準備はいい?」


「大丈夫です」


 再び杏里と腕を組み、教会内から扉の前にやってくる。

この扉を開いた時、目の前に何が見えるのか。

もし、誰もいなかったらどうしよう……。

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