第291話 メイクアップ


 長い。一体あれから、どれくらいの時間が経過したのだろうか?

椅子に座ったまま、うつらうつらしている俺。


 そして、ぼやけて見える杏里と先生の背中。

すまん、俺はもうダメかもしれない。


 何もせず、ただずっと君だけを見ていたら、だんだんと眠く……。

さっきから先生は棒のようなもの、はさみっぽい何か、太い筆のような物を使い、杏里をコネコネ中。

杏里も微動だにせず、借りてきた猫の様に大人しく座っている。


 俺の角度から杏里の顔は見えない。

時折映る先生の顔だけは視界に入って来るが、真剣な表情だ。


「姫川さん、女性はどうしたら美しくなるか、知ってる?」


「エステとか、お化粧ですか?」


「それもあるけどね、一番は『恋』をする事」


「『恋』ですか」


 先生の手に持ったクシが、杏里の髪をとかす。

長い髪だ、腰まである長い髪。

この学校に、ここまで長く、美しい髪の女性は二人といないだろう。


「そう、女の子はね恋をすると綺麗になるの。姫川さん、恋しているでしょ?」


「……はい。私は、ずっと恋をしています」


「ふふっ、若いっていいわね。私もね、恋をしているの」


「先生も?」


「この夏にね、運命の歯車が動き出したの。『この人だっ!』って、思ったわ」


「夏にですか?」


「そう、あなた達とビーチに行った時に、運命は動き出したのよ。二人に感謝しなくちゃね」


 せ、先生が何か言っている。

頭がグワングワンしながら、耳を傾ける。

うんめーとか、鯉とか、歯ブラシとか。


「私達に感謝ですか?」


「そうよ、あなた達がビーチに行ったおかげですもの。ありがとう」


 先生が髪をとかし、編み込みしていく。

浮島先生、化粧とか編み込みとか女らしい事できたんですね……。


「私達は何も……。先生も『恋』してるんですね」


「えぇ、夏にちょっとイメチェンしてみたら、こっちの方が自分らしいって思って」


「そ、そうなんですね」


「できた! どう? こんな感じで」


 杏里が立ち上がり、ゆっくりと鏡に近づく。


 鏡越しに見えた杏里。

俺の眠気は一気に冷める。杏里が、杏里じゃない。

いや、雰囲気は今までの杏里と同じなんだけど、見た目が違う。


「これが、私……」


 杏里の手が鏡に触れ、写り込んだ自分を手でなぞる。

自分だけど、自分じゃない誰かを見ている感覚なのだろうか。


「当日はもう少し時間をかけるわ。さて、次はこっちね」


 俺の方に歩いてきた先生。

腕をつかみ、杏里の座っていた椅子に俺を座らせる。


「司君、どうかな? 変じゃない?」


 言葉に詰まる。

ひと言で言えば『綺麗だ』『美しい』『可愛い』。

だけど、そんな一言で終わらせたら失礼に値する。

どんな言葉を、なんと言えばいいんだ……。


 杏里と視線を交差させながら、言葉を探す。

見つからない、杏里のこの美しさを表す言葉が出てこない。


「二人共、イチャイチャするのは後にしてね」


 頭に何かつけられた。


「いくよっ」


 髪を何だかいじられている。

数分後、鏡を見るとそれなりに髪が整ってきた。

おぉ、さわやかですねっ!


 ドライヤーの熱風に当てられ、髪が整った。

その後、顔に何か液体を付けられ、パンパンと叩かれる。

こ、これは何ですか?


「はい、天童さんは終りね」


 始まって数分。

これが男と女の差なのか……。


「二人共、ここに並んでみて」


 先生に言われ、杏里と並ぶ。

制服のままで杏里はメイクアップ。

俺は自身はメイクアップしたと言えるのか?


「うーん……。もう少し、かな……」


 何やら考え込んでいる先生。


「ちょっと待ってて、メイク用品持ってくるから」


 どうやらまだ何かするらしい。


「杏里、大変じゃないか?」


「ちょっとね。でも、お化粧ってここまで変わるんだね、ビックリしちゃった」


 俺もビックリですよ。


「まるでお姫様が現れたかと思った」


 と、声に出てしまった。


「あ、りがとう。司君もかっこいいよっ」


 杏里に視線を移し、輝く瞳を覗く。

普段見ている杏里と同一人物なのか。


 パッチリとした目に、薄らと瞼の周りがキラキラしてる。

まつ毛も長くなり、目力が段違いなレベルアップだ。


 長く綺麗な髪も、後ろで一本に編み込みされており、先生の腕の良さが出ている。

この髪型なら、杏里のベールも綺麗に魅せられるだろう。

そして、桜色の唇はリップのせいなのか輝いている。

俺はその唇に引き込まれそうになっていく。


「杏里……、すごく、すごく綺麗だ。本当にお姫様みたいだよ」


「うん。先生のおかげだよ。変じゃないかな?」


「変じゃない。本当に綺麗だ……」


 杏里を真っ直ぐ見つめる。

その輝く瞳に、俺の心は吸い込まれていく。

綺麗だ、本当に綺麗だ……。

ゆっくりと杏里に吸い込まれ、互いの鼻が触れそうになる。


――ガラララララ


「お待たせ」


 俺と杏里は光の速さで距離を取る。

危ない危ない。ここは、学校。

目の前には先生。十分気を付けなければ……。


「ん? 二人とも何か?」


 ドキッとしてしまい、俺と杏里はお互いに距離を取りつつ、先生に視線を向ける。

こんな麗しの姫と男を同じ、しかも狭い部屋で二人っきりにさせた先生が悪い!

と、責任転嫁する。


「続き、いいかしら?」


 杏里が再び椅子に座り、鏡を見る。


「当日はドレスを着るし、客さんからの距離を考えると、もう少し強調した方がいいと思ってね」


 小さなアタッシュケースからメイク品を取り出す先生。

俺もケースの中身を見たが何が何やら……。

鏡後に見える真剣な顔つきの二人。

男には分からない、何かがここにはあるんだな。


「さて、続きをしますか」


「お願いします」


 こうして再びメイクの時間がやってくる。

恋をすると女性は美しくなる。

これ以上杏里が綺麗になったら、俺は……。


 自分も磨かなければ。

杏里の隣に立てるよう、ふさわしい男になれるように。


「先生」


「なに?」


「俺のメイクアップって?」


「終わりよ。男は適当でいいの」


「そう、ですか……」


 どうやら俺は、自力でしなければならない。

今夜は寝る前にパックをしよう。

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