第289話 舞い踊る姫


「遅くなっちゃったね」


 杏里と二人、昇降口から正門に向かって歩いて行く。

それでも演劇部やダンス部、吹奏楽部の部室はまだ明るい。

俺達が帰った後もまだ活動をしているようだ。


「だな。みんな頑張ってるんだな」


 俺の腕に杏里が絡んできた。


「私達も頑張ってるよ。でも、今日は帰ったら休もうね」


 自宅に帰り、夕飯を食べ、しばしの休息の時間。

ソファーでゴロっとしていると杏里が俺を押しのけ隣に座る。


「そこに寝てくれる?」


「ん? 寝ればいいのか?」


 杏里は俺の腕や背中をモミモミマッサージをしてくれた。

ちょうど背中が痛かったので非常に助かります。


「んっ、そこっ! いいー、そう、グッとやってくれ」


「んっんっんっんっ。こ、これくらい?」


 いい感じです。特に背中と腰あたりが。

しかし、俺の背中にまたがり、マッサージをしてくれる杏里。

何だか色々な意味で元気になってきました。


 力を入れる時の声の出し方とかさ。

こう、何と言えばいいのか……。


「ふぅー、疲れた」


 杏里マッサージが終わってしまった。

どれ、ではお返しに。


「交代な。どこ揉んでほしい?」


 腰ですか? 背中ですか? 太ももですか?

俺は杏里の要望になんでも応えよう。

さぁ、何なりと言うがよいぞ。


「いいの? じゃぁ、肩かな?」


「……おまかせー」


 杏里の後ろに立ち、肩をもむ。

ふんっふんっふんっふんっふんっ!


「んっんっんっんっんっ、あっ、そこ。気持ちいぃかも……」


 後ろからでも杏里の鎖骨が見え、その先も少し見えそう。

な、何を考えている! 俺は、なんて邪な気持ちを持っているんだ!

いかん、もっと集中しないと!


「気持いいか? ここは?」


 肩甲骨辺りを念入りに揉んでみる。


「んっ、いぃかも。つか、さ君。揉むの、うまいねぇ、んっ」


 俺は心の中で円周率を考える。

パイ、パイ、パイ、パイ、パイ。

って、だめだぁー! ダメです、なんでこうなるんですか!


 そんな俺の気持ちを心の中に封印し、真剣に揉む事数十分。

杏里はぐったりしてソファーに倒れ込んだ。


「どうした?」


 心なしか、杏里の顔が赤い。


「だ、大丈夫です。少し、熱くなりました」


 杏里の隣に座り、おでこに手を当てる。

熱でも出たのか?


「ひゃっ! だ、大丈夫、気にしないでください」


 なぜか敬語になっている。


「なら、いいんだけど」


 急に立ち上がった杏里。


「ねぇ、今日は休むって言ったけど、一つお願いしてもいいかな?」


「いいぞ。何するんだ?」


 杏里はスマホを片手に俺の手を引く。

そのまま玄関でサンダルを履き、庭に出た。


 すっかり日も落ち、庭は月明かりと道路の街灯の薄っすらとした灯りが照らしている。

足元も良く見えない庭で何をするんだ?


 縁側にスマホを置き、何やら操作している。

そして、流れ出す音楽。


 あ、この曲……。


「吹奏楽部でデータ貰ったの。一曲いかがですか?」


 杏里が俺に手を差し伸べる。


「よころんで」


 その手を取り、薄暗い月明かりの下で二人手を取りあう。

まだおぼつかないステップに、見えない足元。

それでも俺は杏里の手をとり、しっかりを杏里を抱き寄せる。


「ダンスの練習か?」


「ううん、練習じゃないよ。でも、こうして二人で踊れるって、素敵じゃない?」


 誰もいない庭。

決して大きくない音楽が流れ、薄暗い月明かりのスポットライトを浴び、姫は踊る。

その瞳に映っているのは他の誰でもない、俺だ。

杏里はまっすぐに俺だけを見てくれる。


「素敵だな。でも踊る杏里は、もっと素敵だよ」


 杏里が少し頬を赤くし照れている。


「ありがとう。司君も、とっても素敵だよ」


 早めのステップから、曲が変わりゆったりとした音楽に切り替わる。

杏里と手を握り合いながら、互いに見つめ合う。


「忘れない式になるといいね」


 杏里の笑顔に見惚れる。

そして、杏里の瞼がゆっくりと閉じる。


「もちろん」


 瞳を閉じた杏里にそっとキスをする。

月明かりの中、二人で踊りながら甘い時間が流れる。

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