第272話 説得


「あの……、姫川雄三さんに面会を……。昨夜緊急搬送されていると思います」


 杏里と一緒に病院までやって来た。

バスを降りたとたん、杏里は病院にむかって走って行った。

俺も杏里の後を追うように病院に入る。


「少々お待ちください」


 不安そうな杏里の表情。

俺達は案内されるまで、しばらく近くの椅子に座って待つことにした。


「大丈夫、きっとケロッとしているよ」


「そうだといいんだけど……」


「今回みたいなこと、前もあったのか?」


「ううん、無いよ。昔から健康第一って言っていたし」


 しばらくすると瀬場須さんが俺達の前に現れた。


「お待ちしておりました」


 杏里が立ち上がり、瀬場須さんに駆け寄る。


「お父さんは? 容態はどうなんですか?」


 瀬場須さんの表情は暗い。

深刻なんだろうか……。


「今は個室で休んでいます。一緒に行きましょうか。お二人とも来られたので、きっと喜びますよ」


 瀬場須さんに案内され、三人で雄三さんの病室に向かう。


「昨夜、仕事が終わった後にご自宅へお送りいたしました。玄関まで一緒に行ったのですが、社長が部屋に入ろうとした瞬間、倒れてしまいまして……。私がその場で救急車を呼んだのですよ」


「意識はあるんですか?」


「あります。お話もできますし、容態も昨夜よりもずっと安定しております。ただ……」


「ただ?」


「手術が必要なのです。しかし、社長は手術を拒んでおります。私がいくら言っても……。お二人にお願いがあります」


「俺達にですか?」


 俺達にお願いってなんだろうか?

杏里はともかく、俺にできる事なんてあるのか?


「社長が手術を受けるよう、何とか説得してもらえないでしょうか?」


「お父さんが手術を拒んでいる理由とかは?」


 瀬場須さんは無言で首を振る。


「いいえ、話してくれないのですよ。きっと、私ではダメなんだと思います。杏里さんや司君であれば、もしかしてと思いまして……」


 そんな重い話をしながら、俺達は雄三さんの病室前に着いてしまった。


――コンコン


『開いている』


「失礼します」


 瀬場須さんが先頭で病室に入っていく。

俺と杏里もその後を追い、病室に入る。


「お二人が到着しました」


 久々に会った雄三さん。

何となく以前よりも痩せたような気がするし、顔色があまりよくない。


「なぜ二人がここに? 瀬場須、お前が呼んだのか?」


「はい、今朝連絡いたしました」


「ふん、余計な事を……」


 杏里がゆっくりと雄三さんに近づく。


「お父さん、大丈夫なの?」


「心配するな。ちょっと立ちくらみしただけなのに、瀬場須が余計な事を……」


 杏里は雄三さんの手を取り、心配そうな目で雄三さんに話しかける。


「嘘。ただの立ちくらみじゃないよね? 本当の事を言って」


 雄三さんの目が泳いでいる。

きっと、何かの病気なんだ……。


「瀬場須。二人に何か飲み物を。そうだな、病院向かいに喫茶店があっただろう? あそこのコーヒーがいい」


 どうしてそんな所の?

病院内の売店で充分だろ?


「かしこまりました。ただ、あの店は少々混んでおりますが、よろしいでしょうか?」


「あぁ。せっかく来たんだ。缶コーヒーでは申し訳ないだろ?」


 何かを悟るように瀬場須さんは病室から出ていく。

そっか、しばらく席を外せって事なんだな。


「ふぅ……。まったく、あいつはいつも色々と……」


「そんな事無いよ。今回だってお父さんの事助けてくれたでしょ?」


「うむ。まぁ、そうだな」


 何となく、俺は席を外した方がいいのかな?


「えっと、雄三さん。俺もちょっと売店に行ってもいいですか?」


 杏里と雄三さんが俺を見てくる。

ん? 変なこと言ったかな?


「司君はここにいて。私と一緒に、お願い……」


 杏里が、俺に何かを訴えている。

隣の雄三さんに視線を移すと、特に何も言ってこない。

うーん、いた方がいいって事か。


「分かった。最後までいるよ」


「ありがとう。ねぇお父さん、病気、なの?」


 しばらく無言の時間が流れる。

雄三さんは何か話したそうにしているが、決心がつかないようだ。


「雄三さん、杏里に本当の事を話してもらえませんか?」


 しばらく沈黙していたが、雄三さんの口が開く。


「心臓だ。数年前に分かった。杏里には話していないが、今の状態だとそう長くないらしい……」


「そ、そんな!」


 衝撃の事実。まさか、そんな事ってあるのか?

つい先日会ったときは普通に元気だったじゃないか!


「心配するな。すぐに良くなる」


 雄三さんの手が、杏里の頭を撫でる。

いつもの社長オーラではなく、一人の父としての温かさを感じるオーラだ。


「手術、しないの?」


「どうしてそれを? ……瀬場須か? あいつ、余計な事を……」


「手術受けたら治るんだよね? 私、嫌だよ? お父さんが、いなくなっちゃうの……」


 杏里が今にも泣きそうな声で雄三さんに訴えている。


「雄三さん、手術受けないんですか? 受けたら治るんですよね?」


「ふん。絶対に成功するとは限らないだろう。失敗したらどうするんだ? 杏里が一人になってしまうだろ?」


「そんなっ。でも、今のままじゃ……」


「今の日本では認可されていない、海外での手術が必要になる。そんなリスクを冒してまで、手術を受ける必要はない。通院していればそのうち治る」


「嘘! そんな嘘つかないで!」


「杏里……」


 泣きながら杏里は雄三さんに訴えている。


「受けてよ。今のままだったら長くないんでしょ? 手術受けて、もっと長生きしてよ! 私を一人にしないでっ!」


 雄三さんの胸で涙を流す杏里。

その姿を見て、俺も胸が熱くなる。


「雄三さん。杏里の言うとおりだと思います。俺も雄三さんにはもっと長生きしてほしい。将来、俺がどうなるのか見届けるっていう約束、忘れていませんよね?」


「そう、だな。そんな事も言ったな……」


「受けよう? 私、大好きなお父さんと、もっともっと一緒にいたいよ」


 雄三さんの表情が柔らかくなる。


「そう、だな。成功する確率はかなり高い。何回か現地の病院に行ってみて、説明も受けている」


 海外の病院に行った?

もしかしたら海外出張って、この事だったのか?

杏里に心配かけさせないために?


「もっと長生きしてよ。私の未来を、もっと沢山見てよ……」


「……。あぁ、そうしようか。私も孫の顔は見たいからな……。誰が夫になるかは分からないがな」


 と、俺の事を睨んでくる。

こんな感動するシーンで睨まないで下さいよ。


「ありがとう、お父さん。私、お父さんの事大好きだよ……」


「杏里の泣き虫はまだまだ治らないな。こんな事で涙を流すなんて」


 と、言っている雄三さんの目にも薄らと涙が浮かんでいる。

そこは見なかったことにしよう。


 何とか瀬場須さんの言っていた手術を受ける説得はできた。

でも、俺はこの後、雄三さんに重要な事を話さなければならない。

今のタイミングを逃したら、きっと次はない。


 そんな気がした……。


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