第273話 形見の指輪


 杏里と雄三さんがベッドで向かい合い、互いに何か話したそうにしている。


「泣いていないよ。目にほこりが入っただけだから」


 杏里が強がっている。

俺の目から見ても普通に泣いていたのに。


「そうか、ホコリが入ったのか。どれ、私が見てあげよう」


 雄三さんの手が、杏里の頬を優しくなでる。

何となくそんな場面を見ていると、俺はお邪魔なのではと思ってしまう。


――コンコン


「開いている」


 瀬場須さんが戻ってきた。


「お待たせいたしました。今日は混んでおりませんでしたよ」


 俺達にカップに入ったコーヒーを渡してくれる。

一口飲むと、喉が癒される。俺も心の準備をしなければ……。


「このコーヒーおいしいね。お父さんも良く飲むの?」


 杏里と雄三さんも俺と同じようにコーヒーを飲んでいる。

さっきとは違い、みんなリラックスムードだ。

今がチャンスか?


「雄三さん。いえ、お義父さん、大切なお話があります」


 雄三さんがコーヒーを飲みながら俺の方を向く。

おう、さっきよりも何だか怖い表情になっているじゃないか。


 イベントだったとしても、一人娘の花嫁姿だ。

俺達だけで勝手に進める訳にはいかない。


「杏里さんと、式を挙げさせてください」


「ごふぅっっ! ゲホゲホッ! お、お前! 今、何と言った!」


 雄三さんの口から激しくコーヒーが飛んでいった。

白い布団に茶色い染みが着いてしまう。


「ですから、杏里さんと式を挙げさせてください。日程も決まり、プロポーズもしました」


 雄三さんの首がロボットのように動き、杏里の方を見る。

口元にコーヒーが少し垂れているが、本人は気が付いていないようだ。


「お父さん、コーヒー着いているよ」


 杏里が雄三さんの口元を持っていたハンカチで拭いている。

こうしてみると、良い親子なんだと実感するな。


「あ、杏里? こいつの言った事は本当なのか?」


 無言で頷く杏里。


「プ、プロポーズって、お前……。返事をしたのか?」


 杏里は少し頬を赤くしながら頷いた。


「は、ははっ。まさかな……。こんな時に、こんな話をされるとは夢にも思っていなかったぞ。なぁ瀬場須よ」


「はい。私もビックリしました……」


 しばし無言の時間が流れる。

えっと、何か話した方がいいのかな?


「お義父さん、俺は杏里さんの事を真剣に考え、杏里も答えてくれました。お願いします」


 俺は深々と雄三さんに頭を下げる。


「以前『間違った事は起きない』と言っていなかったか? その言葉は嘘だったのか?」


 確かに俺は言った。


「言いました。だけど、俺も杏里さんも真剣に考えています。式を挙げる事は間違いじゃない。俺はそう信じています」


 杏里が発案し、文化祭に大きなイベントでみんなに見てもらう。

杏里もドレスを着て、式を挙げる。


 俺も、杏里も課題が決まってから真剣に考えてきた。

先生達も集まったメンバーもみんな真剣に取り組んでいる。

絶対に間違いではない。俺はそう確認し、雄三さんに熱く語った。


「杏里は、杏里は良いのか? こんな若造で、頼りなく、ボサっとした男でいいのか?」


 ボサっとは余計だと思います。


「司君は頼りになるよ。出会ってから何度も助けてもらった。いつでも私のそばにいて、いつでも私の事を考えてくれる……。私の大切な人」


 杏里の目も真剣だ。


「いつだ? 式はいつなんだ?」


 俺は文化祭の日程を伝える。

そして、体育館を貸切ることや、協力してくれる仲間の事も一緒に話した。


「式場じゃないのか……。まぁ、お前たちはまだ高校生だし、学校でするのも斬新だが、そういう世代なのかもしれんな……」


「そうですね。私達の時代と今の時代。形は変わろうとも、式を挙げる二人の心は昔も今も変わりませんよ、社長……」


 瀬場須さんも雄三さんも遠い目をしている。

何か思う事でもあるのだろうか……。

ふと、雄三さんの手が動き、首からぶら下げているネックレスを手に取った。

ネックレスの先には何かリングのようなものがぶら下がっている。


「二人とも、こっちに」


 俺と杏里は雄三さんの隣に並んで立つ。


「私は杏里の幸せを一番に望んでいる。これを杏里に渡そう。きっとあいつも本望だろう」


 杏里の手には大きな宝石の付いた銀色のリングが乗っている。


「これは?」 


 デザインを見ると女性ものなのは分かる。

でも、何で雄三さんが?


「これは里美の、杏里の母親の形見だ。昔、里美と結婚する時に、私があいつにやった物だ」


「お母さんの指輪?」


「あぁ。私がプロポーズする時にあいつに渡した。里美がこの世を去ってから、私がずっと持っていたんだ。いつか、杏里に渡す日が来るまで、ずっと持っていようと……」


 杏里の手はリングを握っている。


「そんな大切な指輪、お父さんが持っていれば……」


「いや、杏里に。これは私ではなく、お前が持っているべき物だ。私は一時的に預かっていただけだよ」


「いいの?」


「あぁ、もちろん。司君、これを婚約指輪としてもいいかね?」


 そんな大切なリングを杏里に渡すって?

答えは一つしかないじゃないですか。


「もちろん。きっと、里美さんも喜ぶと思います」


「そうか、杏里はいいか? 里美の形見を、貰ってくれるか?」


 今度は間違いじゃない。

杏里の頬から一筋の涙が流れている。

俺は自分のハンカチを、そっと杏里に渡す。


「……ありがとう、お父さん。大切にするね」


「大切にしてくれ。私と里美の想いが詰まっているからな……」


 しばらく無言の時間が流れる。

杏里も落ち着き、ベッド脇の椅子に座っている。

俺は杏里の隣に立ち、雄三さんに視線を向けている。


「瀬場須」


「はい、何でしょうか?」


「式の翌日以降に手配を。長生きしなければならない理由が今できた。その他の事も含め、早急に手配をかけてくれ」


「社長……。かしこまりました、早急に手配いたします」


「お父さん……」


「杏里の未来を見なければな。ところで司君、二人の事は認めるが条件がある……」


 な、何だろう。

どんな無茶振りをされるのだろうか?


「はい、条件とは……」


「杏里と一緒に住むのであればボロの下宿は却下だ。せめて、綺麗な下宿にしてくれ。セキュリティーももっと、しっかりとしてほしい」


「は、はい……。何とか、出来る限りは……」


「あと、健康第一だ。睡眠時間、食事、運動。不摂生はなるべくしないように」


「大丈夫です。ちゃんと自炊していますし、しっかりと寝ています」


「そうか、それは良かった」


「お父さん、病気の事もっと早く言ってよね!」


「ん? そうだな、大切な事だからな……」


 杏里と雄三さん、二人を横から見ている俺は心が和む。

初めて会った時の雄三さんにはイラっとした。


 でも、一人の親であり、娘の幸せを願っていたんだ。

俺も杏里の幸せを願う。


 杏里。

俺は杏里の事を幸せにするよ。

一緒に進もう、俺達の未来へ。

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