第269話 気持ちの変化


 誰もいない通りを杏里と腕を組みながら歩く。

杏里は嬉しそうに花を持ちながら、俺の腕に絡んだままだ。

少し歩きにくいが、悪くない。特に腕に当たる感触が……。


 さっきからお互いに交わす言葉はないが、時折視線を交わし、微笑み合っている。

どんな言葉を掛ければいいのだろうか?

公園での出来事を考えると、今は何を話しても恥ずかしい。


 もしかしたら杏里も同じかもしれない。

交わす言葉は無いけれど、俺達の心はきっと通じ合っている。


 しばらく歩き、俺達の帰る家に帰ってきた。

鍵を開け、俺は先に無言で中に入る。


「ただいま」 


 俺の後ろにいた杏里が、玄関の外から俺に話しかけてくる。


「おかえり」


 そう返事をすると、杏里は笑顔で玄関の中に入ってくる。


「何だか照れちゃうね」


 杏里は頬を少し赤くしながら靴を脱いでいる。


「俺も何だか照れるな。でも、今までと何も変わらないんだけどな」


 俺はバッグを手に持ち、ホールへと進んでいく。


「違うよ。昨日と今日、ほんの少しの違いかもしれないけど、昨日までの私達とは違う」


 杏里が再び俺の腕に絡んでくる。


「そうか?」


「そうだよ。私は司君の気持ちを聞いた。私も司君に想いを伝えたよ。昨日までの私達とは違うよ」


 俺はそのままソファーに座り、杏里は俺の目の前に立っている。

そして、杏里は俺の膝の上にまたがり、俺を抱きしめてくる。


 おっふ。か、顔に柔らかい何かが。

杏里が強く俺を抱きしめる。俺も同じように杏里の腰に腕を回し、抱きしめる。

部屋の電気もつけないまま、薄暗い部屋の中で薄らと見える杏里の顔を見上げた。


「司君、私すごく嬉しかった。バラの花束をもらったのなんて、生まれて初めてだよ」


「そっか。それは良かった。俺も花束なんてあげたのは人生で初めてだよ」


 花なんて母さんにカーネーションをあげたくらいだな。

それ以外に花を贈るような事は今まで無かったし。


「今こうして好きな人と一緒にいられるのは、きっと運命だったのかもしれないね」


 あの日、たまたま駅前で杏里を見かけた。

そして、そのままの流れで杏里と一緒に住むことになった。


 初めは父さんとの約束を守る為、下宿に住んでもらう良い実験要員が見つかったとしか考えていなかった。

でも、一緒に暮らし始めて杏里に惹かれていった。


「運命。俺と杏里が出会い、一緒に暮らすことになったのは運命だったのかもな」


 杏里が微笑みながら再び俺を抱きしめる。


「ありがとう。あの日、私に声をかけてくれて。こんな風になるとは夢にも思っていなかったよ」


「俺だって。まさか杏里と付き合う事になるなんて、考えてもいなかった」


「司君、私はあなたの事が好き。誰よりも、世界中で一番あなたの事が好きだよ」


 抱きしめられながら杏里の言葉を聞く。

好きな人に好きと言ってもらえる事。

それがものすごく幸せで、俺の心を満たしてくれる。


「俺も。世界中で一番杏里の事を大切に想っているし、杏里の事、あ、あい、あいし――」


――ブルルルル


 ん? 何の音だ?

杏里がキョトンとした目で俺を見ている。


 杏里の手がスマホを握り、画面を見て操作する。

スマホの震えが止まった。


「出ないのか?」


「うん。後でかけ直すから。司君、何を言いかけたのか、最後まで言って欲しいな……」


 何だかなー。

仕切り直しですね。まぁ、しょうがない。

もう一度言いますか。


「杏里の事、愛しているよ」


 杏里が少し頬を赤くしながら俺の唇をふさぐ。


「んっ……」


 な、なんだかいつもの杏里じゃないみたいだ。

いつもより積極的だし、いつもより温かい気がする。

しばし無言の時が流れ、部屋には時計の音だけが鳴り響く。


 な、何だか超いい感じじゃないですか?

今までにない位いい雰囲気ですよね!

なに? この流れ、いけって事ですか?


 杏里は俺の事を好きと言ってくれている。

もちろん、俺も好きだ。


 そして、イベントではあるが式の予定もあるし、今さっきプロポーズもした。

杏里は受け入れてくれたし、今の状況は盛り上がっている。


 再度分析しよう。

ここぞとばかりに脳内ブースト。

……オールグリーン! 司、行きます!


「あ、杏里……」


 いいか、落ち着け。

男はここぞという時に決めなければならない。

今、ここで決めなければ、男になれない気がする!


 いざ、参ろう。

司、大人の階段登ります!


「司君……」


 いいよね? 今、このタイミング。

これ以上ない最高のタイミングですよね?


「杏里、いいか?」


 杏里は頬を赤くしながら頷き、ピンクの小さな口を開く。


「お風呂、先に入ろうか……」


 っしゃ! きたこれ! ですよね。

帰宅したままではダメですよね!

風呂、風呂に入ろう! サッと風呂入れて、ぱっと出よう!


「俺、風呂入れてくるな」


「うん。軽く、ご飯も食べようか。私、準備するね……」


 風呂入って、軽くご飯食べて、そして……。

こ、今夜は長くなりそうだぜ!

俺も色々と準備しなければ……。


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