第268話 忘れてはいけない大切な事
「では、今日はここまでですね。みなさん、大変お疲れ様でした! 何かあればこちらのアドレスまで連絡ください」
黒板に連絡先をでっかく書いた高山は、本日の締めセリフを言い、第一回目の打ち合わせは終了となった。
大きな脱線もなく、話は順調に進み各部を班に分け、スケジュールを立てる所まで進んだ。
教室からみんな出ていき、最後に井上だけが残った。
井上は部の代表ではなく、個人で俺達のサポートをしてくれるために、今回参加してくれた。
「お疲れ様。思ったより順調に進んでびっくりしたぜ! この調子だったら何とかなりそうだな!」
「あぁ、こんなに沢山の人が来てくれるとは思わなかった」
「きっと杏里の事、みんな応援してくれているんだよ」
書類をまとめながら杉本が話してくる。
「あ、あのさ! 部のメンバーは参加はしないんだけど、ボク一人でも役に立てるかな?」
井上が少し不安そうにしている。
「そうだな、他の集まったメンバーは大体部単位で動くけど、井上は一人だもんな。良かったらこっち側でスケジュールや各班との調整をしてもらえるか? 多分こっちの管理側のメンバーが手一杯になる気がするんだ」
「え? いいの?」
「杏里、別に問題ないよな?」
杏里の方に視線を送る。
「もちろん。私達もやらないといけない事があるし、助かるわ」
「分かった。頑張るね!」
少し沈んでいた井上の顔に、笑顔が戻った。
「遠藤」
「なんだい? こっちの作業はもう少しで終わるよ」
キーボードをたたきながら、モニターとにらめっこしている。
何だかサラリーマンに見えてしまう。
「あのさ、井上さんと一緒に進行状況の管理とかできるか?」
「井上さんと二人で?」
「あぁ。遠藤達、一緒に走ったり、大会の応援に行ったり、結構仲良いよね?」
遠藤の手が止まる。
そして、同時に井上の頬が赤くなった。
ほぅ、脈ありですね。
「ん、まぁ、それなりだけど?」
遠藤の手が動き出した。
「じゃぁ、問題ないな。各部との調整が結構大変になると思うから、二人で頑張ってくれ」
「うん。遠藤君、よろしくね」
「あぁ、よろしくな」
よし、今日の活動も終わった。
外を見るとすっかり日が傾き、空が真っ赤になっている。
「よっしゃ! 黒板もきれいにしたぜ! 早く帰ろう!」
高山が張り切って帰ろうとしている。
「何だ、急いでいるのか?」
「ん? この後バイトだよ」
「そっか。先に帰ってもいいぞ」
「悪い! じゃぁ、遠慮なく帰るぜ! また明日な!」
高山はバッグを肩にかけ、帰ろうとする。
「あ、私も帰るよ。途中まで一緒に帰ろう!」
杉本もバッグを肩にかけ、高山の後を追うように会議室から出て行った。
「どれ、俺達も帰るか。遠藤は終わりそうか?」
「んー、あと少しかな。鍵は僕が返すから先に帰っててもいいよ」
「そっか、悪いな。杏里、帰ろうか」
「遠藤君も無理しないようにね」
「大丈夫。この作業はすぐに終わるからさっ」
歯が白く光る遠藤スマイル。
よし、余裕があるからまだ大丈夫だね。
「ボクは遠藤君と一緒に残るよ。同じ仕事をするんだし、少しでも覚えないとね……」
井上が遠藤の隣に座り、パソコンを覗き込んでいる。
おっと、二人の距離が近いし、何だかいい雰囲気になってきてしまった。
「杏里、行こうか。じゃ、また明日な」
「二人とも、帰り気を付けてね」
会議室から出て、杏里と並んで歩く。
「何だか、あの二人いい雰囲気だね」
ですよねー。俺もそう思いますよ。
「ま、この先どうなるかはあの二人次第だな」
遠くからそっと見守っていこう。
正門を抜け、駅に向かう。
日程も決まった。
大体のスケジュールも決まった。
後は当日に向けて、必要な事をしていくだけだ。
でも、俺は一つ大切な事をまだ実行していない。
これは、絶対に忘れてはいけない大切な事。
いつもの駅で降り、商店街を抜ける。
すっかり暗くなった空は星が輝いている。
杏里がそっと俺の腕に絡んでくる。
杏里の方を見ると、目が合い、俺に微笑んでくる。
「杏里」
「なに?」
「俺さ、今回のイベントの前に、やっておかなければいけない事があるんだ」
「やっておかないといけない事?」
「あぁ。とっても大切で、絶対に忘れてはいけない事」
「だったら早くしなくちゃ。いつできるの?」
「イベントの日程も決まった。できるだけ早い方がいいと思っている」
「そうなんだ。だったら急がないと」
不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる杏里。
こっちが何を考えているのか、まだ分からないようだ。
そして、いつもの公園の前にやってくる。
「分かった。少しでも早い方がいいな。杏里、この公園で少しだけ待っててくれ。すぐに戻る」
杏里を一人公園に残し、俺は走る。
本気で走った。きっと人生の中で一番本気で走っただろう。
息を荒くし、再び杏里の元に戻ってきた。
公園に入る前に少し息を整える。
ふぅー、落ち着け。
俺ならできるはず。いや、この世界で俺にしかできない!
行くぜ!
俺はゆっくりと歩き、ベンチに座っている杏里に近づく。
「お帰り。思ったより早かったね」
杏里は真っ直ぐに俺の方を見ている。
月明かりに照らされた杏里の表情は、神秘的で美しい。
俺は杏里の目の前で片膝をつき、杏里を見上げる。
「ど、どうしたの? 足でも痛くしちゃった?」
「いや、問題ない。杏里、そのまま座って俺の話を聞いてくれ」
「う、うん」
俺は、ベンチに座っている杏里の手を握り真っ直ぐに杏里を見つめる。
「杏里。俺は杏里と出会えて良かった。一緒に生活していく中で、杏里にどんどん惹かれていった」
杏里の表情が少し変わった。
「杏里の事が世界で一番好きです。俺と結婚してもらえますか?」
背中に隠していたバラの花、たった五本の花束。
少ないかもしれないけど、五本の意味は『あなたに出会えた事を心から喜ぶ』。
大人になったとき、本物の式を挙げる時はもっと大きな花束を約束するよ。
ほんの少しだけ沈黙の時間が流れる。
断られたり、しないよね? 少しだけ不安になる。
「わ、私……」
杏里がゆっくりと俺の方に手を差し伸べる。
「私も司君が好き……。喜んでお受けいたします」
杏里が俺の差し出した花束を受け取る。
杏里の瞼にうっすらと涙が見え、その雫はゆっくりと頬を伝って流れる。
杏里は俺に笑顔を向けてくる。
流れる涙を我慢するように、精一杯の笑顔を作っている。
花束を握っている手に、杏里の手が重なる。
そして重なる視線、近づく二人の距離。
杏里に告白した公園で、俺は人生で初めてプロポーズをした。
例えイベントの式だったとしても、例え本物の式で無かったとしても。
俺の気持ちに偽りはない。
杏里に俺の気持ちを伝えたかった。
二人っきりの公園。
俺達二人を再び月が祝福してくれている。
月明かりが薄らと光る公園の中で、俺達は再び唇を重ねた。
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