第249話 初体験


 高山達と別れ、俺達は再び電車に乗り、良く知った駅で降り商店街を抜ける。

数日離れただけなのに、少しだけ懐かしく感じる。


「お、司ぁ! 帰って来たのか?」


「おっちゃん? うん、今帰ってきた」


「そっか! で、どうだったんだ! 姫ちゃん、しっかりできたのか?」


 しっかり? あ、墓参りとか課題の事とかかな?


「うん、大丈夫、予定以上にしっかりと出来たよ」


「そ、そうか! それは良かったな!」


 どうしてこんなに喜んでいるんだろう?

そんなに杏里は人気があるのか?


「ほら、取れたてのニンジンと大根! 持っていくか?」


「いや、今は荷物が……」


「そ、そうか! じゃぁ、また今度だな!」


 杏里と一緒に商店街を抜ける。

あの後も肉屋に魚屋知っている人たちがなぜか色々と聞いてきた。

杏里さん、本当に人気があるんですね。


「何だか疲れちゃったね」


「もうすぐ着くよ」


 数分歩き、見慣れた建物が見えてくる。

帰ってきた。やっと帰ってきましたよ。

ポケットから鍵を取り出し、玄関を開ける。


「ただいま!」


 何となく大きな声で言ってみる。

すると杏里が先に中に入って、振り返る。


「お帰りなさい、司君」


 杏里の笑顔を再びここで見る事が出来た。

何だかそれだけで幸せを感じる。


「うん、ただいま」


「私も、ただいまだね」


「お帰り、杏里」


 玄関に荷物を置き、何となく二人で腕を組む。


「やっぱりここが落ち着くな」


「私も。また、二人っきりだね」


 玄関に腰をおろし、二人で肩を並べ寄り添う。


「二人だけど、俺は幸せだぞ?」


「私も。実家に連れて行ってくれてありがとう」


「礼を言われるようなことは何もしてない。逆について来てくれてありがとう」


 お互いに視線を交わし、少し笑う。


「片付けが終わったら、お茶でも入れようか?」


 杏里の出すお茶はおいしい。


「いいね。よし、早速片付けるか!」


 二人で荷物を手に持ち、立ち上がる。

今日からまた二人で生活が始まる。

俺達の生活がまた始まるんだ。


「司君! 洗濯ものあったら出しておいて!」


「分かった!」


 二人で荷物を整理し、夕飯の準備をする。

二人で台所に立つのも馴れてきたな。


 夕飯も終わり、一緒に洗面所で歯を磨く。

二つ並んだコップと歯ブラシ。

ここには俺の幸せと杏里の幸せがある。


「司君」


「どうした?」


「明日、ちょっと私に付き合ってもらってもいいかな?」


 どうしたんだろう、珍しく杏里は真面目な顔つきで話してくる。

きっと、何か重要な話があるに違いない。

俺はそう確信した。


「いいよ」


「ありがとう。じゃぁ、明日よろしくね」


 そう話した杏里は自分の部屋に消えて行った。

あ、折角二人っきりなんだし、もう少し二人でゆっくりしたかったな……。


 一人になった俺は、布団にもぐりこみ杏里の事を考える。

明日、何があるんだろう……。

気になったけど、疲れのせいか早々に夢の世界に旅立つ。



――


 翌日、俺は今窮地に追い込まれている。

杏里に腕を引かれ、昼前には街に来ていた。


 どこに行くのかも、何をするのかも教えてくれてはいない。

かなり緊張する。

一体何が起きるのか、あの時の俺はこんな事になるとは夢にも思っていなかった。


「では、お願いします。本人の話はあまり聞かなくて良いので、この通りで」


「かしこまりました。では、さっそく……」


 座った事の無いオシャレな椅子にいい香り。

聞こえてくるリラックスできそうな音楽。

そして、周りは女性ばかり。


 あっちもこっちも何か話をしているが、俺にはその内容が理解できない。

完全なアウェー。この店に男は俺一人だ。


「担当の如月(きさらぎ)です。本日は、ご来店ありがとうございます」


 そう話すオシャレなスタッフさん。


「よ、よろしくお願いします」


 緊張しているのであまり話すことができない。

鏡越しに見える杏里はファッション誌を読んでいる。


「では、彼女さんのご依頼通りにカットしていきますね」


「は、はい……」


 借りてきた猫のように俺は大人しく、されるがまま。

一体どんな髪型にされるのか。


 杏里に連れてこられたのは街中にある美容院。

杏里も良く来ている店らしい。


 この後の事を考え、俺のボサ頭を何とかするらしく連れてこられた。

以前美容院に予約するねと言っていたが、そのミッションは今完了しようとしている。

俺の髪なんて、商店街のワンコインカットで十分なのに……。


「彼氏さんも、もう少し気を使った方がいいですよー。せっかくの男前が台無しじゃないですかー」


 笑顔で俺に話しかけてくる店員さん。

俺は苦笑いしかできない。


 いつもだったらカットしてくれるおじさんと普通に会話できるのに、何を話せばいいんだ?

よし、寝たふりでごまかそう。


「もう少し、前髪切ります?」


 え? 切るの?

どうしよう、このままでもいいような気が……。


「前髪はもう少し切って、サイドに流す感じで。あと、トップの所は……」


 杏里が後ろから入ってきた。

いつもより若干鋭い目つき。一体何を考えているのだろうか。


「こんな感じですか?」


「そうですね、もう少し、ここをカットして、こんな感じで」


「こうですか?」


「はい。後は、ワックスで仕上げてください」


「はい。彼女さんも大変ですね」


「いえ、そんな事はありませんよ」


 スタッフさんと杏里は何やら細かく話している。

俺の頭はどうなるんだ?

今まで見た事も無いような切られ方をして、ワックスまでつけられ、ブローされている。


「お疲れ様でしたー、終わりですっ」


 スタッフの方から終了のお言葉をいただく。

鏡に映った俺は結構いけてるかも!

髪型一つで、こんなにも変わるものなのか!

と、内心びっくりしている。


「思った通りですね。司君、いい感じじゃないですか?」


「だな。すっきりした」


 レジに行き、お会計を済ませる。


「では、カットとセットで五千円です」


 ご、ごせんえん! ワンコインカットの十倍じゃないですか!

俺は内心驚いているが心を平穏に保ち、財布を取り出す。


「はい。このカード使って」


 杏里が後ろからカードをくれた。

杏里の手には『ご紹介券』と書かれたチケット。

これを出せばいいのかな?


「優待券ですね、ありがとうございます。では、半額の二千五百円ですね」


 内心ほっとする。

半額なら、まだいいかもしれない。


「良いのか、優待券使っても」


「私は使えないし、紹介する人もいないし」


「ありがとう、助かるよ」


 美容院代も半額で終わり、店を出る。


「どう? 美容院は」


 正直良くわからない。

でも、鏡を見た感じ生まれ変わった感じだ!

頭も心も軽い!


「いいんじゃないか? さっぱりした」


「司君はボサっとしたイメージだけど、この方が絶対に似合うよ」


 笑顔で俺に話しかけ、腕を組んでくる。

そんな杏里の髪もいつも通り、黒く長く、そして美しいと感じる。


「ま、少しは髪型にも気を付けるよ」


「是非。私もかっこいい司君がいいな」


 しょうがないな。少しオシャレでもしてみようかな!


「この後の予定は?」


「買い物! 司君の服! 式場に行くんだったら少しパリッとしないとね」


「ダラっとした格好は?」


「ダメ! 私も司君もしっかりとした服装で行かないと!」


 杏里に組まれた腕は力強く、普段は行った事も無いような服屋に連行される。

あぁ、こうして俺って変わっていくんだなと実感した。


 それでも、杏里の隣に立つふさわしい男になるための試練。

髪型に服装、男も色々としなければならないのだ。


「スーツは嫌だぞ?」


「高山さんじゃないんだから、スーツは買わないよ。こっちこっち」


 腕を引かれ実家帰りの翌日にもかかわらず、街を連れまわされる。

お昼も外で食べ、一日杏里と二人っきりでデートができた。


 こんな日も、俺にとっては充実した一日。

式場では話を聞くだけだよな?

帰ったら内容の確認を杏里と一緒にしよう。

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