第175話 頼みごと


 旅館の売店で出会った井上優衣(いのうえゆい)。

夏休みに入る前、それとなくバイトに参加できないか聞いてみたが、合宿があるからと言われてしまった。

が、今目の前にいる。


「井上、確か合宿じゃなかったのか?」


「ん? 合宿中だけど? 天童君は何しているの?」


 たまたま売店で会った井上と少し雑談をする。

高山もこっちの話を横耳で聞きながら、売店を物色しているようだ。


「俺達は仕事で来ている」


「仕事? もしかして、何かやばい仕事でもしているの?」


「してないしていない。ただの海の家だよ。今日から泊まり込みでバイトなんだ」


「そうなんだ。私達の方は選抜メンバ―だけ合宿に参加しているの。今日も浜辺で百本ダッシュかと思うと……」


 砂浜でダッシュとかしたくない。

杏里と水着で和気あいあいと追いかけっこならまだいい。


「大会近いんだろ? 頑張れよ」


「ありがと。二人で来ているの?」


「いいや、他にも来ているよ」


「姫川さんは?」


「来てる」


「そっか、時間があったら一緒にお話とかしたいな……」


 笑顔でそんな事を言ってくる井上。

ま、時間があったら話すことくらいできるだろう。


「杏里には俺から伝えておくよ。この後すぐに会うし」


「そっか、一緒の旅館で良かった。楽しみができたよ。じゃ、私は練習に行くね」


 軽く手を振り、井上は俺達の前から消えていく。

この暑い夏に砂浜でダッシュとか、大変そうだな。


「天童、井上か?」


「あぁ、合宿でここに泊まっているんだと」


「そうか、何も起こらなければいいがな……」


 何を心配しているのだろうか?

俺や高山は井上とはあまり接点が無い。


 でも、あの件以来少し刺々しさが無くなっている気がする。

学校ですれ違っても前の様に敵意剥き出しではなく、にこやかに手を振って来るくらいだ。

なにか心境の変化でもあったのだろうか。


「そろそろ行くか?」


「そうだな。行きますか」


 俺達は売店を後にホールに向かう。

ホールにはすでに杏里や杉本、会長に遠藤がそろっている。


「司君、どこ行っていたの? 来ないから心配していたよ」


「すまん。ちょっと高山と売店を見に行っていた」


「天童、しっかりしろ。お前がここのリーダーなんだろ?」


 会長にちょっと怒られた。

俺がリーダーなのか? まぁ、もともと俺が誘ったからそうなるのか。


「すいません、気を付けます。ところで先生は?」


「さっきオーナーと少し話して自室にいる」


 そっか、先生はこないのか。


「全員揃ってるな」


 気が付いたら俺の背後から低い声でオーナーが話しかけてくる。

気配無く背後に立つのはやめてほしい。


 振り返ると相変わらず怖そうな見た目。

会長といい勝負じゃないですか。


「手荷物は少なめにしてくれ。そんなに広い場所じゃないからな」


 俺を含め、全員の手荷物は少ない。

多分これ位なら大丈夫だろう。


「よし、じゃぁ行くか」


 俺達はオーナーの後について行き、いよいよお仕事が始まる。

リゾート地のバイトは初めてだ。

どんな事が待ち受けているのだろうか。


 オーナーの後ろを追いかけるが隣に会長がやって来た。


「天童。例の件なんだが……」


 お、ここでその話をしますか。

会長にしては珍しい。


「お礼の件ですか?」


「うむ。一つだけ頼みがあってな……」


「良いですよ。何ですか?」


 会長の手荷物から一枚の写真が出てくる

杏里と杉本の浴衣の写真だ。

どうして会長がその写真を持っているんだ?


「これに見覚えはあるか?」


「え、えぇ。お祭りの時の写真です」


「姫の隣は、ここに居る杉本と言う女性か?」


「そうですけど?」


「やはりそうか……」


 まぁ、普段の学校で見ている姿と別人に近いからな。

同じクラスの奴でも気が付いていないと思われる。

もしかしたら遠藤は気が付いているのかな?


「それで?」


「うむ。この写真を含め、姫の撮影許可と会員への配布許可が欲しい」


 おっと、そう来ましたか!

確か隠し撮りは杏里に禁止されていたはず。

でも、なんでこの写真を?


「その写真、どうやって手に入れたんですか?」


「この写真を撮影したカメラマンは写真部のエースだ。普段から私が彼に依頼をかけている」


 ちょ! あの変なカメラマンはうちの生徒だったのか!


「うちの生徒で写真部?」


「あぁ、あいつの私服センスと話し方は微妙だが腕は確かだ」


 確かに会長に見せられた写真は素晴らしい。

こないだ現地でもらった写真もなかなか良かった。


 俺と杏里が浴衣を着た二人っきりの写真。

いまでも大切にアルバムにしまっている。


「そうだったんですか……。その件については俺の一存では決められません」


「何とか姫に許可を取り次いでほしい。遠藤とも話したが、ファンクラブには姫の写真は必須なんだ。わかってくれ」


 わかります。ファンクラブに杏里の写真は必須。

もし、俺もファンクラブだったら杏里の写真は絶対に欲しい。

しかし杏里がそれを許すだろうか……。


「後で聞いてみますね」


「うむ。よろしくたのむ」


 杏里の浴衣写真を大切そうに手持ちバッグに戻し、会長は後方に去っていく。

杏里は高山と杉本と一緒に並んで歩いている。

少し離れた所にいるので、こっちの会話は聞こえていないだろう。


 さて、どうしたものか……。

会長は遠藤となにやらひそひそと話をしている。

今の件を遠藤に伝えているのだろうか。


 なんだかバイトしに来たのに忙しくなってきたな。

俺は杏里と一緒に海で遊びたいのに……。


「着いたぞ!」


 オーナーが大きな声で俺達に声をかけてきた。

目の前にはでっかいログハウス。

オープンカフェになっており、リゾート地にふさわしいおしゃれな建物だ。


「ここが俺達の仕事場……」


 みんながロッジに見惚れている。

まだオープン前なのでクローズしているが、なんだか楽しそうな雰囲気がある。


 店の前は海まで砂浜が続いており、泳ぎに来ている人が大勢いる。

この人たちを相手に商売するのか。よし、やってやるぜ!


「まずは、全員中に入って着替えと持ち場の説明からするぞ」


 裏口からオーナーが入っていき、俺達もその後に続く。

遊びもいいが、貰う報酬以上に仕事をこなしてやる。

出来る男を杏里にアピールだ!

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