第170話 美しい丘


 俺の胸の中で杏里は息をしている。

どうやら俺は無事なようだ。


 しかし、背中と後頭部を床で打った俺はなかなか声を出すことができない。

杏里も特に痛がっているわけでもなく、少し安心した。


「つ、司君!」


 息が詰まって返事ができない。

心配するな、大丈夫ですよ。


「ねぇ、司君! 大丈夫? 返事をして!」


 だから、ちょっと待ってくださいよ。

もう少しで返事をしますから。


「ど、どうしよう……」


 瞼に少し涙を浮かべながら心配そうに俺を見てくる。


「だ、大丈夫……。問題、ない」


 やっと声を出すことができた。


「ほんと? 大丈夫なの? 痛くない?」


 痛いですよ。そりゃ痛いに決まってます。

あの勢いで後頭部を打ったら誰だって痛いですよ。


「あぁ、痛くない。ちょっと息が詰まっただけだ」


「良かった……」


 半分泣きそうな表情で俺の方を見てくる。

そんな顔をするなよ。こっちが逆に心配するじゃないか。


「杏里は? どこか痛くないか?」


「私は大丈夫。司君に守ってもらったから……」


 良かった。こんなことろで怪我をさせる訳にはいかないからな。

その肌に傷なんてつけたら大変だ。

責任とって嫁にもらわないといけなくなる。


 ……それはそれでいいのか?

いやいや、良くないでしょ。


「杏里、そろそろ……」


 俺の上に乗っている杏里。

顔は俺の胸に、杏里の胸は俺のお腹に。

そして、互いに足をからませている状態で杏里の全体重が俺に乗っている。


 決して重くはない。むしろ、しばらくこのままでいいと思ってしまう。

だって、男の子ですもの。


「ご、ごめん!」


 今の状況に気が付いたのか、杏里は突然立ち上がる。


――シュルルルル


 左手の指に違和感を感じた。

俺の指に水着の紐が絡まっており、そのまま水着のトップスが俺のお腹に落ちてくる。


 杏里を見上げている状態でしばらく動けなくなった。

また、同時に杏里も動いていない。


 互いに視線を交差させ、状況の確認に入る。

恐らく杏里も俺と同じように脳内ブーストしているはずだ。


 俺の目の前には真っ白な双丘が見える。

白にほど近い色をした、美しい丘。


 決して大きいとは言えないが、杏里の首元から鳩尾にかけ盛り上がっている。

一言でいえば『美しい』と言えよう。


 次第に杏里の顔が赤くなっていき、口をパクパクしている。

まるで餌を与えられた金魚のようだ。

きっと俺の顔も赤くなっているだろう。


 ここは、声を出した方がいいのだろうか。

いいんだろうな、出した方が。せーの――


「「わぁぁぁぁぁ!」」


 互いに大きな声でハモってみる。

杏里は手元にあったパレオを手に取り、胸元を覆う。

そして、そのままの状態で水着のトップスを手に取り、階段を駆け上がって行ってしまった。


 少し後頭部が痛い。背中も痛い。

だが、心は温かくなっている。


 俺はしばらく床に寝たまま、目を閉じさっきの事を振り返る。

見てしまったものはしょうがない。

これからどうやって杏里に声をかけようか……。


 もしかしたら杏里はしばらく部屋から出てこないかもしれない。

それはそれで困るし、何とかしなければならない。

よし、とりあえず声をかけに行こう。


 後頭部をさすりながらゆっくりと階段を上り、杏里の部屋の前に来る。


――コンコン


 返事が無い。部屋にはいるはず。

話したくないって事かな。


「杏里、いるんだろ」


 やっぱり返事が無い。

どうしよう。このままずっと部屋にこもりっきりだったら……。

ヒッキーになってしまう! それだけは避けなければ!


「杏里、悪かった。ごめんな」


『見ましたね』


 返事をくれた。良かった。


「見てない」


『嘘です。見ましたよね?』


「少しだけ、ちらっと見えただけだよ」


『嘘です。はっきりと見ましたよね?』


 段々杏里の口調がきつくなってきている。

初めに嘘をついた俺が悪いのか?


「そ、それなりに見えたかな?」


『私は嘘つきさんは嫌いです。見ましたよね?』


 あ、結構怒っているかもしれない……。


「あー、見た。はっきりと見ました」


『グスッ……』


 泣いているのか? 俺が杏里を泣かしたのか?


「な、泣かなくてもいい! 綺麗だったぞ! 今まで見てきたどんな雑誌や写真よりも杏里が一番きれいだった!」


『……』


「真っ白な肌に、程よい大きさ。そして、杏里のスタイルにマッチした胸は、むしろ誇るべきだ! 俺は巨乳よりも、程よい大きさの方が好きだ! そう、杏里の胸が一番ベスト!」


――ガチャ


 扉が開く。


「や、やめて下さい。それ以上、胸について話さないでください……」


 顔を真っ赤にして、半泣き状態で現れた杏里。

既に水着から普段着に着替えているが、表情がまずい。


 真っ赤にした顔、耳まで赤くなっている。

可愛い。今すぐに抱きしめたい位だ。


「杏里……」


「もういいです。事故だったんです、仕方ありません」


 下を見ながら小さな声で話してくる。

よっぽど恥ずかしかったんだろう。


「分かった。だったら俺の胸も見てくれ。俺でおあいこだ」


 着ていた服に手をかけ、上半身裸になろうとする。

これでお互い様。恨みっこなしだ!


「だ、大丈夫です! そこまでして頂かなくても。ふ、服を脱ぐのはやめて下さい!」


 なんだ、いいのか? 別に減るものでもないし気にしなくていいのに。


「いいのか?」


「み、見なくてもいいです……」


「魅力が無いと?」


「そういう訳ではありません。でも、見なくていいです」


 しばらく沈黙の時間が流れる。

さて、こういう時の秘密兵器でも出しますか。


「一緒にかき氷食べようか?」


「うん……」


 俺達は手を繋いで台所に向かう。

俺に手を引かれながら歩いている杏里は相変わらず下を向いて歩いている。

でも、握った杏里の手は温かく、しっかりと握り返してくれる。


 いろいろあるかもしれないけど、俺達はきっとうまくやっていける。


「司君?」


「どうした?」


「こぶ、出来てるよ?」


 そっと頭に手をやると確かに膨らんでいた。

杏里と比べると本当にささやかだが、ほんの少しだけ俺の後頭部は膨らんでいる。


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