第163話 胸の中の眠り姫


 温かい。柔らかい枕にいい香りがする。

エアコンをつけっぱなしにして寝てしまったが、いい感じに掛け布団が俺を包んでくれている。

この心地よさは今まで感じたことが無い位、心が安らぐ。


 目を閉じて、この感触をずっと感じていたい。


「んっ……」


 声が聞こえた。ゆっくりと目を開けると、俺は杏里の胸を枕に寝ている。

二人で同じ布団にくるまり、俺が杏里に抱き着いている。


 よし、ゆっくりと思いだそう。

ここで慌ててはいけない。鼓動が高まる中、昨夜の事を思いだそうと試みる。


 確か、ベッドに座った杏里に膝枕をしてもらった。

そこで少し話して、俺はそのまま眠ってしまったと思われる。


 どうして杏里と一緒にベッドで寝ているんだ?

しかもこんなに密着した状態で。ゆっくりと視線を杏里の顔へと移す。


 杏里も深く寝ているようで、寝息が聞こえてくる。

杏里の寝顔は何度か見た事があるが、やっぱり天使の寝顔だ。


 柔らかい枕は名残惜しいが、そっと自分の枕に頭を移動させる。

俺の腕は杏里の首の下に潜り込んでおり、抜くのは難しい。

腕枕状態はしばらく維持するしかないようだ。


 反対の手で、杏里の髪をかきあげその表情をまじまじと見るめる。

目を閉じた杏里は口をモニモニしながら、少し微笑んでいる。


 杏里も疲れていたんだろう。このまま少し寝かせてやりたいな。

手元にあるスマホを覗き込み、時間を確認する。

起きるにはまだ少し早いかな。


 このまま杏里が起きるまで、この微笑みをずっと見ていてもいい気がする。


――ブルルルルル


 突然スマホが震えだす。

慌ててスマホを操作し、届いたメッセを確認する。


『任務完了。時間が早いので、取り急ぎメッセにて。追って連絡する』


 会長からの連絡だ。

一晩かけて届けてくれたらしい。まさか夜間ずっと移動していたのか?

こっちが焼肉とかフルーツとかしている間も、会長はずっと俺達の為に……。


『ありがとうございます。会長は無事ですか?』


『無事だ。荷物も先方に届けた。また昼頃に連絡する』


 会長も疲れたのだろう。

昼頃にまた連絡をくれることになったので、それまでは一時待機だな。


 スマホを枕元に置き、再び杏里の方に目線を向ける。

目をうっすらと開けている杏里と目があう。


「起きた?」


 杏里の耳元で話しかけてみる。


「ん……」


「もう少し寝れるけど、寝るか?」


「にゅ……」


 再び目を閉じた杏里は、俺の胸に頭を乗せ、そのまま抱き着きながら再び夢の世界に旅立って行った。

杏里は割れてしまったカップの事を、どう思っているのだろうか。

もし、俺が同じカップを手に入れることができたら杏里は喜んでくれるのだろうか……。


 俺はダメもとで雄三さん、杏里のお父さんにメッセを送ってみることにした。


『おはようございます。こんな時間に申し訳ありません。聞きたいことがあります』


 返事はいつ来るだろうか。


『なんだ?』


 は、早い。もう返事が来た。

もしかしたら雄三さんはこんな時間から活動しているのか?


『杏里の持ってきたカップなんですが、同じものって手に入りますか?』


『あのペアカップか?』


『そうです』


『無理だな。あれは昔私が作って、杏里の母親にプレゼントした自作品だ』


 な、何てことだ。市販品じゃないのか……。


『ありがとうございます』


『何かあったのか?』


『一脚割れてしまったので……』


『諦めるんだな。同じ品は手に入らん。すまんな』


 手に入れることは不可能。

手作りの品だったとは、万事休すです。

ごめん杏里、やっぱり手に入れるのは不可能だ。


 外で鳥の声が聞こえ始める。

朝日の光が部屋に入ってきて、杏里の顔を照らし始めた。


 俺の胸の上で眠っている杏里。

今はゆっくりと眠ってほしい。杏里の頬をなでながら、その顔を俺はずっと見つめている。


――ダダダダダ ガチャ!


「届いた! 原稿が、届いた!」


 突然勢いよく扉が開き、杉本が俺の部屋に入ってきた。


「天童さん! 原稿が、原稿が届いたって今連絡が――」


 俺と目線を交わす杉本。

そして、杉本の視線は俺の胸の方に移動し、頬を赤くし始めた。


「あ、ふぁ、な、何で……。ご、ごめん! だって、そんな、聞いてない!」


 扉を勢いよく閉め、出て行ってしまった。

昨日の今日でこのありさま。

台所から杉本の声が聞こえてくる。


『た、高山くん! わ、私どうしたらいい! やっぱり、帰った方がいいのかな!』


 まぁ、そうなるよな。

さて、起きて杉本に説明をしますかね。

流石にすぐに帰るとはならなかったけど、この状況を見たらそうなるよな。


「杏里、起きれるか?」


 杏里の髪をかきあげ、頭をなでる。

まだ半分夢の世界に行っている杏里を、こっちの世界に呼ばなければ。


「杏里、そろそろ朝だ。杉本も高山も起きてるぞ」


「ん……。おきゆ……」


 まだ寝ぼけている杏里。

俺はそっと杏里を抱きしめ、杏里を覚醒させる。


「ほら、起きよう。朝ごはんは、何がいい?」


「あさ、ごはん……。司君が、作った朝ごはんはおいしい……」


 意味がよくわからない。


「じゃぁ、このままベッドで寝ていてくれ。俺は先に起きてご飯の準備でもするよ」


「ふにゅ……」


 杏里をベッドに残し、俺は台所に移動する。

案の定、すでに高山と杉本がホールで何か話をしているのが見えた。


「おはよう」


 二人に声をかけるが、二人の視線が痛い。


「天童、彩音の言っていたことは本当か?」


 杉本は高山に何を言ったんだろうか?

ここはよく確認し、正確な答えを出さないとまた誤解されるだろう。


「コーヒーでも入れるよ。話はそれからでいいか?」


 二人を誘い、テーブルにコーヒーと紅茶を出す。

寝起きの二人はややボサッとしているが、それは俺も同じ。


「で、高山は杉本さんから何を聞いたんだ?」


 杉本の顔はさっきからずっと赤くなったまま。

高山も心なしか、頬が赤くなっている気がする。


「あ、彩音。ほら、直接聞いたらいいだろ?」


「え? 私? 私が聞くの? そ、それはちょっと……」


 二人とも何かもじもじしている。

もしかしなくとも、さっきの件だろう。

ここは俺から切り出した方が良さげかな。


「杉本さんがさっき見た件についてかな?」


 杉本さんに話を振ってみると、案の定。

無言で頷き、手をもじもじさせている。


「俺と杏里は何もしてないぞ。そういう関係ではまだ無い」


 高山の目が少しだけ泳いでいる。


「まだそういう関係ではない。そう言ったか?」


「え? あぁ、言ったけど?」


 俺は何か変な事を言ったかな?


「そっか。まぁ、付き合っていたら、そうなるよな……」


 何か勘違いされているのか?


「えっと、ちょっと昨日の事がショックで、杏里が落ち着かなかった。それで、少し一緒に話をしていたら、そのまま朝になっただけだ」


「わ、私のせいだね……」


「違う違う、別件だ。杉本さんは特に関係ないから安心してくれ」


 少しほっとしたような杉本。

とりあえず、誤解は解けたかな?


「そっか。杏里は?」


「まだ寝てる。疲れていたみたいだな」


「そっか。起きてくるまで、そっとしておいてあげようか」


「そうだな、姫川さんも疲れているだろうし、そのままでいいと思うぞ」


 高山も杉本も杏里に気を使ってくれた。

そのうち起きてくるだろう。それまでは朝ごはんでも準備して待っているか。

それに、会長が届けてくれた原稿の件も話しておきたいし。


 杏里が眠っている中、俺達三人は朝食の準備始める。

眠り姫は少し寝坊しているが、たまにはいいだろう。

王子がいなくとも、そのうち起きてくるよな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る