第161話 大切な友達


 いい感じに杉本が勘違いしてくれた。

もしかしたら、このまま押し通せるかもしれない。


「いや、さすがにクローゼットでは寝ないだろ?」


 良い突っ込みをありがとう高山。

ですよね。流石にクローゼットで寝るなんてことはないですよね。


「でも、部屋にいなかったし……」


 杏里に視線を送ると、無言で頷いてくる。

あの目は意を決した目つきだ。そうか、杏里は話すんだな……。


「あのね、このティーカップ。私の私物なの」


 紅茶を飲みながら話し始めた杏里。

さっきと比べ、少しだけ空気が重くなった気がする。


「私物? わざわざ持ってきたの?」


「今日使った箸も、茶碗も全部私の。この意味わかる?」


 杉本は杏里の方を見ながら、少し悩んでいる。


「もしかして、姫川さんの私物って他にも沢山ないか?」


 さすが高山。いい線いってるぜ。

その観察力、素晴らしいな。


「沢山あるよ。食器に歯ブラシ、マグカップ。それに学校の制服とパジャマも」


「数日のお泊りにそんなに持ってきたの?」


「違うよ彩音。姫川さんの私物がここに揃っているんだ。生活に必要なもの全てが……」


 いつもと違う表情をする高山。

肉をがっついていた時の顔つきと比べたら、月とすっぽん。

顔には全く笑顔もなく、いつもの冗談も言ってこない。

久々に見た真剣な顔つきだ。


「杏里、それって……」


 少し深く息を吸い、杏里はその口を開き始めた。


「私ね、今は親と住んでいないの。あの事件があった時から家を出ているんだ」


 杉本も高山も口を開かず、杏里の話を真剣に聞いている。

俺も何か話そうとしたが、ここは杏里にまかせよう。


「色々あってね、今は下宿にお世話になってるの。彩音、わかってくれた?」


「そ、その下宿って……」


「五橋下宿。この下宿にお世話になってる」


 杉本と高山の視線が同時に俺に向けられた。

ま、そうなるよね。


「俺と杏里は今ここで暮らしている。二階の使用禁止になっている部屋が杏里の個室だ」


 二人の反応が悪い。

まるで時が止まったかのように、瞬(まばた)きもしない。

呼吸はしてますよね?


「私は、司君と二人でここに住んでるの。一緒に生活してるんだ」


 杉本の口が少しだけ開く。


「そ、うなんだ。二人で、暮らしていたんだ……。はは、びっくりしたな……」


 少し杉本の顔色が悪くなった気がした。

身体も少し震えている。


「ごめん、ずっと隠してた。勉強会の時も映画を見に行くときも、お祭りの時も、私はずっと司君と一緒にいたの」


「悪い。俺もずっと隠してた。でも、二人になら話してもいいんじゃないかって……」


――ガタン!


 急に杉本が席を立った。


「ごめん! 私、二人の事知らなくて。押しかけてごめん!」


 杉本はそのまま台所から走って出て行ってしまった。


「彩音! ちょっと待てよ!」


 高山も席を立ち、杉本の後を追って台所から出ていく。


「彩音! 待って! まだ話が――」


 急に動いた杏里は、手元にあったカップをその手で倒してしまった。


「あっ……」


 勢いよくカップはテーブルから落ち――


――パリーン


 高い音と共に割れてしまった。


「杏里、大丈夫か?」


 無言で落ちたカップを見つめている杏里。

割れてしまったカップを手に持ち、ずっと見つめている。


 二階にいる高山の声が、一階まで響き渡る。


『彩音! 何してるんだよ!』


『帰る! ここにはいられない! 今すぐに帰る!』


 二階では高山と杉本が口論し始めてしまった。

杏里は割れたカップを見つめ、微動だにしない。


 な、何なんだ!

たった数分の事なのに、どうしてこうなった!


「杏里……」


 声をかけても、返事も無ければ振り向きもしない。

まずい。杏里も杉本もまともに話せる状況じゃない。

高山。高山はどうだ?


『彩音! 荷物を下ろすんだ! こんな時間に電車は動いてないぞ!』


『歩いて帰る! 二人の家に上がり込んだ私が悪いの! そこをどいて!』


 高山はまだ話せる状況っぽい。

俺は、どうしたらいい? この状況をどうやって切り抜ける?


「杏里。怪我は無いか?」


 俺は杏里の手を取り、様子をうかがう。

まるで魂の抜けた人形のようだ。


 目がうつろになっており、焦点が合っていない。

そして、呼吸がいつもより深く、肩で息をしている。

もしかして俺が思っている以上に精神的負担がかかっているのか?


「杏里、しっかりしろ! 杉本さんが出て行ってしまうぞ!」


 杏里の手を握りながら声をかける。


「そのカップの大切さは俺も良く知っている。でもな、杏里にとって杉本さんは大切な友達なんじゃないか! 違うのか!」


 杏里の目に光が戻る。

さっきまで合っていなかった焦点が戻り始めた。


「杏里、答えろ! 杏里にとって杉本さんは大切な友達なんだろ! 親友じゃなかったのか!」


 杏里が俺の目を見ながら口を開く。


「……せつ。たい、せつ。彩音は、大切なとも、だち……」


 うっすらと瞼に涙を浮かべながら杏里は答えた。


「彩音は、大切な友達。司君、私はどうすればいいの?」


 泣きながら杏里は俺に答えを求めてくる。

正直俺にだって答えは分からない。そんな急に答えなんて出るはずがない。


「行くんだよ。今すぐに。杏里が杉本さんを止めるんだ。杏里にしかできない」


 割れたカップをテーブルに置き、涙を拭いた杏里は走って台所から出ていく。

その後を俺も追うように走り出す。


「離して! その手を離してよ!」


「落ち着け彩音! こんな時間に外に出ても意味が無いだろ!」


「意味はある! 私はここに居てはいけないの! 早く、早く出て行かないと!」


 一階のホールで杉本と高山が言い争っている。

その火種は俺達が原因だ。


 杉本は大きなバッグに入るだけ荷物を入れて玄関に向かっている。

その手を高山が握り、なんとか止めている状態だ。


「彩音……」


「ご、ごめんね杏里。私、邪魔だったよね。すぐに帰るから、少し待ってね」


 取り乱している杉本。

その目の前に杏里が立ちはだかる。


「本当に行っちゃうの? 彩音は帰ってしまうの?」


 少し目が赤くなっている杏里。

その目にもう涙はない。


 杏里の心の強さが、もしかしたら杉本を何とかしてくれるかもしれない。

俺は見守る事しかできないのか? 俺にできることは何かないのか……。


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