第139話 可愛い寝顔


 アラームが鳴る前に目が覚める。

手元のスマホを見るとまだ五時半。二度寝をするか悩むところだ。


 最近は朝、杏里が起こしに来ることが多く、寝ぼけた顔を見せてしまっている。

杏里は俺の所に来る前に準備をしているのか、寝ぼけた表情はしていない。


 よし、たまには俺が杏里を起こしに行こう。

早朝ドッキリだ。もちろん手にはバズーカ―。

って、そんなものはこの家になかったな。


 寝ぼけていた頭も徐々にすっきりし、杏里をドッキリさせることが楽しくなってきた。

俺はジャージのままゆっくりと階段を上がり、杏里の部屋の前に立つ。

扉のノブを握りしめ、ゆっくりと回し始める。


――カチャ


 開いた。扉の隙間から部屋を覗く。

中はまだうす暗く、常夜灯が点いている。さすが遮光カーテン、部屋の中は暗い。


 扉をゆっくりと開き、忍び足で部屋に侵入。

ロフトの上にある布団から杏里の寝息が聞こえてくる。

しめしめ、まだ寝ているな。


 ゆっくりと階段を上がりそっと覗き込む。

布団に入っている杏里が寝息を立てている。


 気が付かれないようにそっと杏里の隣まで移動し、その顔を見てみる。

あ、やばい。何この可愛い寝顔。薄暗い中に浮かび上がる杏里の寝顔が激しく可愛い。


 さて、どうやって起こそうかな。

大声でびっくりさせるか、くすぐってみるか、だ、抱きしめてみるか……。

も、もしくは頬にチューとかしてみちゃう?


 ……ん? なんか俺ってやばい奴じゃないか?

確かに付き合っているからと言って勝手に女の子の部屋に侵入して、何かするとかだめなんじゃ?

うん、やめておこう。良かった気が付いて。

杏里の寝顔が見れただけでも良しとしよう。


 思いとどまった俺は、再び布団から離れようとゆっくりと離れようとする。


――ピピピピピピピ


 ほぅぁ! な、何だ! アラームか!

おかしい、俺のアラームはさっき止めたはず!

それに、まだアラームのセット時刻前だぞ!


 と、自分のスマホを操作するが、アラームはなっていない。

あ、もしかして杏里の目覚ましか?


 目を閉じたままの杏里が動きだし、手が布団から出てくる。

そして、枕の下に手が入っていき、アラームが止まる。


 やっぱり杏里のアラームだったのか。

は、早く脱出しなければ。


 俺は息を止め、杏里の顔を見ながら少しづつ離れようと動き出す。

よし、杏里はまだ目を開けていない。行ける、このまま脱出だ!


 と、思ったのもつかの間。杏里の目が開いた。

しばし互いに目線が交差し、沈黙の時間が流れる。


 突然杏里に抱き着かれ、俺は杏里に覆いかぶさるように倒れ込んでしまった。

寝ぼけているのか? それともこのまま絞められてしまうのか。


「つ、司君だー。おはよー、司君の匂い……」


「お、おはよう」


 俺の頬に杏里の頬が重なり、互いに抱きしめあっているような体勢になる。

あ、まずい。このままではきっと杏里が覚醒してしまう。

何とかごまかして、脱出を……。


「司君、温かいね。もっと、私のこと抱きしめてよ。そして、離さないで……」


「お、おぅ……」


「ん……。好きだよ、大好き。司君の事、大好きなの」


「あ、ありがとう。俺も杏里の事、好きだよ」


 朝から何をしているんだろうか。

いつもの杏里じゃない、絶対に寝ぼけている。


「ギュッとして……」


 俺は杏里を抱きしめる。そして、杏里も俺の事を抱きしめてくる。

しかし、徐々にその力は次第に弱くなり、杏里に肩を掴まれた。


「つ、司君?」


「どうした?」


「な、何してるのかな?」


「あ、起きたか? たまには俺が杏里を起こそうかなー、なんてね」


 はっきりとした口調に、パッチリとした目。

覚醒しました。姫川杏里、覚醒。乗員は直ちに退避せよ!

と頭の中で警告音が鳴り響く。


「な、何しているんですか! か、勝手に部屋に入って来るとか!」


「ご、ごめん! でも、俺もさっき戻ろうと思ったんだけど、杏里に抱き着かれて!」


「い、言い訳は聞きません! は、早く部屋からー」


 と言ったところで、俺の顔にまくらが飛んできた。


「わ、悪かったよ。戻るよ」


「はぁはぁ……。も、もし起こしに来るのであれば、予め言ってください!」


「わかったよ、次からそうするよ」


 俺は杏里に怒られながらも部屋から出ていく。

扉を閉める瞬間、杏里が一言小声で声を漏らしていたのを、俺はしっかり聞いた。


「もう少し、一緒のお布団で寝てても良かったかな……」


 なんだ、杏里さん。あなたの属性はツンデレですか?

可愛い奴だなー、明日も起こしに行ってみるか。



――


 朝のジョギングも、朝食の準備も、食事中も杏里の機嫌が悪い。

もしかしたら俺のせいかもしれない。

いや、もしかしなくても俺のせいだな。ごめん。


 学校へ行く準備も終わり、一緒に玄関を出る。

しっかりと戸締りをして、自宅を出るが杏里は今だに無口。


「悪かったよ。そろそろ機嫌を直してくれよ」


 つんとした態度で、俺よりも少しだけ前を歩いている。

杏里の後姿を追うように俺は杏里に声をかけ続けている。


「次からちゃんと言うからさ。悪かったって」


 後ろに振り向き、俺にきつい目線を向けてくる。

まだ怒っているっぽい。確かに、俺も悪い所はあったけど、謝っているのに!

つんとした態度で再び前を向いて歩きだす杏里。


 さて、どうやって機嫌を取ろうかな……。


「今日駅前のイチゴクレープ奢るから許してくれないか?」


 杏里が少しだけピクッと肩を動かした。

お、反応ありだな。


「トッピングで生イチゴもつけていいからさ」


 後ろを振り返り、俺に視線を向けてくる。

反応ありですね。もう少し押してみるか。


「もちろん、ドリンク付きで。本当に悪かったよ、ごめんな」


 杏里が俺に向かって歩いてい来る。

少しだけ目線がきついが、さっきまでの怒りのオーラは感じない。


「それだけで私が許すと思っているんですか?」


「まだ、他に要求が?」


 不意に杏里が俺の腕を組んでくる。


「司君と一緒にクレープを食べる事も条件です」


「そんな事でいいのか?」


「そんな事じゃないですよ。大切なことです。一緒に食べましょう」


「おぅ、一緒に食べるか」


 笑顔になった杏里は、俺の腕を組みながら少しだけ早走りする。

俺も杏里に惹かれながら少しだけ歩く速度を早くした。


「でも、寝起きの顔を見られるのは恥ずかしいんですよ」


 杏里が頬を赤くしながら話し始めた。


「そんな寝顔を見ると、俺は幸せになるぞ。実際杏里の寝顔は可愛いしな」


 さっきより杏里の顔が赤くなっている。

そんなに照れる事無いだろう。


「つ、司君の寝顔だって可愛いですよ」


「お、俺は可愛くない!」


「いえ、可愛いです!」


 そんな朝からバカっぽい会話をし、二人で駅に向かって歩いて行く。

目線を上げると雲一つない真っ青な空、すっかり夏になった。

日差しが強くなってきて、若干暑いと感じる。


「おーい、司! 朝から熱いな!」


 八百屋のおっちゃんだ。

ハーフパンツに白のタンクトップ。頭には白の手拭いを巻いている。

そして、煙草をふかしながら店先で新聞を読んでいる。


「おはようございます」


「姫ちゃんもおはよう! 今朝は熱いねー」


「そうですね、すっかり夏になりましたね」


「いやいや、まー、そうだな。夏になったな」


 そんな店先での会話もほどほどにし、俺達は駅に向かって歩いて行く。

何気に俺達は商店街の人に見られているのかもしれない。

いや、見守ってもらっているが正しい表現なのかな。


 少しだけ後ろを振り返ると、俺達の背中をオッチャンはまだ見ている。

八百屋のおっちゃん、今日帰りに野菜買って帰るよ。

良い所、残しておいてくれよなっ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る