第138話 一歩踏み出す勇気


 杏里と一緒に自宅に帰る。

少しだけ足が重い。決して荷物が重いわけではない。


「司君、宛てあるの?」


 無いわけではない。たった四人だ、夏休みまでにはまだ時間はある。

とりあえず明日にでも声をかけてみるか。


「大丈夫だろ。四人くらい何とかなるよ」


「そうだといいんだけど……」


 杏里の不安そうな目を見ると、俺まで不安になってくる。

大丈夫、きっと何とかなるって。


 帰りにいつもの肉屋によっていく。


「おばちゃん、豚小間二百」


「あいよ。今、帰りかい? いつも二人で仲が良いねー」


 確かにこの商店街は俺と杏里、二人で利用することが多い。

近所だし、なにより安いし、おまけもくれるし……。


「そうですね、私達仲が良いんです」


 笑顔でおばちゃんに返事をする杏里。

手渡された豚小間の袋には、肉以外に何か入っているように見える。


「それはいいことだね。姫ちゃんもすっかり元気になって良かったよ」


「ありがとうございます。ご心配おかけしました」


「おばちゃん? これ肉以外に何かはいってるよ?」


 俺は袋から紙に包まれた正体不明の何かを取り出す。

八百屋のオッチャンの記憶がよみがえる。

ま、まさかね……。


「あー、さっきお客さんにもらった果物。良かったら二人で食べな」


「ありがとうございます。司君、良かったね」


「良いんですか?」


「いいの、いいの! 箱いっぱいにもらったから、まだまだあるし」


「では、お言葉に甘えさせていただきますね」


「もー、そんな他人行儀みたいなこと言わないのっ! 司ちゃんも、姫ちゃんも同じ町内じゃないの。もっと大人を頼っていいのよー」


 いつもで明るい肉屋のおばちゃん。こないだ肉まんを貰ったし、今日は果物を貰った。

多分、俺はこの商店街が好きだ。


 大型スーパーでは食材や日用品が何でもそろう。

少し離れた所にあるショッピングモールに行けば、生活に必要なものはほぼそろうだろう。


 だけど、そこには八百屋も肉屋も、果物屋も電気屋さんも無い。

ただ、お店の人が販売しているだけだ。

この商店街のような温かみは、ここにしかない。


 俺はいつまでこの街にいるのだろうか。

そして、この商店街はいつまで残ってくれるのだろうか。


「司君、早く帰ろう。日が暮れるよ」


 肉の入った袋を片手に、杏里が俺の袖を引っ張ってくる。


「あら、暑いわね」


「そろそろ夏、本番ですから」


 杏里と店を出て、いつもの公園の前を通り抜け、自宅に帰る。

買ってきた物を冷蔵庫に入れ、家着に着替えた杏里と台所に立つ。


「さて、早く晩御飯にしようか」


「今日は一緒に作るの?」


「最近杏里に任せることが多くなってきたけど、一緒にご飯の準備するのもいいだろ?」


「そうだね。今夜はどうする?」


 エプロンを身に着けた杏里が俺を見てくる。

今夜はどうするって、どうしようか?



――


 お風呂にも入り、いつものゆったりとした時間が流れる。

風呂上りに一緒に牛乳を飲むが、たまに杏里は髭男爵になる。

そんな時は俺がそっとタオルで拭いてあげるのも日課になりつつあるな。


「杏里、その飲み方はわざとか?」


「わ、わざとじゃないですよ……。偶然です」


 少しだけ照れながら、コップを洗い、そそくさソファーの方に走って行ってしまった。

多分わざとだ。そうに違いない。


「さて、あまり遅くなるのも悪いし、井上に連絡してもいいかな?」


「明日のお昼の件ですか?」


「そう。今から電話して確認してみるよ」


「だったら、私の隣で電話してもらえますか?」


「ん? なんでだ?」


 杏里の表情が少しだけ曇る。

そして、俺の袖を掴み、何か目線で訴えてくる。


「分かったよ。良くわからないけど、杏里の隣で電話するよ」


 笑顔になった杏里は、俺の隣に座って待機している。

別に電話位いいんじゃないか?

それとも、杏里は俺と井上が連絡するのを見ていたのかな?


 数回コールする。が、留守番電話になった。

おかしいな、拒否とかされてないよね?

もう一度かけてみるがやっぱりつながらない。


「出ないな。あとでもう一度かけてみるか」


「この時間だったらお風呂かもしれませんね」


 確かに、時間的にはお風呂でもおかしくない。

後でもう一度かけてみるか。


 ソファーから離れ、おばちゃんにもらった果物を開ける。

中からは巨峰が出てきた。


「杏里! 巨峰だ! でっかいぞ!」


 杏里もソファーから台所にやってきて、一緒に巨峰を見る。


「これは、なかなか大きいね。少しだけ今食べちゃおうか?」


「いいね。少しだけ食べちゃおう!」


 小さな器に数個の巨峰を入れ、残りは冷蔵庫に。

洗って、もう一度器に戻す。


 再びソファーに戻り、杏里と一緒に巨峰を食べ始める。

おばちゃんありがとう! おいしくいただきます!

どこかの社長とは一味違うぜ!


「いただきます!」


 お互いに皮をむき、口に放り込む。

う、まーい。そして、あまーい。


「甘くておいしいね」


「あぁ、幾らでも食べられそうだ」


 互いに二個目、三個目と手が伸び、無くなっていく巨峰。

空になってもまだ追加できるし、心置きなく食べてしまおう。


――ブルルルルル


 スマホが震える。

俺は急いで手を拭き、スマホを操作する。


「は、はい天童です!」


『天童君? ボク、分かるかな?』


「井上か? 悪い、ちょっと待ってくれ」


 まだ手が濡れている状態でスマホを操作したので、少しだけスマホが濡れた。

テーブルにあった布巾で拭こうと思い、布巾を引っ張ったら巨峰の入った皿まで動いた。

そして、そのまま皿はスライドしていき、テーブルの下に落下。

のぅあ! ラグに染みがぁ!


「危ない!」


 杏里が声を上げる。

俺はとっさにスマホをソファーに置き、落ちかけている皿に手を伸ばす。

と、同時に杏里も皿に手を伸ばし、見事皿をキャッチ!


 皿の半分を俺が、残りの半分を杏里が掴んでいる。

中に残っていた巨峰は無事。ラグにシミもない。


 セーフ! あぶねー! 紫のシミとか、絶対に抜けないよね?

良かった―。再びスマホを手に持ち、井上に話し始めた。


「お待たせ。時間大丈夫か?」


『一体何をしていたんだい? 危ないっ! とか聞こえたけど』


「あー、気にしないでくれ。で、姫川さんの件なんだけどさ」


『うん……。ど、どうだったの?』


「明日、昼を一緒に食べないか? 俺も含めて三人でさ」


『いいの? 姫川さんとお昼一緒にできるの?』


「あぁ、本人には伝えている。明日の昼、姫川さんの所まで来てくれ。学食でいいか?」


『ボクは学食でいいけど、姫川さんはいいのかな?』


「あぁ、学食でいい。じゃ、また明日な」


『あ、ありがとう! 天童君、ありがとう!』


 随分はしゃいだ声がスマホのスピーカーから音漏れしてくる。

よっぽど嬉しかったのだろう。


「終わったの?」


「あぁ、終わった……」


「どうしよう、私の声聞こえちゃったかな?」


「聞こえていたけど、あっちは気にしてないと思うぞ」


「そうかな?」


「それ以上のイベントが発生しているからな。大丈夫だと思う」


 友達を紹介してほしい。

新しい友達がほしい、気になる子と知り合いたい。

出会いが欲しい、恋人がほしい。


 人と人が関わり合いを持つって、大変なことだと思う。

特に接点のない者同士の出会う確率は低い。


 気になる相手がいても、なかなか一歩が踏み出せない。

でも、井上は一歩踏み出した。

初めの一歩は間違ったやり方かもしれない。

でも、一歩踏み出す勇気を、井上は持っていた。


 だったら少しくらい、フォローしてもいいんじゃないかな?

きっと高校三年間で知り合える人の数にも限界はある。

だったら、少しでも仲間を、未来の友を見つけられるように、声を出していったらいい。


 俺は杏里と共に。

井上は、この先誰と共に歩くんだろうか?


 まだわからない未来に向け、歩き始める。

その隣には、きっと仲間がいるはず……。


――ピッコーン


 メッセが届いた。こんな時間だと高山かな?


『天童! お祭りの日はスーツでいいと思うか? クールビズの』


 この件についてはダッシュで返信をしておこう。


『却下。浴衣オンリー。浴衣以外は無し!』


『えー、俺持ってないぞ?』


『俺も浴衣で行く。合わせろ!』


『天童とお揃い?』


『違う! 杏里も杉本も浴衣だ。そこに合わせるんだよ!』


『しょうがないな。姉貴に相談してくるわ』


 危ない、危ない。

危うく高山スーツ再びになる所だった……。

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