第137話 強制イベント発生


 杏里とせっかくいい気分で帰ろうと思っていた矢先、店長からの緊急連絡。

何か事件でも起きたのか? まさかインフルで全スタッフ休んじゃうとか……。

でも、シフトとは関係ないって言っていたよな。


「店長さん、私達に何か話したいことでもあったのかな?」


 ま、まさか突然首とかはないよな?

もしかして、まかないで勝手にメガサンドイッチを作ったのがばれたのか?

でも、誰にも見られていないし、一人で休憩室で食べたしな……。


 急に不安になってきた。


「た、多分なんでもないよ。きっと夏休みのシフトとかの件じゃないかな?」


 少しだけ焦る。

さっきまであんなに楽しく、ワクワクウキウキしていたのに、一瞬にしてドキドキバクバクだ。

楽しい雰囲気もなくなり、次第に口数が減っていく。

杏里と二人、そのまま特に会話もなくバイト先に着いてしまった。


――カランコローン


「お疲れ様です。店長いますか?」


 ホールにいた先輩に声をかける。


「お、来たね。とりあえず店長の話を聞いてもらえないかな? 私達ではお手上げなんだ」


 何の話だろうか?

先輩に事務所まで連れて行かれ、テーブルの手前にある椅子に杏里と二人で座る。

目の前には渋い顔の店長。なぜか急に老け込んでいるように見える。


「ま、とりあえずこれでも飲んで店長の話でも聞いてあげて」


 先輩が俺達の目の前にアイスコーヒーとアイスティーを置いてくれた。

あ、すいません。ありがたくいただきます。


「待っていたよ……」


 いつもよりもダンディーな低い声。

そして、若干目の下に隈ができている。

一体店長の身に何が起きたんだ?


「それで、俺達に何か話でも?」


 内心ドキドキしている。

杏里の方に目線を送ると、随分落ち着いているように見える。


「そろそろ夏休みだな」


「そうですね。長期休暇に入りますね」


「二人ともバイトするよな?」


「ま、まぁ、それなりにシフトには入る予定ですが?」


 店長は椅子をくるっと回し、後ろの机から紙を一枚手に持つ。

そして、その紙を俺達の目の前に差し出した。


「とりあえず、読んでほしい」


 そこには『スタッフ大募集!』と書かれた紙が一枚。

バイトの内容を読むと、どうやら求人の張り紙のようだ。


 セブンビーチの海の家でリゾートスタッフ大募集!

朝の八時から夕方の四時まで。四泊五日の泊まり込み。

朝昼晩の食事と宿泊費無料。日給八百円。


 ん? 日給八百円?


「て、店長? これ安くないですか?」


「司君、多分これ金額のミスなんじゃないかな?」


「姫川正解! これは店のオーナーから渡され、そのまま張り出したが一向に応募が無かった。うちのスタッフが見てみたら、この金額。そりゃ誰も応募しないよね?」


 誰も気が付かなかったのか? 日給八百円とか、激安もいい所。

完全に違法じゃないですか。時給八百円だったら考えなくもないですが……。


 遠い目をしながら店長はコーヒーに口をつける。

そして、俺をものすごい勢いで睨みつけてきた。


「短刀直入に言うぞ」


「は、はい?」


「天童はこの夏、海の家でバイト。ついでに姫川も!」


「え? な、なんでそうなるんですか!」


「夏まで時間が無い。店は他のスタッフで何とかカバーできる。が、人が足りない」


「求人出してくださいよ」


「間に合わないんだよ! 今から求人誌に掲載依頼しても間に合わないんだ! もう、オープンまで時間が無いんですぅ!」


 いつもの店長じゃない。そうとう切羽詰っている。

お? もしかしてここは交渉の余地ありじゃないですか?


「俺と姫川。日給一万で、宿泊、食事込み。十六時以降は自由時間でどうですか?」


「つ、司君それはちょっと……」


 杏里が不安そうな目で俺を見てくる。大丈夫だ、心配するな。

時間が無く、宛てもないんだ。絶対に乗ってくる。


「……随分吹っかけてくるな。良いだろう、私の権限でその日給と待遇にしてやる」


「っしゃー! やったー! 杏里、海で遊べて、バイト代もでかいぞ!」


 俺はガッツポーズをしながら杏里に笑顔で叫んだ。

セブンビーチは有名な海水浴場。毎年多くの人がやってくる。

そこである意味タダで遊べ、しかも宿泊しながらバイト代も出るなんて。


「じゃ、これ保護者の同意書な。全部で六枚あるから、あとはよろしく。全員同じ待遇でいいぞ」


 一瞬動きが止まった。

店長はいま何と言ったかな?


「へ? 店長、これは?」


「言っていなかったか? 応募が誰もいないんだ。まさか、天童と姫川の二人で店を回せるわけがないだろ? 全部で六名。さ、天童、あとはよろしく。期待しているぞ」


 俺の手元にはバイト募集のチラシと、六枚の保護者同意書が残った。

もしかして、俺はやられたのか? 店長にうまく乗せられたのか?


 杏里の方を見ると、呆れた顔をしている。


「はぁ……。もっと最後まで話を聞かないと……」


「ご、ごめん……」


「ほら、二人とも良かったらこれでも食べな」


 店長は引き出しから何かを出してきて、俺達に渡してきた。

俺と杏里の手には『仙台名物 萩の月』が。


「オーナーが昨日店に来て置いて行ったんだ。遠慮なく食べてくれ」


 ほくほく顔の店長に、肩の力が抜けた俺。

そして、呆れ顔の杏里。


 せっかくなので、いただいたコーヒーと一緒に食べますか……。


「うまいなー」


「うん、おいしいね」


 これからの事を考えると気が重くなるが、おいしいは正義。

今だけはおいしいおやつをいただきましょう。

しかし、この求人用紙ってオーナーが書いたのか?


 だったらオーナーが何とかすればいいのに……。


「そうそう、この海の家はオーナーの物件で、当日もオーナーがいるからよろしくな」


「え? オーナー自ら店に出るですか?」


「オーナーの趣味なんだ。付き合ってやってくれ」


「は、はぁ……」


 こうして、夏休みになる前に夏休みの強制イベントが発生してしまった。

俺と杏里は残り四人のメンバーをそろえなければならない。


 さて、どうしようかな……。

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