第120話 真っ直ぐな心


 気温は昼よりは低くなっており、少しだけ吹いている風が涼しく感じる。

杏里の髪は風に流されており、時折指で髪を耳にかけ直している。


 杏里の目の前にいる男子は腰を直角に曲げ、頭を下げた状態で杏里に右手を差し伸べている。

ここからでも杏里の表情は良くわかる。


 杏里は俺の方を向いているが、男子生徒はそのまま頭を下げている状態だ。

最悪なタイミングで入ってしまったな。すまん。


 杏里は再び男子生徒の方に目を向け、男子生徒の差し出した手を取る。

二人で握手している状態だ。


「え?」


 俺は思わず声が出てしまった。杏里が手を取ったのだ。

断るなら手を取らないよな?


 頭を下げていた男子も明るい笑顔を杏里に向ける。

男子生徒は杏里の手を両手でがっちりと握りしめている。

杏里と男子生徒の視線が交差する。


 な、何かいい雰囲気なんじゃないか?

な、なんだこの空気は、杏里の所からとてつもないオーラを感じるぞ。

杏里は男子生徒の目を見ながら、しっかりとした口調で話し始める。


「ごめんなさい。貴方とはお付き合いできません」


 明るかった男子生徒の顔は、天国から地獄に、奈落の底に落ちたような表情となり、肩の力が抜けている。

が、杏里の手はしっかりと握ったままだ。早く離せよ。


「ど、どうして?」


「私には心に決めた人がいるの。ただそれだけ」


「そいつは二枚目ですか?」


「普通ね」


「勉強ができるとか?」


「少しはできるかな」


「スポーツ万能?」


「走っている所以外見た事無いわね」


「……話が面白いとか?」


「どちらかと言うと、口数は少ない方ね」


「ファッションセンスがいい?」


「ノーコメントで……」


 しばらく二人の間に沈黙の空気が流れる。

これ、ディスられてないか?

た、多分杏里の言っている男の事は俺の事だろう。

流石に少しは傷つくよ……。


「だ、だったら何で! そんな男そこらじゅうにいるじゃないですかぁ!」


 男の叫び声とともに、杏里は握られていた手を離した。

男子生徒の方へ一歩、歩み寄り少しだけ顔を近づける。


「あなたは、夢を持っている? 将来の事をどれだけ考えているかしら?」


 男子生徒は少しだけ考え込んでいる。


「もちろん考えている。いい大学に入って、上場企業に就職して、偉くなっていく。夢は、うーん、今イラストを趣味で書いているから、いつか賞とかとってみたいな」


「そう。夢が叶うといいね。頑張っていい大学に進学してね」


 そう男子生徒に話した杏里は、バッグを肩にかけ直し、屋上の扉へ向かって歩いてくる。

ようは俺の方に向かって歩いてくるのだ。


 男子生徒も俺の存在に気が付いたようでワタワタしている。

よっぽど真剣だったんだろう。俺が屋上に入ったことに気が付いていなかったようだ。


「こんな所で何してるのかな? あまりいい趣味じゃないね」


 頭を掻きながら杏里と一緒に屋上から階段へと移動する。

杏里は怒っている様子もなく、少しだけ笑みを浮かべている。


「悪かったな。杏里の背中が見えたから、もしかして飛び降りかって思ったんだ」


「私が自殺とかするはずないでしょ? 司君を置いて私はいなくなったりしないよ?」


「でも、万が一って事もあるだろ。放課後の事も誰にも話していなかったしさ」


「下駄箱に手紙が入っていて、別に誰かに話す内容でもないし。ごめんね、変な心配かけさせちゃって」


「いや、俺も悪かった。変なところ見てしまったな」


 階段を下り、廊下までは誰もいない二人の空間。

その短い時間、ほんの数秒だが、俺と杏里は互いに無意識で手を取り合った。


「俺ってかっこよくないし、勉強できないし、特技があるわけでもなく、格好もださいけど杏里はこんな俺でいいのか?」


 どうしても屋上で話していたことが気になる。


「いいよ。格好? 良くしていけばいいでしょ。勉強もスポーツもある程度でいいと思うし、服装だってショップに行って買えば終わり。ほら、簡単簡単」


「簡単なのか?」


「簡単だよ。司君の髪型以前とは少し違うし、試験も点数とれてきているよね?」


 そうなっている原因が目の前にいますが?


「ま、まぁな」


「そこじゃないんだよ。私は司君の心に惹かれたの。真っ直ぐな心に。夢、叶えたいんだよね?」


「あぁ。その為にこの学校を選んだからな」


「頑張ってね。応援してるよっ」


 そんな話をしながら杏里と階段を下り廊下へ出る直前、自然と手が離れる。

少しだけ名残惜しい。杏里の表情を見ると、きっと同じことを考えてると思う。


 廊下に出た時、目の前に『井上優衣(いのうえゆい)』がいた。

ジャージに着替えており、どうやらこれから部活に行くような感じに見えた。


「姫川……」


 ショートカットの彼女はきつい目つきで杏里の方を睨みつける。

杏里はいつも通りの感じで井上に対応しているようだ。


「井上さん、今から部活ですか? 熱中症に気を付けてくださいね」


 声は若干冷たく感じるが、井上に向けられる仕草も何となく冷たさを感じる。


「お気遣いありがとう。姫川、また一位だったな」


 これは先日のテスト結果の事だろう。

杏里は頭脳明晰だなー。


「ありがとう。井上さんは二位だったわね」


「……二位だ。姫川達、二人で何していたんだ?」


「いいえ、特に何もないわ」


「そっか。じゃぁ、ボクは部活があるから行くよ」


 少しだけニヤついた井上は、軽く廊下を走りながら去って行った。

何で最後にニヤついていたんだ?


「天童さん、私達も早く自習室に行きましょう。二人を待たせてしまっているわ」


 井上は多分偶然に通りかかっただけだよな?

しかし、井上の走る後姿は少しだけ足が軽くなっているように感じた。

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