第83話 優しい心と冷たい心
杏里のバッグと自分のバッグを肩にかけ、電車に乗る。
杏里は終始無言。そして、その表情も暗い。まるで灯りのなくなった灯台のようだ。
杏里の手を取り、いつもの駅で下車。そして、いつもよりゆっくりと歩いて帰る。
今日は遠回りしないで商店街を抜けて帰ろう。
途中肉屋のおばちゃんに声をかけられた。
「なんだ、司ちゃんじゃないの。どうしたのそんな暗い顔して」
俺達は声をかけられた方にフラフラと歩み寄り、店内に入って行った。
いつもならメンチカツを買うところだが、今日はそんな気分ではない。
「あら、姫ちゃん。貴方もひどい顔。喧嘩でもしたのかい?」
鋭い所を突いてくるおばちゃん。
伊達に何十年も店を切り盛りしているわけではないな。
人の表情を良く観察している。と言うか、杏里は『姫ちゃん』と呼ばれているのか。
何か新鮮ですね。
「別に喧嘩はしていない。ちょっと、色々あってさ……」
「姫ちゃんすごくつらそうね。でも、その顔はきっとまだ悩んでいるのね。もし、気が向いたらおばちゃんに相談してね」
そして、おばちゃんはカウンターにあった肉まんを俺達にくれた。
「ほら、これ食べて元気だしなっ! おばちゃんのサービスだよ」
無言で頷き、手に取った肉まんは温かい。
「ありがとう……」
それでも杏里は下を向いたまま、一言も話さなかった。
人が多く通る商店街。手を繋ぎ端を歩いている俺達は、他の人から見たらどのように見えるのだろうか。
商店街を抜けると公園の前に着いた。
俺はここで、杏里に想いを伝えたんだな。ふと、ベンチが目に入る。
「肉まん食べていこうか」
杏里の手を取り、公園に入ってベンチに座る。
杏里のバッグは何気に重い。参考書とか、ノートとかいろいろ入っているからな。
俺はもらった肉まんを一つ杏里に渡す。
「ほら、冷めないうちに食べようぜ。おばちゃん、杏里の事気にしてたな……」
杏里は手に持った肉まんを一口食べ、そのまま手を膝の上に置いてしまった。
「温かいね。この肉まん……。でも、私の心は、きっと冷たいの……」
「そんな事無い。杏里は優しい心を持っている。きっと、今だけだよ、そんなに思い悩むのは」
俺も大きな口で肉まんを食べ始める。
メンチもうまいが、肉まんもうまい。
「明日、どんな顔して彩音に会えばいいの? いつもと同じようにする自信が無いよ……」
「大丈夫。明日になったらきっと、いつも通りになっているさ。そんな深く考えるなよ」
すっかり日の暮れた公園。うっすらと街灯がつき、俺達の真上を照らしている。
少しだけ風が冷たい。その風に杏里の髪が流され、頬に一筋の涙の痕ができる。
「ごめんね、こんな私で」
「そんなに不安か? そんなに自信が無いのか? だったら俺の事を『好き』って言ってくれた、杏里のその言葉にも自信が無いのか? 」
「そんな事無い! 司君の事は好きだよ。でも、彩音の事も大切な友達なの」
「だったらそんなに考え込むなよ。俺達は、俺達のままでいいだろ? 別に杉本さんがそこにいたからって、何か変わる訳じゃない。杏里の考えすぎだ」
「そうなのかな……。考えすぎなの? 私は今まで通りでいいの?」
「そうだよ、今まで通り、一緒に帰って、ご飯食べて、勉強して。今度映画に行くんだろ? 見たい映画なんだよな? だったら一緒に行こう。高山と杉本と俺と、杏里の四人で。ほら、いつも通りじゃないか」
「……そうだね。皆で映画に行こう。きっと、彩音も楽しみにしている」
少し元気の出た杏里は、手に持っていた肉まんを口に運び、少しだけおいしそうに食べ始める。
俺もそれに合わせ、肉まんを口に。
「この肉まん、おいしいね。今度はちゃんと買おうね」
「そうだな、今日はおばちゃんにサービスしてもらったから、今度はちゃんと買わないとな」
少しだけ元気になった杏里の手をとり、俺達は帰路に着く。
良かった、少しは元気が出てきたみたいだ。
――
夕ご飯も杏里と一緒に作って、食卓を囲う。
母さんがいた時は騒がしいと思っていたが、実際にいなくなると少しだけ寂しいと感じる。
「お義母さんに少し料理を教えてもらったの。あのさ、明日司君のお弁当、私が作ってもいいかな?」
「ん? 自分の分は作らないのか?」
「だって、二人で同じお弁当だったらおかしいでしょ?」
確かに。まったく別の家で作られた弁当が、まったく同じ内容だったら……。
そんな奇跡みたいなことがあるはずがない。きっと、高山は気が付く。
「そうだな、二人で同じ弁当はまずいな」
「私はいつもと同じにするから、司君の分だけでいいかな?」
「大変じゃないか?」
「そんな事無い! 彩音だってできた事。私にもできます!」
何か怒っている。別に怒らなくてもいいだろ。
「ま、任せるよ。あと、朝のジョギングはテスト終わるまで無しでいいかな? 朝も少し勉強しておきたいから」
「それでいいと思いますよ。私もお弁当作るのに二、三時間はかかると思いますので」
そんなにかかるか? 弁当一個に三時間はかからないよな?
「俺も手伝うか?」
「大丈夫です。一人でできますから」
そんな会話をしながら、夜も更けそろそろ寝る時間になる。
俺も杏里も風呂を上がり、ソファーでくつろいでいる。
「司君の髪、毎日私が乾かしてもいいですか?」
隣に座っている杏里が俺に声をかけてくる。
「ん? 別にいいけどなんで?」
「特に深い意味はありません。私がしたいだけですから」
ニコニコしながら杏里はドライヤーを持って来る。
そして、俺の髪をいい感じに乾かしてくれる。
これが何気に気持ちいんだよね。病み付きになりそうです。
「ありがとう。すっかり乾いたよ」
「いえいえ、どういたしまして。明日も、私が乾かしますからね」
なぜ、そこまで執着する? 俺の髪に何かあるのか?
も、もしかしてハゲそうとか……。いや、父さんはフサフサだし、じーちゃんもフサフサだった。
きっと、俺は大丈夫。きっとフサフサな大人にはるはずだ。
時計を見るとそろそろ日付が変わる。
帰ってからも勉強を二人でしていたので、すっかりと遅くなってしまった。
杏里も髪を乾かしたようで、俺達は寝ることにする。
「じゃ、俺は寝るな。明日はいつもの時間で」
「うん、わかった。おやすみ」
杏里が一人、二階に駆け上がっていく。
良かった、さっきの件もあり、もう少し情緒不安定になるかと思った。
肉まんが良かったのかな?
電気を消し、布団にもぐりこむ。
さて、テストも近い。映画にもみんなで行くと言ってしまった。
ここからが勝負の時だ。頑張らないと……。
ウトウトしていると、部屋の扉の開く音が聞こえる。
薄暗い部屋の中、扉の方に見てみると、そこには枕を持った杏里が立っていた。
そして、表情がさっきと同じように、暗くなっている。
「どうした? 何かあったのか?」
無言で杏里は俺の隣まで歩いてきた。
「一緒に寝てもいいかな……」
その答えが出るまで、数秒もかからなかった。
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