第82話 乱れる心
駅で高山と別れ三十分。構内で杏里を待っているが未だに来ない。
おかしい。絶対にここを通るはずなので、入れ違いになるはずがない。
先に帰ったのかとも思ったが、何となく駅から出て杏里を探してみる。
するとあのベンチに杏里が一人座っているのが見えた。
バッグを横に置き、地面を見つめている杏里。
気になって俺は杏里の目の前まで歩み寄る。
地面には水が落ちたような跡が何か所もあった。
「杏里、こんな時間まで何してるんだ? 早く帰ろう」
顔を上げ、瞼に涙を浮かべながら、今にも泣き出しそうな顔で答える。
「司君? ごめんね、心配かけちゃったね。でも、司君には関係の無い事なの……」
「そっか。それで、何があったんだ?」
俺は杏里の隣に座り込み、話を聞いてみることにする。
恐らく自習室で話していたことに関係があると思ったからだ。
「何でもないの。私の、私が勝手に考えてしまっているだけだら」
「そんなこと言うなよ。杏里も言っていただろ? 『一緒に同じものを共有したい』って。杏里が悲しんでいたりしたら、俺にも共有させてほしいんだ」
そっと杏里の手のひらの上に俺の手を乗せる。
詳しくは分からない。でも、こんな所で一人涙を出すなんて、よっぽどの事があったに違いない。
「いいの? 私の事嫌いにならない?」
「心配するな」
杏里が俺の手を握ってくる。
その手はいつもなら温かみがあるはずなのに、今は心なしか冷たい。
きっと、杏里の心が冷たくなっているからかもしれないな。
「彩音はね、司君の幼馴染の彩音だったの。さっき写真を見せて、確認したから間違ない。でもね、彩音も司君の事覚えてないの、多分だけど。それでね、その時私、心の中で喜んでしまったの。彩音が司君の事覚えていないって言った時、私はそれを喜んだの……」
杏里の瞼から大きな涙が零れ落ちる。
それは、止まることなく、頬から顎に、そして地面に吸い込まれていく。
「私は心の狭い、ひどい女なの。友達の思い出が無くて、司君を覚えて居なくて喜んだ、ひどい女なんだ!」
両手で顔を押さえた杏里。
俺は、どう答えればいいんだ? どう声をかけてやればいいんだ?
「杏里、そんな事無いよ。ただ、昔の事は覚えてないから、俺も杉本さんも特に気にしてないだろ?」
「違うの! そうじゃないんだよ。彩音と司君が幼馴染で、本当はそこに私が入っちゃいけないと思ったの。でも、私は司君と一緒にいたいの。彩音を、私は彩音を裏切ったんだよ……」
「そんな事無い。昔、俺と杉本さんの間に何かあったとしても、それはもう過去の事だ。今は、俺と杏里、二人でここに居るだろ? 今を見ろよ」
「でも、彩音はきっと思いだす。このまま同じ時間を司君と一緒の時間を過ごしたら、きっと思い出すよ。その時、私は、どうしたらいいの? 帰る場所が、また無くなってしまうの? そんなの嫌だよ……」
杏里の涙は止まらない。よっぽど衝撃的だったのだろう。
俺も、まさか杉本が同一人物だとは夢にも思っていなかった。
母さんの話を聞かなければ、きっと一生知らずに済んだだろう。
でも、俺は後悔していない。
あの日、あの夜に母さんから聞いた話。
そして、杏里に公園で想いを伝えた事、俺は後悔なんてしていない。
「思いだしたらその時はその時。でもな、聞いてくれ。たとえ杉本が思いだしても、俺の想いは変わらない。心配するな。ほら、もう帰ろう」
俺は立ち上がり、杏里の手を取って立ち上がらせる。
そして杏里のバッグを肩にかけ、改札口に向かって帰ろうとする。
が、杏里はベンチの前から動こうとしない。
「ほら、帰ろうぜ」
涙目の杏里が俺の目を見てくる。
頬には涙の流れた後。少し髪も乱れている。
「不安なの。司君と離れるんじゃないかと思うと、ものすごい不安なの……」
俺はバッグをベンチに戻し、杏里の目の前に立つ。
そして、両手でしっかりと杏里を抱きしめ、背中をポンポンと、優しくたたいてやる。
「心配するな。俺はずっと杏里の側にいる。公園でもそう話しただろ? だから心配するな」
俺の胸の中で杏里はうなずく。
「ずっと、そばにいてね……」
どうやら少しは落ち着いたようだ。
しかし、杏里は心が少し不安定になっているのか?
この先、杉本とうまくやっていけるのだろうか?
恐らく大丈夫だろう。もう少し時間が経てば、いつも通りになるはず。
さて、杏里も落ち着いたし、そろそろ帰ろうか。
杏里を抱きしめながら、視線を駅の方に向ける。
少し離れた所にうちの生徒が見えた。この時間に珍しいな。
そして、その次の瞬間、俺の心臓は止まるかと思った。
その生徒は杉本彩音。
なぜこんな時間まで? そうか、俺達よりも遅くに帰ったからか!
しまった! うかつだった!
遠くの方からこっちを見ている杉本。
恐らく俺の事は遠目からでも分かるだろう。
杏里はどうだ? 俺の腕に隠れて、杏里とは認識されていないか?
いや、さっきまで一緒だったんだ。ばれたと思っても間違いはない。
まずい、やってしまった。
そんな事を考えていると、杉本は駆け足で駅の方に向かって走って行ってしまった。
杏里は気が付いていない。
恐らく俺と杉本だけがこの場で互いに認識したと思う。
どうする? どうやって誤解を解く?
ん? 誤解とがじゃないだろ?
俺と杏里は付き合っているんだ。そのまま普通に『付き合ってます!』って、言って終わりじゃ?
そんな簡単にはいかないか……。
もし、今夜杉本からメッセが来たら杏里に相談しよう。
きっと、これからの学校生活を考えても、互いに話をしなければならないはずだ……。
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