第76話 二人で作っていく道の先

「じゃ、二人とも怪我とか病気しないようにねっ! たまに様子見に来るからっ!」


 帰り支度をした母さんはさっきの段ボールから何かを持ち出し、バッグに入れていた。

何だったんだろう? まぁ、言われないと言う事は大したことじゃないな。


「あぁ、母さんも気を付けてな。父さんによろしく」


「お義母さん、色々とありがとうございました。また、お料理教えてくださいね」


 杏里と母さんはなぜか抱き合っている。

そんな悲しい別れじゃないだろ? 会おうと思えばいつでも会える距離ですよ?


「あ、忘れてた。杏里ちゃん、もし襲われたらコレを……」


 母さんが杏里に何かを渡した。

え? コンパクトサイズの缶には『激辛催涙スプレー』と書かれている。


「つ、司君は襲ったりしませんっ!」


 姫川が母さんに突っ返そうとする。

が、母さんは受け取らない。


「え? 司にじゃないよ? 帰り道とか一人の時に襲われたらって意味だよ? もしかして、司に襲われた?」


「するかっ! 早く帰れ! 父さんが家で待ってるんだろ?」


「はいはい。龍一さんが家で待ってるからねー。帰りますよっ。ではではー」


 嵐のように帰っていく母さん。

玄関は一気に静かになり、俺と杏里はホールに二人で立っている。


「大丈夫。司君にこれは使わないよ」


「あぁ、絶対に使わないでくれ」


 二人で母さんに渡されたスプレーを眺め、静かになったリビングへ戻る。

あ、杏里と二人きり。母さんもいない。杏里と二人っきりだ。

俺はとりあえずソファーの左側に座る。

ど、どうすればいいんだ? 『隣に座って』とかいえばいいのか?

そして、肩でもよせればいいのかな? 心拍数がどんどん高くなってくる。


 そんな事を考えていると、自然と俺の隣に杏里が座ってくる。

お、俺の考えと同じなんだな。よ、よし、俺達は恋人同士。

ある意味、なんでもありですよねっ!


「つ、司君……」


「な、何だい? 杏里」


 あぁ! 言葉使いがちょっとおかしいです!

落ち着け、これは初夜だ。って、違う。初めての二人きりの夜。

あー、確かに合っているが、ちょっと違う!


 一人モンモンしていると杏里が俺の方を見てくる。

その目は真剣そのもの。な、何か言われるのかな?


「今夜はまだ時間あるよね? 寝るのが少し遅くてもいいよね?」



――ドクン


 ついに来たか。俺はもう鈍感男ではない。

やる時はやる男だ。っしゃー! 


 ツカサ、いきまーす!

父さん、母さん、俺は旅立ちます。

雄三さん、後で説明に行きますからっ!


「あぁ、大丈夫だ。今夜はいくら遅くなっても問題ない。朝まででもいける」


「そう、良かった。じゃぁ、ちょっと待っててね」


 ソファーから席を離れ、階段を上がっていく音が聞こえる。

何だ? 何か持ってくるのか? それとも着替え?


 俺は今、心拍数がこれまでに無いくらい高くなっている。

落ち着け。いいか、ここは俺がリードしなければならない。

男らしい所を魅せなければ……。


 人と言う字を三回書いて、飲み込むっ!

よし、準備オッケー! いつでもこいやぁー!


「お待たせ……」


 いつもより、声が小さい。緊張しているのか?

杏里を見ると手には筆記用具。そして、ノートと参考書。


「そ、それは?」


「追加の勉強道具。さ、朝までいけるんだよね、私も付き合うよっ! 一緒に映画行こうねっ」


 笑顔で俺に話しかけてくる姫川。

一人盛り上がっていた俺。男はどうしても、ね……。


「そうだな、映画見に行きたいもんなっ」


 こうして今夜も遅い時間までリビングに明かりが灯り、二人の勉強会が開かれるのであった。

杏里と一緒に過ごす時間はなにより大切だよ。


 映画、いけるといいな……。


――


「おっはよう。司君、朝だよ?」


 アラームの代わりに杏里が俺を起こしに来る。

昨日は二人とも自室で寝ることになった。


 さすがに一緒に寝るのはまだ早いと言うか、何というか。

どっちが先に話をしたかは定かではないが、自然と別々に寝ることになった。


 睡眠不足はお肌の敵です。一緒に寝たら毎日睡眠不足ですから!

その代りに、毎日杏里が俺を起こす事になり、朝の準備を二人ですることになった。

まぁ、付き合っていると言ってもいつもと同じ朝だし、いつもと同じ過ごし方だな。


 え? 付き合っているのにいつもと同じとか、おかしくないか?

それともそんなものなのか?

朝食を一緒に取りながら、その件について考え始める。


「司君、何考えているの?」


 うーん、どう話すべきか?


「いや、俺達、つ、付き合ってるん、だよ、な?」


 無言で頷く杏里。どうやら昨日の事は夢ではない。

現実だったようだ。その証拠に、朝から杏里の顔が赤くなっている。


「そ、そうだよ。私と司君は、こ、恋人に、なった、の……」


 パンを口に運びながら杏里は小声で話す。


「そう、だよな……。あ、朝一緒に登校とかする?」


「出来れば一緒に行きたいね。そうだ、電車降りるまでは一緒に行こうよ」


 そうだな、学校のある駅からは生徒も増えてくるが、電車を降りるまでは二人でいても問題ないだろう。

と、いうか学校の奴らには説明した方がいいのか?

いや、しなくていいだろう。する必要も義務もないし……。

このまま、何事もなく学校生活を送る為にも、秘密にしてしまおう。


「そうだな、一緒に行こうか」


「うんっ」


 笑顔で答える杏里が可愛い。

頬に少しジャムが着いている所とか、その仕草とか。

俺は手を伸ばし、杏里の頬に着いたジャムを指でとって自分の口に運ぶ。


 今までの俺ならジャムをスルーしていただろう。

俺はレベルアップしたのだ。この位では動揺しない。

いや、レベルアップではないな、彼女ができたのだ。

ジョブチェンジの方がしっくりくる。俺は杏里のナイトになったのだ。


「司君、結構大胆なんだね」


「そうか? 普通だよ、普通」


 杏里の頬が少し赤い。っふ、俺の方が少し大人だな。

食事も終わり、二人で登校するのに玄関へ向かう。

制服よーし、バッグよーし、忘れ物なーし。


「よし、行くか」


「行きますか」


 二人で外に出て、玄関の鍵をかける。

そして、振り返った瞬間、杏里の唇が俺の頬に触れる。


「さっきのお返し!」


 杏里はそのまま道路に飛び出て、走って駅の方面に向かってしまった。


「ちょ! 杏里! 待てよっ!」


 俺も杏里を追いかけ走り出す。


 俺達の今日が始まる。

昨日とは違う二人のスタートだ。


 昨日までの俺達はいない。

今日から新しい俺達が始まるんだ。

これから俺と杏里と二人で道を作って、進んでいこう。


「司君、早く! 遅れるよ!」


「待てよ! ほら、捕まえたっ!」


 杏里の手を取り、二人並んで歩く。

その道はこれからも続き、その先には何があるのだろうか?


 一人の道ではない。

俺と杏里。二人で作っていく道の先に幸せはあるのだろうか?


 いや、幸せでなけれはならない。

幸せにしてやらなければならない。

自分の為ではない、たった一人の惚れた女の為に。

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