第71話 初恋の相手
俺の初恋? いったい何時の話だ?
しかも、少し眠たそうにしていた姫川も覚醒している。
「母さん、俺の初恋っていつの話だ?」
俺には全く記憶が無い。一番古い記憶は幼稚園の年長、五歳くらいの時からの記憶しかない。
五歳以降、俺には初恋と呼べる記憶が全くないのだ。という事は、それ以前のお話ですかね?
「司が幼稚園、年少だった頃だねっ」
「全く記憶が無いんですけど?」
俺の覚えている範囲よりもさらに昔の話。
写真は多少残っており、見れば自分だとわかるがその時の記憶はない。
「私は三歳の時の記憶もあるけど、子供の頃の記憶って人それぞれですから、覚えていなくても普通ですよ」
何気にフォローしてくれる姫川。
でも、姫川は三歳の頃の記憶があるのか。
「司がね、生まれてから年少まではこの下宿に住んでいたんだ」
昔の写真を見ると、この下宿で撮影されたと思われる写真が多かったのはそのせいか。
自分の記憶では、中学まで住んでいた家がもともと住んでいた家だと思っていたよ。
そうか、俺は昔この下宿に住んでいたんだ……。
「結婚してから龍一さんの実家には行かなかったんですか?」
「んー、龍一さんが自分の実家よりもこの下宿がいいって言ってくれてさ。私も子供が生まれる時は自分の母がそばに居てくれた方が安心するしね。それに、本当の家族以外の家族も沢山いたしさっ」
付き合って、結婚して、そのまま俺が生まれて、それをここに住んでいた人たちに見守られていたんだ。
だからばーちゃんの葬式の時も、来てくれた人たちが俺の事を気にしてくれていたんだな。
ばーちゃんだけじゃなく、父さんも、母さんも、そして俺もみんな家族だったんだ……。
「それで、司君の初恋ってその時の幼稚園の子ですか?」
「そ、杏里ちゃん当たり。司はいっつもその子と一緒にいてさ、ずっとべったりだったんだよね」
「そんなにべったりだったんですか?」
「お迎えの時とかもさ、二人で手を繋いでニコニコしてさ、ちょっと気になって『あやねちゃんの事好きなの?』って聞いたら、『うん!』って、あの時の司も可愛かったなぁー」
あやねちゃん? 全く記憶にございませんね。
顔も名前もまったく一致しない。仮に過去の写真を見ても誰だかわからないだろう。
「あ、あやねちゃんですか? 苗字は?」
「んー、何だったかな。杉浦? いや、杉山? ごめん、そこまでは覚えてないや。あの頃のアルバムとか名簿を見れば思い出すと思うよ」
「明日の朝、一緒に見ませんか? 司君の写真も見たいし、そのあやねちゃんの写真も見てみたいので」
「いいよー。今日整理したからすぐに出てくると思うよ」
「では、お願いしますね、お義母さん……」
姫川はなぜか真剣にお願いしている。そんなに写真が見たいのか?
まぁ、俺の写真もやると姫川に言っていたし、ちょうどいいか。俺の手間が省ける。
「でもね、司が年中になるタイミングで今の家に引っ越したんだよね。園でしてもらったお別れ会でも、二人で抱き合って号泣でさ。今頃あやねちゃんはどこで、何をしているのかなー」
そんな話を片耳に、俺の記憶が全くない話が飛び交う。
とりあえず、明日の朝写真を引っ張り出してみてみようか。
段々俺も眠くなってきた。
「母さん、俺の記憶にない話が飛んでいるが、そろそろ寝るよ。さすがに眠い」
「そっか、では寝ますか。杏里ちゃんもいい? もっと話す? 次は杏里ちゃんの初恋の話だけど?」
「それでは、夜も更けてきましたので私も寝ますね。夜更かしはお肌に悪いので。おやすみなさい!」
あっー! 俺だけ暴露されて、姫川の話は無しですか!
勝ち逃げされた気分だな。
「残念っ。じゃ、おやすみぃー」
こうして、俺の話だけ暴露され三人で布団にもぐりこみ静かに夜は更けていった。
俺、いびきとかかかないよな? 大丈夫だよね?
――
い、今何時だ?
いつの間にか寝に入っていたようで、薄目を開けて確認するが、部屋はまだ暗い。
枕元に置いておいたスマホを見ると、まだ三時半。変な時間に目が覚めてしまった。
眠りが浅かったのか……。
まだ朝まで時間がある。もう一眠りしよう。
横を向き、再び寝に入る為目を閉じる。隣からは二人分の寝息が聞こえてくる。
どうやら熟睡しているようだ。
再び夢の世界へ入ろうとしていると、誰かがベッドから抜け出し、部屋を出ていく。
母さんか姫川か。こんな時間にどうしたんだ? トイレか?
まぁいいや。朝まで時間はまだある、ここでしっかりと睡眠をとらなければ、お肌に悪い。
ウトウトしていると背中に何かが当たってきた。
しかも、俺を抱えるように抱き着いてくる。
な、何だ? 寝ぼけているのか?
そんな力いっぱい抱き着かれても、ちょ、苦しい……。
母さんか? 姫川か? ここは振りほどき、元の位置に戻すべきか。
それとも、寝ているからそのままにしておくべきか……
……せ、背中に何か柔らかい、何かが当たっている。
多分、あれだ。勘違いかもしれないが、きっと俺の背中にあれが当たっている。
ど、どうしましょう。このまま何もせず、朝まで寝てしまった方が無難か?
よ、良し、そうしよう。このまま寝てしまって、明日の朝に二人に確認しよう。
よし、寝るぞ! えっと、早く寝るためには羊を数えるか。
羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が――。
寝れない。そもそも、日本語で羊を数えてはいけないと何かで見た記憶がある。
よし、次! 円周率だ。えっと、円周率はパイ。……パイ?
パイって! ダメだぁー! 円周率無し! は、早く寝ないと、早く!
無心だ、無心になって心を空っぽにするんだ!
そして、全神経を背中に集中って! 違う! そうじゃない!
落ち着け、これは母さんだ。姫川ではない。
もし、姫川だったら大変危険だ。
一つの布団で抱き着きながら寝ているとか、非常にまずい!
そんな事が雄三さんの耳に入ったらきっと『ふんっ、お前には娘を任せることはできない。ほら見ろ、言った通りじゃないかっ!』とか言われそう。
そんな事を考えているとさっき出て行った誰かが戻ってきた。
そして、そのまま布団に入り、再び寝に入ったようだ。
布団に入った場所は俺と反対側。
と言う事は、さっき出て行ったのは姫川で、俺に抱き着いているのは母さんで間違いない!
よっしゃ! 雄三さんの思惑通りにはならないっ! これで安心して寝ることができる。
何だ、母さんもまだまだ子供だな。
でも、俺が子供の頃もこんな感じで一緒に寝てくれていたのかな。
そんな子離れできない母さんに抱き着かれながら、俺は再び夢の世界に旅立って行く。
母さんの温かいぬくもりを感じながら……。
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