第70話 母さんの昔話

 俺達は三人でベッドに入り、川の字になって寝ている。

そして、天井にぼんやりと光る常夜灯を見ながら、隣で俺と同じように天井を見ている母さんが話し始めた。


 まだ、俺が生まれる前の話だ。

母さんと父さんがどのように出会い、どう付き合い始め、結婚までしたのか。

今まで聞いたこともなかったし、聞こうとも思わなかった。

しかし、良い機会だ。少しだけ母さんの話に付き合ってみよう。


「えっと、私がまだ高校生の頃の話ね。龍一(りゅういち)さんと出会ったのは、この下宿だったの――」


 話し始めた母さんの昔話。その話は実際に母さんが経験した話で、もちろん本当の話だろう。

多分盛っていないと思う。


 昔、まだ母さんがこの下宿に住んでいた頃に父さんと出会った。

この下宿で世話になっていた大学生が父さんだったようだ。


「龍一さんは口数も少ないし、あの見た目でしょ? 結構他の下宿生と溝があってさ」


 まぁ、何となくわかります。普通に見たら怖いし、本人は微笑んでいると思ってもその浮かび上がる笑みは悪魔の微笑みだ。

なんだ、今も昔も変わらないじゃないか。


「高校の時に学校から帰るのが遅くなった日があったの。それでね、その帰り道に不良に声かけられてて困っていたら、龍一さんが助けに来てくれたんだっ」


 うす暗い部屋の中でひたすら昔話をしている母さん。

俺の目には見えないが、きっとその顔は笑顔なのだろう。声のトーンもだんだんと高くなっている気がする。


「龍一さんったらその時に、なんて声をかけたと思う? 『悪い。俺の連れなんだ。迎えに来たが、お前たちは誰だ?』だって。今考えると恥ずかしいセリフだよねっ」


 どこかで聞いたことのあるようなセリフ。

俺の鼓動はさっきよりも少しだけ早くなった気がする。


「そして、私の腕をつかんで、そのまま不良達の前から連れ去ってくれたの。今考えても、その時に恋をしたんだと思うんだよね」


 それから母さんは、父さんに心の内を開けることなく高校卒業までずっと想いを伝えなかった。

その間には母さんも父さんも恋人を作らなかったんだと。


「私がさっ、何度も何度もモーションをかけたのに、まったく気が付かないし、答えてくれないしっ! 本当に鈍感と言うか、鈍いと言うか……。でも、きっと龍一さんも私の事を気にしていたんだと思うんだよね。自分では言わないし、そんな態度見せないけど、いつでもそばにいてくれて、助けてくれて……」


 なんだ、父さんも随分と鈍感なんだな。普通だったら気が付くだろ? 自分が気にしている女の子がモーションをかけているんだぞ?


「私から腕組んでみたり、後ろから抱き着いてみたり、一緒にお祭りや映画、遊園地にも行ったのに、まったく付き合うとか告白してくるとか無かったんだよね。もし、昔に戻れるんだったら私から告白して、もっと高校時代を楽しむのに!」


 同じ屋根の下で何年もずっとお互いに想いをよせて、付き合わなく、その後に付き合うとか。

あれ? どこかで聞いたことがあるような話……。あっ、あの映画と同じじゃないか?

細かいところまでは覚えていないが、雑誌を見た時はそんな感じの映画だった気がする。

もしかして、映画の主人公も父さんと同じように、ヒロインとすれ違っていたのか?


「でね、卒業式の日に花束を渡してきて『結婚を前提にお付き合いしまちぇんか?』だって! ここぞっていう時に噛んだんだよ! 私も嬉しかったけど、それ以上に面白くてさ、その場で大爆笑しちゃった!」


 何となく、その光景が目に浮かぶ。あの強面の父さんが、そんなシーンで噛んだら、きっと俺も大爆笑するだろう。

でも、本人はきっと大真面目なんだよな。


「大笑いした後に『遅い! 遅すぎる! 本気だったら今ここでキスして』って言ったの。そしたら龍一さんは何も言わないで、そっとキスしてくれたんだよっ! 今でもその時の事は鮮明に覚えているよ……」


 シンミリとした恋の話ではなく、父さんをネタにした笑い話になっていないか?

でも、最後は決めたんだな。戸惑うことなく、自分の想いを伝えたんだ……。


「あ、あの……。龍一さんと腕を組んだり、抱き着いたりとか、恥ずかしく無かったんですか? まだお付き合いしていないんですよね?」


 お、まだ姫川は起きている。さっきからずっと無言だったから、てっきり寝ているもんだと思った。

まぁ、俺も聞き手に回っていて、ほとんど発言していないけどな。


「それは結構恥ずかしいよ。でも、自然と体が動いたんだよね。今ならいけるっ! って。でも、こっちの想いにも気が付かないとか、あんまりだよね?」


「そうですね。あんまりですね。ひどいですね。多分、男として最悪だと思います」


 ず、随分毒を吐く姫川。普段の言葉使いからは想像できない毒が吐き出されている。


「と、父さんにも何か理由があったんだよ。母さん、高校生だったんだろ? ほら、年齢差とかあるじゃん」


「私が十六の時に龍一さんは十八で大学生だったから、そこまで離れていないよ? 多分、下宿先の娘と関係を持ちたくなかったんじゃないかな? 他の住人との関係もあるし」


「そっか。その時はまだ他にも住んでいる人がいたんだね」


「まぁ住んではいたけど、私が龍一さんにお熱なのはみんな知っていたし。私の母も父も含めて」


 何だそりゃ。父さん以外が全員知っている状態だったのか。

でも、その場合父さんの耳にも入るんじゃないか? 母さんが父さんに想いを寄せているって。


「そんな状況でも、龍一さんはお義母さんに想いを伝えなかったんですか?」


「そうだねー。自分の中でルールでもあったんだろうね。でも、私はもっと早くお付き合いして、もっと楽しい青春時代を過ごしたかったのぉ!」


 早ければ良いと言う訳でもない。遅ければ良いという訳でもない。

ただ、過ぎた時間は戻ってこないという現実がある。


 それは俺も姫川も同じ。同じ時間を過ごしている。

過ぎ去った時間は戻ってこない。そう、戻ってこないんだ……。


「司。あんたも龍一さんと同じようにかなり鈍感なんだから、ちゃんと相手の子の想いを感じ取るんだよ」


「ん? 俺か? 俺はたぶん大丈夫だ。絶対に気が付く」


 おや? なぜか空気が重たくなった気がした。

俺の発言に何か問題でもあったのか?


「司君……。その言葉、信じていいの?」


「あぁ、大丈夫だ。俺は父さんより鈍感じゃない」


 と、思います。多分……。


「その言葉、信じるよ。私は信じる……」


 姫川の声が、少しかすれてきている。

もしかして、眠いのか?


「杏里ちゃん、もう眠いの? そろそろ寝る?」


「少し、眠くなりました……」


「そっか。じゃぁ、今日はここまでかな。次は、司の初恋についてのトークだったのにっ! 残念!」


 ちょ、何だそれは。俺の初恋のトークとか。

誰だ? 俺の初恋って誰だっけ? 


「お義母さん。夜はこれからですよ。次は、司君の恋話ですねっ」


 おーい、姫川さん? 今さっき眠いって言いませんでしたか?


「杏里ちゃんも好きだねっ。よし、じゃぁ司の初恋はね――」


 本人の意思も確認しないで話を進めないでっ!

こうして川の字になっている俺達のトークは深夜まで続いていくのであった……

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