第68話 気づいてしまった自分の気持ち

 バイトも終わり、二人でいつもの駅に着く。

改札口を出て、帰り道でも俺達は二人並んで歩いている。


 街灯も灯りが点き始め、商店街で行き交う人もそれなりにいるが、皆それぞれ目的があるのだろう。

俺達が二人並んで歩いていても特に変な視線を貰ったり、声をかけられることはなかった。


 流石に電車の中ではと思ったが、あれからずっと姫川に手を握られている。

電車を降りても、そのまま改札口を出てからもそれは絶賛継続中。


「な、なぁ……。あ、杏里? いつまで手を握っているんだ?」


 姫川は無言で俺の方を見てくる。

その笑顔は、優しく、聞いた俺の方がダメみたいに感じてしまう。


「……帰るまで」


 って、この状態で商店街を切り抜けるとな?

運悪く八百屋のオッチャンとかにでも見られた日には、翌日の話題になってしまいます。

ある意味商店街トップニュースとなり、堂々とその表紙を飾ってしまう。

そして、きっとその事は母さんの耳にも入る……。


「しょ、商店街じゃなくて裏道で帰らないか?」


「裏道の方が人が少ないし、商店街よりも暗いけどいいの?」


 ……どっちもまずい選択じゃないですか?

手を離すという選択肢はどうやらないらしい。


 商店街を抜けるか、薄暗い裏道を行くか。

二者択一。よし、噂になるくらいなら裏道を行こう。


「杏里、裏道だ。裏道で帰るぞ」


 無言でうなずく姫川は、俺に手を引かれ一本裏の道へと向かう。

商店街と比べ、街灯も少なく通行人も少ない。

このまま誰にも会わないように帰る事が出来れば、ミッション達成だ。


 しばらく歩くと、普通に手を握っていた姫川が、手のつなぎ方を変えてきた。

俗にいう恋人つなぎだ。指と指と絡ませるあれですね。


「なっ……」


 姫川の方に目線を向けると、姫川は地面を見ながら歩いている。

空が赤みを帯び、遠くの空が真っ赤に染まっている。

それと同じように、姫川の顔も赤い。薄暗いこの道でも分かるくらいにだ。


 ここで変に声をかけない方がいいかと思い、俺は話しかけた口を閉ざす。

ここ最近色々あって、姫川も不安なのか。もう少し、このままでもいいかな……。


 俺達は空の赤みが無くなり、星が輝き始める時間まで、ゆっくりと歩いている。

いつもよりも、ゆっくりと、その時間が名残惜しいと感じるように。




――



 自宅に帰ると、いい匂いが玄関まで漂ってきている。

きっと母さんが夕飯の準備をしているに違いない。


「ただいま」


 俺だけ元気に声を出すが、姫川は沈黙したままだ。

玄関に入って、やっと俺の手が姫川から解放された。

恐らく人生の中で最長記録となるだろう。こんなに長い時間手をつないだことは無い。


 ……。姫川と手を繋いで帰ってきた。手を繋いで帰ってきた。

ずっとつないだままで。その手には、まだかすかに温かみが残っている……。


 振り返ったら急に恥ずかしくなってきた。

やばい、顔に出てしまう。いいか、落ち着くんだ。

きっと母さんは勘が鋭いから気が付く可能性が高い。


 クールにいこう。いつもと同じように、クールに。

手のひらに『人』と言う字を三回書いて、飲み込む! よし、いける!


 いいか『人』と言う字はな、お互いに助け合って!

って、何故ここで担任のセリフが! ふぅ、先生ありがとう。

少し落ち着きました。


 玄関で靴を脱いでいると台所から母さんが走り寄ってきた。


「お帰りー。ご飯にする? お風呂に入る? それとも、もう寝る?」


 いやいや、この時間で寝る高校生はいないだろ?

そもそも、その発言自体何か変じゃないか?


「寝るはずないだろ。と、とりあえず、腹減った」


「はいはい、じゃぁご飯が先かな。ん? 杏里ちゃんどうしたの? 熱もである?」


「ね、熱はありません。体調も悪くありません。ただ胸が……」


 姫川は自身の胸を少し苦しそうに押さえている。


「だ、大丈夫? 苦しいの? 病院に行く?」


「だ、大丈夫です! 病院には行きません、行っても治りませんから……」


 母さんが、姫川のおでこに自分のおでこをつけ、姫川の胸に自分の手を当てる。

それを見た俺は、もし姫川の母さんがこの場にいたら、もしかして同じように心配するんじゃないかと思った。


「熱はなさそうだね。少し休むかい?」


「はい……。着替えたら、少し休みます」


 姫川はそのまま階段をあがり、自室に戻っていった。

少しだけいつもよりふらついている気がする。

疲れたのか? 少しだけ心配だな。


 そんな姫川を階段下まで見送り、俺もラフな格好へと着替える。


「司。今日杏里ちゃんに何かあったの? 今朝と随分様子が違うけど……」


 心当たりはある。それも多数。あれなのか、これなのか……。

でも、母さんにはそのまま伝える事は出来ない。


「多分バイトで疲れたんじゃ? 俺が怪我しているから姫川の負担が少し増えたと思うし」


「あんた、もっとしっかりしないとダメだよ。そんなんじゃ杏里ちゃんに逃げられちゃうだろ?」


 姫川が逃げる? この下宿から出ていくと言う事か?

それはまずい。色々な意味でまずい。


「わ、悪かったよ。明日は大丈夫。多分……」


 しばらくすると着替え終わった姫川がリビングに来る。

さっきと違って顔色もいつもと同じになっており、元気そうだ。


「杏里、大丈夫か? 体調良くないんだったら、今日は早めに休むか?」


「心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」


 笑顔で答えてくる姫川。


「ふーん……、そんな感じなんだ。よし、ご飯にしようか? 杏里ちゃんも一緒に準備するかい?」


「はい、私もお手伝いしますね。お腹がすきましたっ」


 さっきよりも随分元気になったようだ。一人離れ、ソファーから二人を遠目で見ている。

三人で食べる食事はいつもより騒がしく感じるが、それが居心地良いと感じている俺がいる。


 一人の時はそれで良いと思った。

学校でも一人で過ごす時間が多く、それで良いと思った。

いつでも一人でいる時間が多く、それが当たり前だと思った。


 でも、姫川と一緒に食事の準備をしたり、出かけたり。

今この瞬間、俺の中に今までになかった感情が芽生えていると自覚してしまう。

薄々感じてはいたが、自分の中で濁して、先送りにしていた。

だが、自覚してしまった。もう、後には戻れない。


 俺は――

姫川と一緒にご飯を食べたい。

姫川と一緒に勉強がしたい。

姫川と一緒に登校したい。

姫川と一緒に買い物に行きたい。

姫川と同じ時間を共有したい。


 そして―― 

姫川とずっと、共に過し、同じ道を並んで歩いて行きたい。


 これが俺の今の気持ち、本音だ。だが、言葉にはできない。

姫川は俺の事をどう思っている? ただの管理人か? クラスメイトか? それとも、都合の良い友人か? 


 姫川はたまたま理由があって、ここに居るだけだ。俺の為にいる訳ではない。自分の為にここに居るだけだ。

そんな中で、俺が想いを伝えて拒否されたら、きっと俺は今までと同じように過ごす事が出来ない。

そして、姫川も下宿からいなくなるだろう。互いにメリットが無い。

俺のわがままで、姫川を路頭に迷わせるわけにはいかない。


 今はまだ自分の胸にしまっておこう。

いつか、俺が姫川に話せる日が来るまで。

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