第32話 一人の夜


――ガチャ


「戻りました」


 今井さんを送って行った姫川が戻ってきた。


「お帰り。今井さんは?」


 席に座った姫川に俺は問いかける。


「タクシーを呼んで、玄関先で一言交わして帰られました」


「そっか。ところで父さんはこの後どうするんだ?」


「私か? この後姫川さんの所に挨拶に行って、自宅に戻る。明日も仕事なんだ。お前が思っているよりも私は忙しいのだよ?」


「そっか」


 姫川の方に目線を向けると、さっき貰った紙を見ながら何か考え込んでいる。


「天童さん、お願いがあります」


「ん? 私にかい?」


 姫川が父さんに向かって話しかけた。

会ってすぐにお願いとか、俺の父さんにお願いする事なんかあるのか?


「今から、父に連絡を入れます。もしできたら、私と一緒に自宅に行ってもらえないでしょうか?」


 これから姫川の自宅に向かうと言った父さん、そして一緒に自宅に行きたいと話す姫川。


「私は別にかまわないが? でも、どうして急に?」


「一度父としっかりと話をしたいのと、引っ越しの準備とか色々あるので。今からだと時間も遅くなってしまうし、でも、早めに行動したいんです」


 俺は姫川の行動力にあっけに取られながら、その話を聞いていた。

いままで受け身だった姫川からすれば、随分積極的になってきたと思う。


「そうか、姫川さんが特に問題なければ、私は構わないが」


「ありがとうございます。では、ちょっと、連絡を入れてきますね」


 そう言った姫川は再び席を外し、部屋から出て行った。


「しっかりした子じゃないか。司も見習わないとな」


「ああ、わかった、わかった」


 俺は適当な相槌を打ち、テーブルに乗ったカップと茶うけを台所に片付け始めた。

カップを洗っていると、椅子が動く音がした。

気になって後ろを振り返ると父さんがジャケットを羽織り、帰り支度を始めている。


「もう出るのか?」


「お嬢さんを預かるんだ。少しでも早い方がいいだろ」


「まぁ、遅くなるよりはいいと思うけど」


 席を立った父さんは俺の隣にやってくる。

俺の肩に手を置き、俺の方に目線を向ける。


「司。しっかりとな」


「大丈夫だ。問題ない」




――ガチャ


「お待たせしました」


 姫川が戻ってきた。制服から普段着に着替え、手には大きめのバッグを持っている。

通学用のバッグも持っているので、恐らく今から自宅に行くのだろう。


「天童君。急で申し訳ないんだけど、今から自宅に行きます」


「大丈夫、問題ない。姫川もお父さんとゆっくり話した方がいいと思うし、こっちの事は気にするな」


「ありがと。それでね、タッパを一つ借りてもいいかな?」


「タッパ? そこの引き出しに何個か入っているけど、何に使うんだ?」


「昨日の肉じゃがを、お父さんに持って行こうかと」


 いそいそと引き出しからタッパを取り出し、昨夜の肉じゃがを詰めはじめた。


「肉じゃが、必要なのか?」


「うん。お父さんにも食べてもらいたくて」


 バッグに肉じゃが入りのタッパをしまい込んだ姫川は、父さんと玄関に行き、そのまま呼んだタクシーに向かって歩き始めた。


「では、行ってきますね」


「あぁ、いってらっしゃい」


 先に乗り込んだ姫川の後に続き、父さんもタクシーに乗り込もうとする。


「司、何かあったらすぐに連絡をするんだぞ。あと、さっきも言ったがくれぐれも……」


「あー! いいから早く行ってくれ! 遅くなったら姫川に迷惑がかかるだろ!」


 俺は父に叫んだあと、タクシーに押し込む。

タクシーの扉が閉まり、俺は遠ざかっていくテールランプを見ながら二人を見送った。


 一人玄関に戻り、サンダルを脱ぐ。

ソファーに寝っころがりながらテレビをつける。


 まったく、騒がしい親だ。でも、子供の事を考えてくれているって事は俺にも伝わってくる。

普段はそっけないが、いざっていう時は頼りにできるし、実際頼っている。

何だかんだ言っても、俺はまだ子供だ。


 ここ数日忙しかった。一人ゴロゴロしながら、夕飯の準備をどうしようか考える。

台所に立ち、まな板と包丁を準備する。


 なぜか、やる気が出ない。いままでこんなことはなかった。

テレビの音が無性に大きく感じる。音量はいつもと同じはずなのに……。


 この日はなぜかやる気が起きなく、冷蔵庫に残っていたあまりもので夕飯を一人済ませた。

あれ? 夕飯ってこんな味気ないものだっけ? 一人箸を片手に考え込んでしまった。




――ブーンブーン


 寝る直前、スマホが震えだす。

画面を見ると姫川からのメッセが届いている。

心臓がドキッとして、鼓動が高鳴る。


 画面をタップして、送られてきたメッセを確認する。


『お父さんと話ができました。肉じゃが、とても喜んで食べてくれましたよ。明日の夜、お父さんがそちらに伺うことになりました。よろしくお願いします』

 

 なんてこったい。姫川のお父さんが来るって!

しかも、明日! ど、どうしよう! 何を準備したらいい?

あ、服。何着たらいいんだろう! って、姫川と同じ発想になっている事に気が付く。


 寝る直前で、爆弾を落とされた気分になりながら、明日の事を考えつつ、俺は深い眠りに落ちた。

スーツ、ワイシャツ、ネクタイ……。あ、散髪にもいかないとダメなのか……。

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