第3話 わたしは、昨日、

 十年前の昨日、わたしは失恋した。

 

 高校二年のバレンタインデーは、初めて出来た恋人との大切な日になった。恋人から渡された可愛らしいチョコレートは、自分のために用意された世界でたった一つのチョコレートだと思うと堪らなく嬉しかった。天気予報では雪になると言っていたが、どんよりとした雲が広がるだけで雨さえ降らなかった。その代わり酷く寒かったのを覚えている。

 スポーツが好きで部活も好きで、恋愛は二の次だと思っていたこともあり、共学でありながら女子の友達なんて殆どいなかった。後に恋人となる彼女とだって、告白されるまで話したことすらなった。

 そんなわたしが唯一、毎朝挨拶を交わし、話をする女の子がいた。

 小学校の頃、家が近所でよく遊んだその女の子と再会したのはまだ制服が真新しかった高校一年の春のことだ。元々顔立ちが綺麗で、少し大人びた印象のある女の子だったが、高校生になったことでより美しい少女に成長していた。その美貌はわたしが通う学校でも有名で、彼女の通う学校が有名なお嬢様学校だったこともあり、友人たちからは何度も合コンのセッティングを求められた。それだけ甘津姫乃は魅力に溢れた美少女だった。

 

 季節は廻り、わたしに恋人が出来て、毎朝その子と学校に通うようになっても、利用する駅が同じで顔を合わせるのに会話もしないのは不自然だと思い、甘津姫乃に恋人を紹介した。最初は関係を疑われるかなどの不安もあったが、彼女たちは相性が良かったようでこちらが驚くほどスムーズに仲良くなった。

 そんな穏やかな高校生活が一変したのが、バレンタインデーの翌日だった。いつもと同じ時間に顔を合わせた甘津姫乃に昨日がどれほど幸せな一日だったかを話し、女子校でのバレンタインがどんな感じなのかを尋ねた。

 すると共学と変わらないどころか同性同士のため、より活発にチョコレートの受け渡しが行われることがわかった。男子から美少女だと騒がれる甘津姫乃は、同性からも人気なようで沢山のチョコレートを貰ったようだった。

 わたしの恋人も甘津姫乃に憧れているような口ぶりだったから、特別驚きはしなかったが、甘津姫乃の話によると中には強烈な思い込みや理想像を持たれることで身勝手な感情をぶつけられることもあるのだと言う。わたしは彼女の話を聞きながらちらりとホームの柱の陰に眼を向けた。毎日ではないが、甘津姫乃と同じ学園の制服を着た生徒を見かけることがあった。いつも遠くから見ているだけで声をかけることはせず、こちらに見つからないように隠れているようだった。天津姫乃は気付いていないようだったが、わたしも特別知らせることはしなかった。その日も甘津姫乃を見つめる女子生徒の姿を見つけ、あの子もチョコレートを渡したのかななんて気楽に考えていた。


 いつもと同じ場所にわたしの恋人が待っていて、いつもと同じように手を挙げる。珍しく人の少ないホームに三人揃って並んで、新作映画の話をしながら笑った。自分の恋人が一番可愛いが、やはり美少女の笑顔は見ているだけで目の保養になった。もし、甘津姫乃と付き合えたらなんて想像したときもあったが、自分の容姿を考えたとき、あまりに不釣り合いで速攻否定したことを覚えている。

 快速電車が通り過ぎるアナウンスが流れたときだった。わたしの前に二列で並ぶ彼女たちの身体が白線より下がっているかを何気なく確認した。その後、快速電車がホームに入って来るのが見えた。そして、いきなり重たい何かが身体にぶつかって来て、油断していたこともあり、前に倒れた。

 その反動で、恋人の身体をホームに押し出してしまったことに気付いたのは、コンクリに倒れこんだ衝撃に思わず目をつむり、痛さに顔をゆがめながら顔を起こしてからだ。どこにあるのかもわからないくらいぐちゃぐちゃになった恋人の姿にわたしは声が出なかった。

 わたしの身体に体当たりをしてきたのは、甘津姫乃を遠巻きで見ていた女子生徒だった。すぐに警察に取り押さえられ、こんなことを起こした原因は、わたしが天津姫乃をフッたからだと供述した。わたしの恋人がいなくなれば、わたしと甘津姫乃の間に入るものはいなくなる。そうしたら彼女は幸せになれる。大好きな相手の幸せを望んで何が悪い、と泣きながら叫んだそうだ。勿論、わたしは彼女をフッていないし、それどころか彼女から告白を受けた覚えさえない。完全にあの女子生徒の勘違いだった。


 甘津姫乃は何度もわたしに謝り、恋人の葬儀にも参列してくれた。恋人を失ったという事よりも目の前で人が死んだことにショックを受けていたわたしはそれから二週間ほど学校を休んだ。やっと気持ちの整理をつけて、学校へ行こうと駅に向かうと甘津姫乃が待っていた。二人してホームのベンチに腰掛け、色んな話をしながら何本か電車を見送った。聞けば、彼女も事故が起きた時間帯の電車にはもう乗れていなくて、父親に学校まで送ってもらったり、午後から通学するなどしていて、朝のこの時間帯に駅に来れるようになったのは二、三日前からとのことだった。

 甘津姫乃はふいに、いつかは恋人のことを忘れてしまうかと尋ねて来た。わたしは、正直に胸の内を話した。相手から告白されたのがきっかけだったし、心から愛していたわけではなく、恋人と言っても学生の域を出ていなかったことを十分理解していたわたしは「いつかは忘れてしまうだろうね」と答えた。

「けれど、彼女の笑った顔や優しい声は覚えていると思う」

「何年経っても? あなたが大人になっても? 」

「うん」

「あなたの記憶には高校生のままのあの子が永遠に残るのね。……どれだけ時間が過ぎてもあの子は高校生のまま……」

 甘津姫乃はそう呟いて、ぼんやり正面の景色を見つめた。そのときのわたしはまだ子供で、自分のことだけで精一杯だったし、彼女の言葉を深く考えることもせず、頷くことしかできなかった。


 翌年、わたしの恋人が亡くなったのと同じ時間、同じ電車に自ら飛び込んで甘津姫乃は死んだ。


 その日わたしはインフルエンザで学校を休んでいて、甘津姫乃が駅にいる時間帯に熱のピークを迎えていた。彼女から送られてきたメールに気が付いたのは、それから二日経ってのことだった。メールには画像が添付されていて、開いてみると制服姿の甘津姫乃がこちらに向かって微笑んでいた。本文にはただ一言だけ。私のことも覚えていて、と。まだ完全に治りきらない体調の悪さの中、必死にこのメールの意味を考えたが、その後に届いていた学校の友人たちからのメールで彼女の死を知った。そして、それと同時に遺書であることもわかった。


 十年経った今でも、甘津姫乃が何故自ら死を選んだのかわからなかった。彼女の両親や友人にも事情を聞いたが、誰一人理由を知らず、遺書が送られてきたのもわたしの元だけだったようだ。周りは、間接的でも自分のせいで一人の少女が命を落としてしまった事実に耐えられなかったんじゃないかと理由付けた。けれど、当事者のわたしだけはその理由に納得がいかず、毎年、二月十五日にはこうして二人が亡くなった駅を訪れた。

 腕時計に目を落すと午前零時を二分程過ぎていて、次にホームに入って来る電車が終電であるアナウンスが繰り返しホームに流れた。大学に入学すると同時に一人暮らしを始め、実家を離れたことでこの駅を利用することもなくなった。わたしはベンチから立ち上がると彼女たちと電車を待った場所で、終電を待った。

電車が来るまでの間、スマホの画像フォルダを開く。そこには、最後に送られてきた甘津姫乃の姿が保存されている。

 誰にも話していないことがあった。実は甘津姫乃が亡くなる一週間前、わたしは彼女に告白していた。恋人が亡くなった後、ずっと傍に寄り添ってくれて、その優しさに初めて真剣に人を好きになった。恋をした。バレンタインデーに返事をくれることになっていたが、わたしがインフルエンザになったことで、結局返事は聞けぬままだった。けれど、自ら死を選んだと言ことはわたしの想いは届いていなかったのだろう。失恋したのと同じことだとわたしは思った。

 終電が滑らかにホームに入ってきた。降りる人を待ってから電車に乗り込む。座れるほど空いてはいなかったが、混んでも居なかった。わたしは乗った方とは反対側の扉の前に立ち、窓から外を眺めた。向かいのホームには人影が殆どない。そんなことありえないはずなのに、薄暗いホームのベンチに甘津姫乃が座っている姿が見えた。

 わたしは思わず窓に張り付いて景色を見つめたが、やはり向かいのホームのベンチには誰も座っておらず、思わず笑いが漏れた。


 想いが伝わらなかった辛さを十年間引きずったまま生きて来た。告白なんてしなければ良かったと何度も後悔した。

 受け入れられなかった想いはいつまでも心に残り、口にする前日までは何もかも彩られていた世界が、表に出た翌日、一変する。

 高揚した気持ちが収まり、後悔と恥ずかしさと自己嫌悪が襲ってくるのはいつだって翌日だ。そしてそれは、なにも恋心に限った話ではない。

 例え、若い気持ちで付き合った恋人であっても、返事をくれなかった想い人であっても、遠くの大学を受験した級友との別れであっても、お世話になった先輩が職場を辞めてしまうときであっても、寂しさや悲しさは、いつだって次の日にやって来る。


 言い知れない孤独を連れて。



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想いが散るときは、いつも。 シルバーキャット @ginneko1024

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