第3話

 結局、川崎が「そろそろ出よっか」と切り上げるまでの3時間カラオケ続いた。

 川崎は驚くことに私が歌う全ての曲に反応してきた。「兄の影響でね」と彼女は説明していた。

 オタク話をする相手なんていなかった私は途中から楽しくなってきて、ディープな話を彼女に振り始めた。暴走だ。

 中学時代に孤立した理由をすっかり忘れてアニメを語る私に、彼女はついてきてくれた。

 むしろ彼女の知識量に私が圧倒されていた。

 やがて2人して変なテンションになり、ボイスチェンジャーで遊んだり、互いが歌っているときにコールを入れあったりするようになった。

 誰かと一緒にいて楽しいと感じたのはいつぶりだろう。

 いつのまにか空を覆っていた分厚い雲は遥か遠方へと流れていた。

 カラオケボックスを出た私たちを迎えたのは、燦然と煌めく星空とそれを覆い尽くすほどの人工の光。県内で最も栄えているこの街は夜になると仕事帰りの人々でごった返す。彼らの数に比例して、居酒屋、キャバクラの数もまた尋常ではない。悪質な客引きへの警告の張り紙があちこちに見られることがそれを物語っている。

 私たちが知るにはまだ早い世界に背を向け、ペデストリアンデッキを歩く。派手な格好の集団があちこちを陣取っていて、思わず身を縮こませる。

 スマホの時刻表が、あと3分で電車が来るとしきりに私を急かしている。

「……まだ時間ある?」

 彼女の言葉に、いとも簡単に私の足は止められた。次の電車まで10分は待たされるというのに。

「海、行かない?」

 私が乗るはずだった電車は人々を詰め込んでゆっくりと加速していく。

 閑散としたホームでそれを見送った。

「お茶とジュース。どっちがいい?」

 迷わずお茶を取る。

「お茶、好きなの?」

「甘いものが好きじゃない」

 予告されていた時間ぴったりに電車は私たちを迎えにきた。

「どうせ明日休みだから」その言葉を盾に私たちはどこまでいけるのだろうか。それは、きっと彼女も知らない。


「着いたねー。海」

 川崎は大きく伸びをして、砂を払ってからコンクリートの段差に座る。

 促され、私も腰をかけた。潮風にたっぷりと冷やされたそれは、ひんやり冷たい。境界を失い空と溶け合った海の上には銀色の粒子が散乱している。

 うるさく自己主張してくるネオンライトはここにはなく、街灯も見えない。星の輝きだけが私たちを照らしている。

「どうしてここに?」

 いつもとは違う色のラインが入った電車に乗って、家とは逆方向に1時間30分ほど。定期券の範囲外、行き帰りで計3000円の出費。

 言われるがままにここまで来てしまったが、かなり馬鹿なことをしてしまったのではないだろうか。

 今すぐ引き返しても家に着くのは11時を過ぎる。

 親には心配かけさせたくないからメッセージを送った。

「友達と遊んでくる」

 簡素でありきたりな文章がどこか誇らしい。


「腹割って話すならここかなって」

 先程から背後に伸びている道路をちらちらと確認しているが、1台たりとも車は通っていない。虫の声はなく、波が砂浜に叩きつけられる音が不規則に響く。遠くに電車の減速する音が聞こえる。それくらい。

 世界から隔絶されたような場所だ。

 腹を割ってする話ってなんだろう。もしかして、告白とか……

 馬鹿な考えをお茶で流し込む。喉が少し痛くなった。

「とりあえず、今日は付き合ってくれてありがとね。すごい楽しかった」

「私も楽しかったよ」

 最初こそ嫌悪感を示してはいたものの、結局最後は楽しんでいた。

「驚いたなぁ。君が私の曲聴いてて」

「私も驚いた。あなたがyuiだったなんて、それと、あなたのアニメの知識」

 潮風が私たちの間を駆け抜ける。

 気まずい沈黙。なにか、私の言葉に返事が返ってくるものだと思っていたから。

 なにか言うべきだろうか。対人関係の経験値が圧倒的に不足しているから、それがわからない。

 わたわたと赤べこみたいに首を振っているうちに、川崎が沈黙を破った。

「私さ、これからも君と仲良くしたいって本当に思ってる」

 私の手を取って詰め寄ってくる。やっぱり距離が近い。もう彼女の距離感には慣れつつあったけど、それでもやっぱりドキドキしてしまう。

 雪原が目の前に広がっている。やっぱり、綺麗だ。

「びっくりさせちゃうかもだけど、聞いて」

 顔が近いから、彼女の瞬きのペースが異常に早いことだってわかる。

 なにこれ。本当に告白されそうな雰囲気なんですけど。

 彼女は一度左下の方を見てから、真っ直ぐにこちらを見据える。

 今までで1番心臓が活発に動いている。

 焦らさないで、早く言って。私の無言の訴えを感じ取ったのか、 彼女ははっきりとこう言った。

「私、あなたのこと嫌い」

 晴天の霹靂。

 ある意味では告白なのかもしれないけど、広義の告白とは真逆の言葉を彼女はぶつけてきた。

「努力もしないくせに全てを悟った風に諦めて、他人を呪う君が嫌い」

 彼女の顔にいつもの営業スマイルは無かった。これが彼女の本心なのだろう。

「私の気持ちを勝手に推し量った気になって勝手に気持ちよくなってる君が嫌い」

 どうして、そんなことがわかるのだろう。私はそんな素振りを一度も見せたことがないはずなのに。

「わかるよ。だいたいのことなら。私たち、そっくりだもん」

「最初に私から逃げたのは、多分私に馬鹿にされるのが怖かったから。ここまで着いてきたのは、私を憐れむような感情が生まれたから。違う?」

 まさにその通りだった。最初は川崎のことを恐れていたし、小説を見られたときは高校生活の終わりも覚悟していた。彼女の心の内を知ったとき、私が側にいてあげないとという意味不明な義務感に駆られた。だから、今私はここにいる。

「私は嫌いなの。yuiが。だから、yuiのことが好きな君も嫌い」

「嫌い」そう何回言われただろうか。私があれほど恐れて、避けたかった言葉をストレートにぶつけられたのだ。それなのに、どうしてか清々しい気分だった。

 きっと、面と向かって心の内を見せてくれたのは彼女が初めてだったから。

 変な話だけど、彼女に「嫌いだ」って言われてとても嬉しかった。

 本心の告白には本心で応えないといけない。そのくらいの礼儀は心得ている。

「私の気持ちも言うね」

 彼女は顔をほころばせてうなづいた。

 夜の冷えた空気を思いっきり吸い込んで、心を叫ぶ。

「だいっきらい!!」

 声は反共することなく、真っ直ぐに海に溶けていった。

「勉強も運動もできて、性格も顔もよくて、みんなに信頼されて、でも「友達がいない」とか言えるあなたが嫌い」

 まだまだ出てくる。あなたの嫌いなところなんて。いくらでも。

「なんでも持ってるくせに私を知ったような歌を歌うあなたが嫌い。いらない同情かけてくるあなたが嫌い。……私に余計な感情を芽生えさせるあなたが嫌い」


 ひとしきり言い終えて息を整える。こんなに人前で叫んだのは久しぶりだ。

 彼女はくすくすと、両手で口元を抑えて必死に笑いを堪えている。そんな彼女を見ていると腹の奥から何かがこみ上げてきて、固く閉ざした口を破ろうと攻撃を始める。

 どちらが先か、最後の壁は決壊した。

 2人して、腹を抱えて笑う。周りなんて気にしない。どうせ誰もいないから。

 感情の放流が抑えきれず、拳に乗せて地面に叩きつける。砂が舞い上がって目に入った。

 悲しくなんてないのに涙が出てきた。

 些細なことですら面白く感じられて、余計に笑いがこみ上げてくる。

 やがて疲れてきて、自然と笑いの波が鎮まってくると急に冷静になる。なにがあんなに面白かったんだろう。

 荒い息を整えながら、

「ああ、楽し」

 そんな声が漏れた。

「ほんと」

 彼女がぜぇぜぇと息を切らしながら同調する。

「私たち、両想いだね」

 冗談めかした彼女の声。

「ばーか」

 小説書いてるくせに、ボギャブラリーが貧弱だ。

「馬鹿じゃないですぅ。学年1位ですぅ」

 彼女はアヒルみたいに口を尖らせる。

 全然冷静じゃないし、子供っぽい。

 そこにみんなの人気者の川崎唯香はいなかった。

 等身大の川崎唯香。私のずっと求めていた人がいた。


「ねぇ、唯香」

 私の呼びかけに唯香は一瞬フリーズした。

「あれ……名前間違ってた?」

「いや、名前で呼ばれたからびっくりして」

 本気で感情ぶつけ合った相手を今更苗字で呼ぶ気にはなれない。勢いで言ってしまったけど、やっぱり少しむず痒い。

「読んでよ。私の小説」

 唯香にスマホを手渡す。画面に映っているのはさっき、彼女と出会ったときにちょうど仕上がったもの。彼女には私の全てを見てほしかった。もしかしたら私はマゾヒストなのかもしれない。

 唯香は「散々に笑ってやる」と私のスマホを取り上げた。

 その言葉とは裏腹に、彼女の瞳は鋭く真っ直ぐだ。

 唯香なら絶対に馬鹿にしたり、他人に言いふらすような真似はしない。都合のいい言葉だけど、私は全幅の信頼を彼女に寄せていた。

 ……恥ずかしくて、唯香の顔が見れない。

 誤字脱字は大丈夫だろうか。言葉は誤用していないだろうか。読みづらくはないだろうか。私の気持ちはちゃんと伝わってるだろうか。

 不安はいくらでも湧いてくる。それでもこれが今の私の全てだから、唯香に受け入れてほしい。

 5分ぐらい経って、唯香はひとつ大きく息を吐いた。

「ありがと」

 スマホがこちらに戻ってきた。最後まで、ちゃんと読んでくれたんだ。

「私ね、嬉しかったんだ。詩織が私の声を聞いてくれて」

 あのとき、私のイヤホンを取り上げたとき、音が漏れていたのだろう。あれが、私たちのターナングポイントだった。

 たった4、5時間前のことなのに、随分と昔に感じられる。

「正直詩織って都合が良かったんだよね。私の気持ちをわかってくれるかもしれなくて、他に友達がいないから裏切られない」

 彼女のことを知れば知るほど、私たちは似た者同士だと感じる。

 私がyuiに恋をした理由も、元をたどれば多分それだから。

「でもさ、蓋を開けてみたらなんてことなかった。これ読んで思ったよ。あんな耳障りのいいように希釈しただけのものを聴いて、それで全て分かった気になって、挙句私を親友扱い。それと、読者置いてきぼり。自分で書いた物語で自分が気持ちよくなってるだけ」

 特に最後の一言は鳩尾に入った。自分が気持ちよくなってるだけ。

 私じゃない誰かにも「自分のための物語」だって思ってもらえるって、そう信じて書いたのだ。やっぱり痛い勘違いだった。ちょっとだけ、傷ついた。

 言いたいことを言い切ったのか、唯香はまた息を大きく吐き、

「まぁ、私以外には見せない方がいいだろうね」

 そうするつもりだ。

 多分、もう自作小説をネットに放流することはない。その必要がなくなったから。

 いいたいことをいってくれればいい。でも、傷つくものは傷つく。

 だからちょっとだけ反撃することにした。

「自分だって痛々しい歌をネットに垂れ流しているくせに」

 唯香は私の言葉にすかさずくいついて、

「その痛々しい歌に惚れてるのは誰だっけ!?」

 私の上にのっかってわき腹をくすぐり始めた。

「やめっ……ほんと……ほんとに……」

 身をよじりながら、何とか抜け出そうと彼女の腕を掴む。

 ……簡単にひっくり返せた。

「よわ……」

「非力な方が可愛げあるでしょ?」

 投げ出されたまま表情を緩めている唯香の隣に寝転がる。

 全身砂だらけだけど、まるで気にならない。

 これからのことは今だけは忘れていよう。

「あー、青春してるなぁ!」

「悪口言い合ってただけじゃん」

「こんな恥ずかしいことを言い合うのなんて私たちの特権だよ。これを青春と言わずしてなにを言うのさ」

「……厨二病とか」

 自分たちだけが特別な感情を抱いていると思い込んでいるあたり、そんな気がした。

「病か……そりゃいいや。間をとって青春病と名付けよう」

 否定の言葉が飛んでくると思っていたが、どうやら気に入ったらしい。むしろ、それ以上のものを提示してきた。

「2人で流行らせようぜ」と笑う唯香。

 なんというか、私はそれには賛成できなかった。

 この病にかかっているのは私たちだけでいい。そう思った。この意味不明な独占欲。これも青春病の症状のひとつだろうか。

 私に青春は似合わない。そう諦めていた。

 でも、そうか。私も青春できるのか。

 そう思うと、胸の奥が熱くなってくる。

「私たち、うまくやってげそうじゃない?」

「互いに嫌いだって言い合ったのに?」

「落ちるだけ落ちたから、あとは上がるだけじゃん」

「そりゃそうか」

 お互いに話したいことは話しつくして、物言わず砂浜に身体を委ねている。寝転がっているから視点は低いはずなのに、いつも以上に空が近くに感じられた。

 ああ、ほんとに、触れられそう。

 手をのばして空を掴む。当然、開いた手の中には何もない。

 ふと横を見ると、スマホを握りしめた唯香がこちらを見ていた。にやにやと気味の悪い笑顔を浮かべている。

「掴めそうとか思ってたでしょ」

「……青春病だよ」

 早速使ってみた。彼女は体を向こう側に転がし、ぷるぷると震えている。

「笑うな」

「……安心して。詩織の恥ずかしいとこなんてもっと知ってるんだから」

「なんか卑猥」

「ばか」

 軽口を叩き合う。肩を揺らして笑い合う。ほんとに楽しい。

 唯香は風流心のかけらも無く、スマホを眺めている。ブルーライトが彼女の顔を眩しく照らす。

 スマホを持つ彼女の手にはいくらかの砂が張り付いていた。

 「ねえねえ」と促され、唯香のスマホを覗きこむ。そこには誰かの痛々しい怪文書が映し出されていた。

「私以外にファンいるじゃん」

 唯香はコメント欄に残された1件のメッセージを指差した。少し、頰を膨らませているような気がした。

「ああ、それはね」

 笑い話は絶えない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春病 神無月 @Kugelschreiber

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る