籠の庭

立見

籠の庭


 籠の庭。首無し竜が守り、多くの子どもたちが暮らす。子どもたちにはそれぞれ名前があった。鳥籠、花籠、蟲籠、水籠……。

 彼らは自分の正体を知らない代わり、幼いまま永久にここで暮らす。飢えることも害されることも知らない。その幸福を壊すには、たった一つ方法がある。


 籠の鍵を、開けること。

 さすれば己の真の姿に気づき、子供ではいられなくなって死ぬのだ。



***********




 遠くで烏時計が啼くのを聞いて、空籠はゆっくりと本棚の影から這い出た。やっぱり今日も、鬼が見つけにこない。


 書庫を出て一人、回廊を歩く。青白い光が窓から差し込んで足元を照らす。外の方から声がするので、みんな隠れんぼから別の遊びに移ったようだ。

 渡り廊下に差し掛かったあたりで、そのまま庭へと降りた。

 駆け回る子どもたちのうち、一人が空籠に気づいて輪を抜け出す。三つ子の影を引き連れてやって来るのは、宵籠だった。


「また鬼に忘れられてたんだろ。書庫か?」


「うん。あそこ、誰か探しに来た試しがないんだ」


「お前しか行かないもの、あんな埃くさい処。隠れんぼはもう終わったよ」


 2つ浮かぶ月のうち、蒼い方は上半分ほどが薄っすらと消えかけていた。夜明けが近い。もう片方は、そろそろ紅に色づき始めているはずだ。

 ふと、澄んだ歌声が微かに耳に届く。空籠は不思議に思った。


「鳥籠が外に出ているの?」


 声が一番綺麗で、外に出たがらない。いつも部屋の奥にいる子供。彼女の歌が聞けるのは城の中でだけだ。

 宵籠はいいや、と首を傾けた。

「遊んでる中にはいない。いつも、引きこもってるだろ。何で?」


「歌が聞こえたよ」


「なら裏庭じゃないのか」


「先生のとこか。……ちょっと行ってくる」


 

 けれど、裏庭に行く途中で歌声がした。やはり外ではなく中からだ。 

 ならどうして、さっきは庭にいる空籠まで聞こえたのか。それに、いつもより声が少し高い気がする。まるで悲鳴のような。


 そろ、と空籠は開いた扉の中へ入り込む。夜はほとんどの子どもが外で遊ぶから、城内は眠っているように静かだ。そこを、不安定な旋律が漂う。声を辿って空籠は奥へ奥へと進んだ。


 深奥は、鳥籠の部屋。扉の隙間から、とろとろと虚ろな響が零れだす。


 少し手前で立ち止まって、空籠は声をかけた。



「鳥籠、鳥籠。ね、少しいい?」


 言葉はない。

 静かに、途切れることなく歌は続く。


「鳥籠?」


 カシャン 


 不協和音みたいな、金属音が返ってくる。

 空籠は扉を引いた。


 海の底の如く薄暗い部屋。紗の帳が掛かった寝台に、ちょこんと掛けて鳥籠はいつも歌っていた。


 今、空籠の視線の先には、凝った夜陰のようなものが蹲っている。

 ぱさり、さり、と。

 陰が蠢いたかと思うと、真ん中あたりに白い顔が浮かびあがる。鳥籠、だった。


「鳥籠…」


 彼女はただ歌うだけ。


「どうしたの?泣い、て」


 半ば伏せた瞳から雫がつたう。咽び泣いているような様子なのに、その歌は悲痛なまでに美しい。


 目が慣れてきて、鳥籠の姿を覆うのが翼だと分かった。褐色で、守るように鳥籠の躰を抱く。鳥籠自身のものだ。


 あまりにも変わり果てた鳥籠の姿に、空籠は慄いた。無意識に一歩退き、その際に右足が何かにぶつかる。カシャン、と先ほども聞いたような音がした。

 ハッとし見下ろせば、そこには錠の開いた籠が転がっていた。


「これ」


―――空籠。


 じん、と頭の中に声が滲む。呼ばれて、空籠は振り返った。


「先生」


 首無し竜だった。


―――少し、後ろに下がって。鳥籠を見ますから。


 空籠が場所を譲ると、音もなく首無し竜は部屋へ入ってきた。最早何の反応も示さず歌う鳥籠の前で前足を折り、無い頭を傾けて覗き込む。


―――鳥籠。鍵を開けて、あなたは自分自身を知った。もう子供ではいられません。その姿となったのなら、庭から出ていくのです。


 鳥籠は歌う。歌いながら啼いている。


―――さぁ、怪鳥の子よ、去りなさい。ここはお前のような、真実を知った怪物の居る処ではない。




ァァァ―ァァ―ァアアアアア――――――ッ


 叩きつけるような絶叫と共に、視界が裂かれた気がした。旋風が吹き付け、直後に窓が割れる。

 一瞬の後に、空籠と首無し竜以外、部屋には誰もいなくなった。

 遥か遠くから響いてくる聞き慣れた声は、啜り泣きにも聞こえた。


 のっそりと首無し竜は振り返り、空籠のもとまでやって来る。

 


―――鳥籠は、鍵を開けたんだね。


「多分」


―――空籠はどうしてここに?


「歌が、いつもと違って聞こえて……」



―――そう。…気づいたのが、空籠だけで良かった。 


「先生」


―――なんでしょう。


「自分の正体を知るのって、そんなに恐ろしいことなの。庭から出ていかないといけないくらい、悪いこと?」


 あんなに、悲しげに鳥籠は歌っていた。


―――あなた達がここで、正体を籠に閉じ込めて子どもでいるのは、それしかないから。この庭でなら、それが出来るから。

 でも、もしも鍵を開けてしまって本来の姿を知れば戻れない。絶望して、生きていけない。だから、庭を出ていくしかないんです。



「外の世界なら、本当の姿でも生きていける?」


 顔は無いけど、首無し竜から困った気配がした。


―――いいえ。あなた達はどちらでもない。だから外でもきっと、生きてはいけないでしょう……誰からも受け入れられないのですから。この庭で、正体をなくしたまま子どもの姿でいるしか、幸福になれない。

 だから、真の姿など知ってほしくない。正体なんて気づいてほしくないんです。




―――怪物と、人の間に産まれた子どもなんてことは。



 それでも、時折鍵を開けてしまう子どもがいる。本人にしかできないことだ。みんな自分の正体を望んで、絶望して、そして庭を去った。


 空籠は今いる子ども達のなかでは、一番長くここにいる。長くいればいるほど、正体を知りたいという願いは強くなる。鳥籠も、ほんの少しだけ空籠より後に庭へやってきた子どもだった。



 一体、自分は誰なんだろう。籠の中に閉じ込めたのは、何者なのか。


 空籠は、自分がいつまでこの錠を開けずにいられるか分からない。

 いろんなものを隠したこの庭で生きるのは、確かに幸せなのに。



「先生」


―――はいはい。


「ここが好きだよ」


 

 優しい首無し竜がいて、友達が沢山いて。

 飢えることも、虐げられることもない。いつまでも子どものまま、幸せに。そんなお伽噺のような処。



 




でもきっと、いつかは。

 



 




 

 

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籠の庭 立見 @kdmtch

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