第11話 移ろう中で

わたしが生まれた世は、所謂幕末と後に呼ばれた。

東雲家は、横濱唯一の大名–––––––影倉氏に仕える藩士だったが、大名とはいえ石高は1万というかなり低い地位だった。

それでも、大名には変わりがない。藩主として城を持つことは出来なかったが、陣屋を持つことでその地位を保っていた。そんな影倉氏に仕える父は東雲家を誇りに思っていたに違いない。


そのようなこと、わたしには全くと言っていいほど興味はなく。

わたしのは生を受けた横濱を、平然と闊歩する異国人に目が向いていた。

しかし当時は何も思わず、ただ異国人を見つめてはその姿を脳裏に焼き付けていた。


そんなわたしが犬を殴り殺した日、わたしは母親によって監禁された。

家の奥、物置のような場所に『犬と共に』。


「有凪、知紗をどうするつもりだ」

「どうもこうも、一生このままでも構いませんわ。何故なにゆえ言う通りに育ってはくれないのです!?わたくしの・・・何が、いけないのですか!」

声を震わし、怒りに任せて叫ぶ有凪の様をわたしは聞き続けていた。

今思えば、何という自分勝手な母親だと思わずにはいられない。親通りに育つ子など、望むのは親だけだ。

ほとんど見えない暗がりの物置で、わたしは犬を触っていた。

息絶えていても相変わらず毛並みは整っており、体温が冷え切っていると分かっていても、わたしは触れずにはいられなかった。


『ただ、死ぬところをみたかったの』


わたしはそう言った。それは本意でそれ以外の感情は何もなかった。

「なにがだめなの?」

誰も返事が来ない物置に、わたしの声は酷く響く。しかしそれが怖いという訳でない。たった1人のこの場所は暗くとも、ひと時の夜安らぎを与えてくれたのだ。

母親の罵声も聞こえない。

暗く寂しいこの場所は、わたしの癒し。

きっと母はわたしを此処から出す気はないはずだ。誰も母を止められない。父の嵩慈もきっと有凪が可笑しいと直に気付く。

しかしそれはわたしのせいじゃない。母が勝手にわたしを固めようとするから可笑しいことを言い出すようになった、ただそれだけのことだ。


そして、あれからどれほど刻が経ったのか。

静かに物置の戸が開いたかと思うと、優しい声が届いた。

「知紗様、大事ありませんか?」

「ゆきえさん?」

「はい」

静かになった家の中。幸江が何故此処に来たのかわたしには分からなかった。

「どうしたの?」

「どうぞこちらにおいでになって下さい」

「どうして?ははうえにおこられます」

「構いません。私は東雲家に仕える者。助けることは当然のことでございます」

幸江のを見つめては、何かを探ったが何も出て来ることはなく幸江はわたしを見て微笑んでいた。

「どうして?」

わたしはもう一度問うた。分からない、幸江の心の内が分からなかった。

「知紗様はこの家に住まれています。あのようなことをされて放っておくことは私が許せないのです」

声音は優しい。しかし強さが端々に滲み出ていた。

「じゃあ、この犬は?」

わたしは横たわっていた犬を抱き抱えた。力がない分重さを感じたが、わたしには殺した分放っておくことなど出来なかった。

「それは・・・・」

幸江は暫く思案して、顔を上げると手を広げてきた。

「私が埋葬致します」

「まいそう?」

「はい。土の中に入れることを言います。埋葬をすることで、亡くなった世でまた生きることが出来ると言われているのです。そうされた方がきっと救われるはずですから」

「そうなの?じゃあ、わたしもいっしょにするわ」

「知紗様も、ですか?」

「はい。おねがいします」


かくして物置を出たわたしは幸江さんと共に埋葬をした。

家を出て少し歩いた野。埋葬するにはこの上ない場所だった。

「きれい・・・」

埋葬した後、わたしは空を見上げた。空に広がった闇には幾千の光が瞬いていた。

「そうでございますね。美しい・・・」

溜息が零れるほどの空に、わたしは夕刻での出来事を振り返っていた。

「あの、みたい」

未練がある訳ではない。しかしずっと引っ掛かっていた。


日本に異国人が当然のように歩く姿と、あの犬と。

だ」

そう気づいたのは、つい最近の事。

ふと縁側で空を眺めている時に気付いた。世の中が忙しくなる中、空だけは変わらずわたしを見降ろしている。

「何であの時分からなかったのかなぁ」

そう呟いたのと同時に、視界の端に零慈が目に入った。

「お兄様」

声を出すと、零慈はただ横目でわたしを見て吐き捨てた。

「何をしている」

「何とは?此処にいて何か可笑しいのですか?」

「お前は何故そこまで楽観的でいられるんだ」

「何かあったのですか?」

「・・・信じられない」

そう言うと、零慈はその場を去ってしまった。


どことなくそっけない。しかしそれは今に始まったことではなかった。

父の嵩慈も。兄の零慈も。わたしに対する態度はどこか可笑しい。

1年が過ぎるたびに僅かに軋みを帯びながら、わたしを離そうとしているようだった。





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