第10話 露知らず
「まさか、あの時のこと悔やんでいるの?」
勇佑が昔に思いを巡らせていると、知紗から声が掛かった。
「いえ・・・その、私には難しい問いでした。知紗様のなさったことを肯定も否定も出来なかったのですから」
「わたくしはやりたいことをやっただけ。それに同意も何も必要はないの。だからあの時、手を離したまで」
そこまでのやり取りを終えると、知紗は幸江を振り返った。
「止めるわ。行く気が失せてしまって」
「・・・は、はい」
少し狼狽える幸江の横を通り過ぎ、知紗は再び部屋に入ると戸を閉めた。
「勇佑さん」
幸江の優しい声音が、勇佑の耳を満たす。
「幸江さんはあの時、いらっしゃいませんでしたよね」
「そうです。奥様のお付きで出ておりまして」
「あの、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」
「何でしょう」
少し考えるような仕草をし、勇佑は口を開いた。
「あの後奥様が、知紗様の頸を絞めたというのは真のお話ですか?」
これは母の茉から聞いたことだった。
話を聞いた有凪が怒りに任せて、父の嵩慈と兄の零慈のいる前で知紗の頸を絞めた─────というもの。
当然信じられるはずもなく、かといって知紗に聞けるはずもなく。
こうして時だけが経っていた。
「はい、間違いありません」
勇佑の問いに、幸江は躊躇うことなく返答した。
「頸を、絞めた・・・と」
言葉を繰り返さなければ、受け入れることなど出来るはずがなかった。
「な、何故そのようなことが」
「5年前に知紗様が蝉の抜け殻を集め奥様に見せたことを覚えていますか?」
「勿論覚えております」
「その時、奥様は気を動転され『今後可笑しなことがあればどんな酷い仕打ちでも構わず行うように』とおっしゃられました」
「それが、頸を絞めるということですか・・・?」
「はい。私が口を出す訳にもいかずただ事の行方を見守る他なかったのです。ですが、奥様は他にも知紗様を
「そのようなことを・・・」
全身に鳥肌が立ち、想像も出来ないことを無理に起こさせる。
「殺すつもりだったのですか?」
「まさか。奥様は
「それが、しつけ・・・?さぞかし怖い思いを・・・」
そう言いかけて、ふと知紗の入った部屋を見つめた。
「勇佑さん?」
「先程、事の行方を見守ったと幸江さん話されましたよね。その・・・見られていたのですか?」
「・・・・はい。旦那様と零慈様を呼ぶようにと、そう」
言葉少なに声小さく幸江は返答した。
「私は、何も知らず・・・」
「無理もありません。貴方は此処に住んでいる身ではないのですから」
使用人にも身分があり、葛原家はその中でも最高位の若党の立場だ。ただ最高位と言っても武士では最下級に当たる。
勇佑も詳しいことは知らないが、随分と昔から東雲家と葛原家は繋がっていたそうで、いち武家の葛原家が危機的状況になった時に若党として召し抱えたことで今も葛原家は存在しているという。その名残で勇佑には帰る家があるという、特別処置が何故か成り立っていたのだ。
「他の誰も知らぬことです。・・・勇佑さん、これは内密に」
「は、はい」
「いつの話しているのかと思えば」
2人の気配が消えなかったのか、知紗が顔を出していた。
「ち、知紗様っ」
「幸江さん、そうやって昔を掘り返すようなことしてもらったら困るの。わたくしではなく、お母様が腹を立てます」
「申し訳ございません」
「過ぎたことを言っても仕方がないじゃない。お母様が気に入らなかっただけ。わたくしはその罰?とやらを受けた。それだけよ」
突っぱねるような知紗の発言に、勇佑は困惑したまま問いかける。
「それは真ですか?怖いとは、思われなかったのですか?」
「あはははははっ!なに、それ」
当然のように心配した勇佑の問いを、知紗は
「怖い?どうして怖いなんて思うの。お母様がそうおっしゃったのだから身を任せたの。それに・・・お母様もわたくしと同じよ」
そう言うと、知紗は戸を閉めた。
「知紗様は、愉しかったのですよ」
陽が降り注ぐ廊下に、陰雨のような言葉を幸江は一言、勇佑に告げた。
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