第9話 続・玲瓏たる瞳

勇仁は知紗を見つめ続けていた。

「きれいなの」

知紗に映るものが何なのか、勇仁には全く分からなかった。

「・・・まさか」

すると後ろから妻の茉が声を出していた。

「なんだ」

「勇さん、あの犬を・・・殺してしまったのではないでしょうか」

「な・・・んだと?」

茉の表情も引き攣っていた。声こそいつも通りだが、平静を何とか装うとしているようにしか見えなかった。

群がる皆が怯える中、勇仁は一歩また一歩知紗に近づく。

「・・・・っ」

隅に追いやったと思われる犬が、もう動くことなく倒れこんでいた。そして近くには石が1つ転がっていた。

「・・・・・・」

勇仁は何も発することが出来なかった。

『可笑しい』とそう感じることはあった。蝉の死骸を集めてきた時もそうだったが、一時的なものだと思っていた。

しかし、それが勇仁の中で壊れた気がした。


「はぁ」

勇仁は息を吐くと、知紗と同じ視線になり問いかけた。

「知紗様、此処で何を?」

「なにって・・・。犬とあそんでいたの」

「では、お傍にある石は何にお使いになったのでしょう?」

「たたいたの。どうなるかとおもって」

あまりの正直さに勇仁の手は震えていた。茉に言われたことが現実だと思わざるを得ない状況になってしまったのだ。

「知紗様、よくお聞き下さい」

勇仁は手を取った。

「生きとし生けるもの、皆『命』がございます。その『命』を捨てる、もう二度と同じものとして帰って来ることはありません。たとえ同じかたちをしていても、中身まで同じだということはあり得ないことなのです。そして亡くなってしまえば悲しむ者がいます。知紗様だけが良ければ正しいことではないのです」


6歳の知紗に通じるか分からない。が、勇仁は知紗の手をさらにギュッと握った。


「亡くなってしまえば、こうした手の温もりも見知った顔を眺めることも出来ないのですよ。ずっと知紗様は遊んでいらっしゃったでしょうに」



勇仁が語る後ろで、勇佑が茉と共に事の運びを見つめていた。

「父上・・・」

「貴方なら、どうしますか」

突然茉に声を掛けられ、背中がヒヤリと撫でられた気がした。

「どう、と申されましても」

「知紗様と一番歳が近く、共に学ぶ者としても考えを伝えなければいけないでしょう?」

「分かりません。あれは真に知紗さまが・・・?」

「信じたくない気持ちは分かります。ですが、知紗様のあの姿を見ても勇佑は何も感じないのかしら。そう思えないほど貴方は軽薄ではないでしょう」

茉の言葉に勇佑は手を握りしめた。

知紗に何を伝えれば良いのか。そもそも今の知紗に伝えたところで何も返って来ないことは明白なはずだ。

勇佑が視線を泳がせていると、茉は2人に背を向けた。

「母上?」

「私は幸江さんに今日暇を出されていますから。勇佑、何もかも決めつけるのはよくありませんよ。日々熟す中で分かることも増えているはずです。歳が近いのですから、思いのままを伝えなさい」

少し強い余韻を残し、茉はその場を後にした。


「思いの、まま・・・」

茉の言葉を繰り返していると、目の前に知紗が目に入った。

「あっ、ゆうすけさん!」

勇仁を振り払うように姿を見つけた勇佑に、知紗の瞳は輝いていた。

「知紗、さま」

「一緒にあそびましょう?」

「な、なにゆえ・・・」

「あなたを見つけたからよ。さあ、部屋に」

手を繋ぐ知紗に勇佑は思わず手を振り払った。

「!」

その一瞬、知紗の瞳が細められた。

「どうして?」

「私と手をつなぎ、他のモノを離したからです」

強い口調で睨むように知紗を見つめ、思いのままに勇佑は言い切った。

そのまま暫く互いに見つめ合っていると、知紗から勇佑の視線を逸らし手も放してその場を去って行った。


「知紗様!お待ちくださいっ」


女中の声が遠くなる中、勇佑は地面を見つめたまま唇を噛んでいた。


「これで、良かったのでしょうか・・・」

影がもうひとつ重なり、勇佑は問うた。

「ああ」

勇仁は短くそう答えた。

勇佑は答えることも顔を上げることも出来ず、ただ握り拳を震わせながら一滴の泪を零したのだった。

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