第8話 玲瓏たる瞳
『笑顔は人を幸せにする』
あまりにありきたりな言葉だが、簡単に人はこう話すものらしい。
誰もがこういった純粋な人であればどれほど楽か。
しかし『純粋』という言葉も、簡単に使って良い言葉ではないのだ。
時は遡り1862年。
その日は夕闇が家を覆っていた。
その一角で、知紗は一匹の犬を見下ろしていた。此処に来て数年になる犬。
番犬ではなく、知紗が女中で散歩していた時に見つけた子犬を家に持ち帰ったことが事の始まりだった。
母の有凪は知紗に何度も「捨てて来なさい」と話したが、当の本人は聞く耳を全く持つことなく、結局有凪の許しもないまま、こうして棲みつく形で家に置くことになったのだ。
だが、知紗は自ら育てるようなことはせず、全てを女中や勇佑に任せていた。
ただ本人は眺めるだけ。
それが知紗にとっての安らぎだったのだから、他の人がどうこう言う筋合いはないのだが、その犬を眺める知紗の姿が何とも奇妙だった。
そう、ずっと蔑むように眺めていた。
触れ合うことも、声を出すこともなくただ、じっと見下ろすだけ。
それを毎日夕刻に繰り返す。
そしてこの日も同じように知紗は犬を見下ろしていたのだった。
「・・・・・・・・・・・・」
知紗は隅に犬を追いやるように、無言でその場に立っていた。
そして犬も動かずじっと知紗を見つめ返していた。
「なんではなせないの?」
不思議なほど静かな庭。誰も通らず、知紗の声だけが通る。
「あ、そうだ」
1人呟くと、知紗は軒下に数歩歩き、石を持って帰って来た。
「こう・・・かな」
すると知紗は利き手で犬の頸を力いっぱい持ち上げたかと思うと、石を持った反対の手で犬の額を力の限り殴りつけた。
「ギャアッ.......」
犬は声にならない声を上げ、脚をジタバタ動かしているがそれ以上の抵抗は一切なかった。
「お願い、大人しくして」
犬の
「きれいねぇ・・・。ねぇ、もっと私に見せて」
そして今度はその
殴った
「ないたりするのね。ほら、もっともーっと私に見せるの」
知紗はニタっと張り付く笑みを浮かべた。
「クーン...」
知紗にしか聞こえないほど小さな鳴き声が届いた。その声を聞くと、知紗は利き手を離した。
スルリと頸が抜け、重苦しい音を立てて犬が地面に落ちた。
・・・ただ数発殴っただけだ。
先程まで浮かべていた笑みを引くと、知紗は振り返った。
「ち、知紗さ・・・知紗様・・・」
気配に振り返ると、女中が1人知紗を見つめて震えていた。
いつから見ていたのか分からないが、事の状況を飲み込むまで動く気配はなかった。
「きれいよ、とても」
知紗はそう答えた。
知紗の
「ただ、どうやったら死ぬのかみてみたかったの」
女中にそう話すと、女中の顔は真っ蒼になり、そのままその場にへたり込んでしまった。
「お止め、下さいと・・・
奇声のような金切り声で叫ぶと、そこに何人もの女中や使用人が集まって来た。
「どうした」
へたり込んだ女中に声を掛けたのは、勇佑の父・勇仁だった。しかし何を問うても声が返って来ることはなく、ただ視線だけが知紗を映していた。
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